人間は社会を離れては存在しえない。
どれほど現実の人間関係に絶望しても、やはりわれわれは人間のなかで生活しなければならないのだ。
このような状況に追いこまれたとき、人間は観念の世界に逃れて平安を守るか、志を同じくする人々と結んで社会の変革のためにたたかうか、そのいずれかを選ばなくなる。
(「無」の効用)
水流れて境に声なし、喧に処して寂を見るの趣を得ん。山高くして雲碍えず、有を出で無に入るの機を悟らん。
満々たる水が、音もたてずに流れてゆくのを見れば、さわがしいなかに身を置いても心の静けさを保つ心境を悟ることができよう。
(心と外界)
時、喧雑に当たれば、平日記憶するところのものも、みな漫然として忘れ去る。境、清寧にあれば、夙昔遺忘するところのものも、また恍爾として前に現わる。見るべし、静躁やや分るれば、昏迷とみ異なるを。
ざわざわとした騒がしいなかでは、日ごろ記憶していたことさえ、うっかりと忘れてしまう。静かで安楽なときには、とうの昔に忘れていたことまで、まざまざと思い出す。
環境の静けさ、さわがしさは、やはり心に影響して、意識をはっきりとさせたり、くもらせたりするものだ。
(和光同塵)
出世の道は、すなわち世を渉るなかにあり。必ずしも人を絶ちてもって世を逃れず。了心の功は、すなわち心を尽くすうちにあり。必ずしも欲を絶ちてもって心を灰にせず。
俗世間を離れる道は、この社会でくらしていくなかにある。人とのつきあいを絶って、社会から逃避しなければならないわけではない。
悟りをひらくための努力は、自分の心の働きを十分に生かすなかにある。しいて欲望を殺し、心を冷えきらせることではない。
(迷いは欲から)
われ栄を希わずんば、なんぞ利禄の香餌を憂えん。われ進むを競わずんば、なんぞ仕官の危機を畏れん。
立身出世の欲がなければ、高禄の誘惑にも迷わない。人を出しぬく気持ちがなければ、左遷やクビの心配もいらない。
(妙味を知る者)
一字識らずして、而も詩意あるは、詩家の真趣を得。一偈参せずして、而も禅味あるは、禅教の玄機を悟る。
文字は一字も知らなくとも、心に詩情があれば、真に詩の精神を理解することになる。
(出典:「菜根譚」(洪自誠著、神子侃・吉田豊訳:徳間書店)
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