昔、文芸批評というものはありませんでした。
詩や戯曲はありましたが小説そのものがなかったのです。
17世紀後半から、デフォー(イギリス)、リチャードソン(イギリス)、フィールディング(イギリス)、オースティン(イギリス)、ジェームス(アメリカ)等の作家が出てきて、それにともなって文芸批評も萌芽してきたのです。
そして、ようやく20世紀末、イギリスのケンブリッジ大学に英文学の講座が設置されることになりました。
それまで文学というものは、上流階級のパーティーのサロンやダイニング・ルームなどの社交場で語られるものであって、学問ではない、ととらえる雰囲気がありました。
ところがアーノルド(イギリス批評家)が「中産階級にも教養を」と主張をしはじめて英文学が学問として陽の目をみることになったのです。
これは労働者階級の共産化を防止するため、という政治的側面もあったようです。
設立当初は王立諮問委員会の答申書『文学と教育』にあるように、女性と学校教師にしかなれないような二流、三流の男子を対象にした学問であったようです。
そのころ批評の中心となっていたのは、そもそもは詩や絵を論じるために用いられてきた美学理論で象徴(シンボル)と呼ばれ、カントやヘーゲル、シラーの流れを汲むと言われます。
もう一つの批評の仕方は、経験主義(=具体的事実の感性的経験こそが認識の前提であるとする哲学)から出てきた印象批評という手法です。
その中で、エリオット(イギリス詩人・批評家)が伝統主義というものを唱え出して、一流の文学作品というものが集って自然に理想的な秩序を生みだす(つまり、この系統から外れる文学はイカンという考え方)という認識をつくりだしました。権威主義とも呼ばれます。
またエンプソン(イギリス詩人・批評家)は常識派(コモンセンス)の代表として、良識や道徳などの庶民的な感覚を土台にして、小説のニュアンスを解釈し作者がどういうつもりでこの作品を書いたかを説明する批評家もいました。しかし、批評家の常識と言うものは主観的なものに過ぎず、神様並みの常識を持っていないと印象批評は難しいとされています。
最近ではベイリー(イギリス批評家)が、批評は小説を切り刻んで分析せず、どっぷり詩的経験に身を浸し、味わうものだと主張しています。これは日本の本居宣長、小林秀雄にも通ずることで本居宣長流に言い換えれば『されば、緒の言は、その然云う本の意を考へんよりは、古人の用ひたりということを、よく明らめを知るを、要とすべし』(=直接本から受けた印象や意味を解読するよりも、筆者が属する特定の歴史的、社会的状況をよく理解して読みなさい)ということを主張しています。
最後にこういった批評に対しての大江健三郎氏の言葉
『文学理論は必要です。銓衡委員の根拠なしの、あいまい批評にさらされているわが国の作家たちには、文学理論にたつ批評がなされるほど望ましい話はないはずです。気分次第で賞めたり叱ったりする親ほど教育的でないように、あいまい批評が若い作家を育てうるとは思いません』
(『文学部唯野教授』(筒井康隆著:岩波書店)より要約抜粋、一部改悪)
次回は「第2講 新批評」
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