Friday, June 03, 2022

『グローバル経済という怪物』(デビット・C・コーテン:シュプリンガー・フェアクラーク東京)

この本は「世界経済の歴史的変遷」として読むべきではないでしょうか。きわめつけはトインビーの「滅びゆく文明の特徴は画一的で多様性が失われる。上り調子の文明では差異化と多様化がすすむ。画一化は停滞と衰退につながるようだ」グローバリゼーションという現象は肉体的な脅威ではなく、貨幣や資本といった抽象的な象徴によって、国家から活力を奪う。グローバル経済の中に巻き込まれた国家は、ディズニーランドやマクドナルドのハンバーガーのように均質化され、民族的な個性や文化的な伝統は衰退してゆく。アダム・スミスの仮定した小規模経済集団における会社から、国際経済の植民地的収奪を行う大会社(企業)に。会社の不採算部門を自然と資源のある国に事業として売り出し、自国に利益をもたらす怪物に変化する。しかしながら、もはやこれらの植民地的な略奪を可能とするフロンティアは無くなっている。アメリカを主導にNAFTAやGATTという国際機関を通じて貿易の不均衡(自国の文化の押し付け)を生み出してきたが、国際機関もようやく「富イコール金銭的豊かさ=文明度の相違」ではないことに気が付き、WTOを発足。これにより、それぞれの国における天然資源や自然文化が護られ、効果的(!?)な経済配分が行われようとしている。 つまりこれからは極端に言えば、ビジネスと技術発展の場である市場セクター、公益のために強制力を行使する政府セクター、特定の利害を持つ人々の代弁をする市民セクターにそれぞれ分化して金銭的報酬は二の次に働くような流れになるのだろうか。(免責事項)このブログは一般図書の一部を抜粋要約し、筆者の独断と偏見に基づき改編したものです。このブログで当該分野にご興味をもたれた方は図書館で借りる、ないしは書店にて本をお買い求めになり、全文を精読されることをお薦めします。 

Tuesday, May 10, 2022

『酒と戦後派』(埴谷雄高:講談社文芸文庫)

埴谷雄高は荒正人、平野謙、本多秋五、山室静、佐々木基一、小田切秀雄らと創設した「近代文学」の同人であり、『死霊』という形而上学的思弁小説と呼ばれる非常に難解な作品を書いた人である。北杜夫さんの随筆を読んでいると、埴谷さんと会うとあらゆる分野の興味深い話題をとめどなく語りだし、パチンコ玉がじゃらじゃら出てくるようだったと書いている。また、五木寛之さんは饒舌に語る埴谷さんの話の内容があまりにも面白いので、メモをとらせていただきたいと申し出たという。私はこれらのエピソードから、埴谷氏の著書を読んでみたいと『ラインの白い霧とアクロポリスの円柱』という本を買った。しかし、なにせ平凡な中学生だったので途中で「ラインの白い霧」を挫折した。その後、社会人になり『ラインの白い霧』を読んでみるとパルテノン神殿の描写とヨーロッパの歴史に関する蘊蓄が素晴らしく、また「吉本隆明がデモで敗走し塀をこえて逃げた先が警視庁で、吉本は警察庁の玄関から降りてきた」という面白いエピソードまで書かれていた。二匹目の泥鰌を狙って、本屋で『埴谷雄高思想論集』『埴谷雄高文学論集』を買ったがどちらも難解で理解できず本棚の肥やしになってしまった。そして先日、何気なくインターネットで検索してみると講談社文芸文庫から『酒と戦後派』という人物随想録が出ているのを知り、また挫折するのではないかと危惧し値段も文庫本で1,700円と高値だったが思い切って購入した。酒を飲むと誰かれかまわず「馬鹿野郎!!」と叫ぶ石川淳、推理小説の犯人あてゲームが好きだった坂口安吾、犯罪者顔の椎名麟三、一瞥するだけで人物を洞察してしまう武田泰淳、常に四十五度の角度で酒を飲む梅崎春生、思考回転の速い三島由紀夫、スローモーション野間宏、絶えず小説を書く井上光晴、愛妻家島尾敏雄、無口な原民喜、静謐と寂莫の堀辰雄、帯広で療養生活していた福永武彦、「死霊」を十三回読んだ高橋和巳、強靭な精神力澁澤龍彦、古風な言葉使い大庭みな子、ドン・キホーテ壇一雄、二十三歳の大学教授辻邦生、精神科医加賀乙彦、風来坊田村隆一等などさまざまな作家の横顔を活写している。(免責事項)このブログは一般図書の一部を抜粋要約し、筆者の独断と偏見に基づき改編したものです。このブログで当該分野に興味をもたれた方は図書館で借りる、ないしは書店にて本をお買い求めになり、全文を精読されることをお薦めいたします。