Thursday, May 28, 2009

鬱病ニツポン   ― 引きこもり120万人の闇 ―(続)

一九九七年にガス会社を辞めたハルオは、その後三年間自分の部屋にこもり続けた。「雨戸を閉めて音楽を聴いていた」と、彼は言う。「昼か夜かもわからなかった」



もう一人の男性は、話し好きの二九歳。彼も社会とのかかわりを避けてきた。バスの運転免許を取得したが、バス会社の面接試験を受けに行く勇気がどうしても出ない。「履歴書にある五年間の空白を、どう説明すればいいかわからない」ためだ。


東京近郊の精神病院に通院するこの二人は「引きこもり」と呼ばれる日本特有の病に冒されている。まだ明確な定義はないが、一ニ〇万人の若者が苦しんでいるという推定もある。その七割は男性だ。




10年以上のケースが8%


彼らは人前に出るのを怖がり、妄想に悩まされる。太陽の光を嫌い、強い不安に襲われる。そして社会との間に壁をつくり、ひたすら部屋に閉じこもる。
「彼らは自分が醜く、臭いと思っている」と語るのは、千葉県船橋市の佐々木病院で引きこもりんの支援プログラムを主宰する斎藤環。「近所の人に見られていると思い込み、カーテンや黒い紙で窓を覆うようになる」


 急増しているとみられる引きこもりは、若者の病的な犯罪と結びつけられがちだ。孤独な若者による殺人事件が九〇年代半ばから相次いでいるため、そういう印象が生まれている。


だが、こうした見方は社会不安をあおり、引きこもりの本質を覆い隠すだけだ。この症状は今に始まったわけではなく、専門家の間では七〇年代に認識されていた。以来、引きこもり者はほとんど治療を講じられないまま増えてきた。多くの研究家が考えている。


青少年健康センターがニ〇〇一年五月に発表した調査によると、引きこもりを続けているケースが八%近くに及んでいる。


専門家の間にさまざまな見方があるにせよ、一致する点がい一つある。それは、事態が確実に悪化しているということだ。


日本の若者に最初に異変が見られたのは、七〇年代の学校だった。専門家はこぞって、急増する「登校拒否」に意味づけを与えようとした。


その一人が、著名な精神科医の稲村博(故人)。稲村は登校拒否を精神疾患ととらえ「アパシー(無気力)症候群」を提唱した。




支援プログラムで社会復帰


稲村の教え子だった斎藤は、今も稲村の研究を参考にしている。斎藤によれば、幼少時に心的外傷を負うと「大人になるのをやめ」、それが引きこもりにつながるという。


一方、引きこもり者を対象とした雑誌を発行する松田武己は、引きこもりは精神現象ではなく社会現象だと考えている。


引きこもりを生む元凶だと松田がみているのは、能率ばかりを重んじる日本のシステムだ。企業は若い社員に順応を求め、学校では目立つ子供(肥満、できる子、動作がのろい子など)がいじめにあう。「日本のさまざまな問題を一つの山に例えれば、引きこもりはその頂上にある」と、松田は言う。


斎藤が主宰する外来の支援プログラムでは、コミュニケーション能力の回復をめざすセッションを週二回行っている。家族向けのカウンセリングや、心理療法も実施。これまでの参加者の約30%が社会復帰を果たしたという。




経験の共有が最初の一歩に


プログラム参加者の多くは、不機嫌で無口、暴力を振るうことさえある。最近参加しはじめたニ〇前半の男性は「家中の壁を、こぶしでたたいて穴を開けた」様子を説明して、こう言った。「表を歩くときは、ポケットに手を突っ込むようにしていた。人を殺さないために」


別の男性は自分のことを「典型的なオタク」と称する。友達はプログラム参加者だけだしガールフレンンドは一生できないと思っている。インターネットに引きこもりをテーマにしたチャットルームが登場し、松田の雑誌にはたくさんの投書が届く。東京に住むニ九歳の男性は最近の投書で、「引きこもるようになって丸一年。絶望から逃れられない」と書いた。「借金の担保に、家が取られてしまうかもしれない。そのときは廃人になるだろう」


同じ思いの人とコミュニケーションをもつことが大切だと、松田は言う。「経験を共有できる場があり、彼らがお互いに話ができれば、それが最初の一歩になる。でも友人をつくるための薬は、この世には存在しない」


薬に代わるものはただ一つ、彼らが部屋から外へ踏み出すことかもしれない。





(出典:“Newsweek(ニューズ・ウイーク日本版)“(2001年9月5日号):ジョージ・ウェアフリッツ、高山秀子、デボラ・ホジソン:TBSブリタニカから抜粋)

Monday, May 25, 2009

鬱病ニツポン   ― 引きこもり120万人の闇 ―(正)

日本経済はこの十二年の間に循環し再び不況や雇用情勢の悪化が叫ばれるようになりました。幸い以前のように、新卒採用にともなう「就職超氷河期」と言われる事態は未だ聞こえてきませんが、一昔言われた所謂「五月病」の時期です。今回は8年前の話ですが、社会的病理として認知されだした「引きこもり」「ニート」に対する社会的認識を高めるために、当該記事を再掲いたします。


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  東京の夕暮れどき。帝国ホテルのラウンジは、スーツ姿のサラリーマンで一杯だった。


彼はその群れに、違和感なく溶け込んでいた。それもそのはず。三年前までは彼自身も自信にあふれ、誇らかに仕事に打ち込む企業戦士だったのだから。



だが日本経済の衰退は、彼の勤める会社を直撃した。十九九八年の秋ごろから、得体のしれない不安で「精神的に参り」はじめる。


最初は眠れなくなった。そのうちに電車が最寄り駅に近づくと、激しい疲労感に襲われるようになった。終点まで乗り過ごし、体調が悪いから休むと会社に電話を入れたことも一度ではない。


大手企業に勤める五〇代のこの男性は、匿名を条件に本誌に語った。「ロープを買いに行き、車のトランクに入れておいた。首をつりたくなった日のために」


幸い、その日はこなかった。勤務先の診療所の医師が、救いの言葉を投げかけてくれたからだ。「鬱病は治る」と。それから一年間、カウンセリングと抗鬱薬の治療を続けた。「ある朝、もうロープはいらないと気づいた。だから近所の池に投げ捨てた」


だが日本では、実際にロープを木にかける人も多い。あるいは傷ついた心をスーツの下に隠したまま勤務電車に身を投げるかだ。


八月初めに警視庁が発表した統計によると、昨年の自殺者は全国で三万十九五七人。三年連続で三万人を超えた。交通事故による死者の三倍にあたり、人口一〇万人当たりの自殺率はアメリカの約二倍にのぼる。


このうち男性が七一%。九〇年代後半から自殺が急増している背景には、不況の直撃を受けたサラリーマンがいる。昨年残された遺書のうち、三分の一近くが経済的苦境に触れていた。




お粗末な精神医学の現場


他の先進国なら、こうした状況に警鐘が鳴らされてもおかしくない。だが日本では、鬱病は弱さの証明とみなされる。なにしろ、自ら命を絶つことが侍の流儀とされた国だ。


訓練を受けた心理療法士も少なく、医師の大半は精神疾患を治癒できないか、したくないかのどちらかだ。患者も「まさか自分が」という思いも強く、初めから助けを求めようとはしない。


鬱病の実態調査さえ行われていない。心理学者の小田晋・筑波大学名誉教授が言うには、日本は「精神衛生問題の危機に直面している」。


とくに危機的状況にあるのが、鬱病に悩むサラリーマンだ。サラリーマンのストレスに詳しい関谷神経科クリニック(東京)の関谷透通院長は言う。「彼らは必死に働くうちに中年になり、リストラやレイオフにあう。すると、ほとんどの人は助けを求めず、侍と同じく自殺を考える」


助けを求めても、たいていは社内の診療所で初歩的なケアを受けるくらい。その診療所があるのも、ひと握りの大企業だけだ。




仕事も社会生活も失って


会社に必要とされなくなった人は「恋人に裏切られたかのように落ち込む」と、東京管理職ユニオンの山崎洋道副委員長は言う。


リストラされた人の大半は会社中心の生活を送っていたから、ほかの世界を知らない。会社人間の彼らにとって、仕事を失うのは社会生活を奪われるのも同然だ。家族と向き合おうにも、どう接すればいいかわからない。失業者を見る世間の冷たい眼がそれに追い打ちをかける。こうして行き場を失った人々だ。悩み相談を受ける「東京いのちの電話」では、働く男性からの電話が、この一年で二倍に増えた。


京都府立医科大学の反町吉秀は法医学者の立場から、鬱病と自殺の関連性を目の当たりにしていた。反町によれば、中年男性の自殺者の多くは失業からまもなく命を絶っている。


反町は現在、日本とスウェーデンを比較し、自殺と失業の関係を研究している。高所得・低失業者率を誇っていた両国は、ともに九〇年代後半に景気が後退した。しかし日本は逆に、スウェーデンの自殺率は減少している。


なぜ日本は自殺が多いのか、その理由として反町は、労働倫理が厳格なこと、社会保障制度がスウェーデンより劣っていること、そして鬱病に悩む労働者に対する治療体制が不十分なことを指摘する。「精神の病気は体の病気ほど深刻とみなされていないため、心理学の専門家の地位も高くない」と、同協会の大塚義孝専務理事は言う。



医師にこそ偏見がある


日本の平均的な医療施設が行っている精神医学のケアをA~Fの六段階で評価してほしいと、ある著名な精神科医に尋ねたところ、「E」という答えが返ってきた。だが、実際はもっとひどいかもしれない。


WHO(世界保健機関)が九〇年半ばに実施した調査によると、日本の医師は精神病の八一%を見落とすか誤診していた。鬱病の症状が見られるのに、軽い精神安定剤を処方するだけのことも多いという。


ある鬱病患者は、医師からどんな本を読んでいるかと質問されて村上春樹と答えたら、なんの説明もなく、こう言われたという。「そんな本を読んでいるようじゃ治らない」(村上の小説「ノルウェイの森」の主人公の恋人は精神を病んで施設に入っている)。




まず問題を認識すること


世界でも高齢化のペースが速い日本では、高齢者の自殺も年々深刻化している。自殺者数が六年連続で全国トップとなった秋田県は、全国四〇%上回っている。自殺者の多くは高齢者で、山がちな豪雪地帯での暮らしに寂しさを感じさせるせいかもしれない。


自殺を防ぐための第一歩は、国全体が問題を認識することかもしれない。


夫を一昨年自殺で失った妻は、神戸郊外の自宅で仏壇に手を合わせて涙ぐんだ。夫が二九年勤めた会社から、子会社である九州の工場に出向を命じられたのは、一昨年の夏。あわただしい異動だったため、やむなく単身赴任した。


表向きは課長に栄転という形だつたが、二四時間稼働の工場で部下はいなかった。出向から四ヵ月後の十二月半ばに、娘の一九歳の誕生日に、彼は工場で自殺した。


妻によれば、自殺直前の数週間の労働時間は一日一四~一六時間。休日もなく、会社のサポートもなかった。一ニ月一一日、夫は「疲れたから寝る」と言って電話を切った。それが夫婦の最後の会話になった。


社長は「ホームシックだよ」と一蹴し、酒を勧めながら「頑張れ」と励ました。



それは、追い込まれた彼が、何よりも聞きたくない言葉だった。


(出典:“Newsweek(ニューズ・ウイーク日本版)“(2001年9月5日号):ジョージ・ウェアフリッツ、高山秀子、デボラ・ホジソン:TBSブリタニカ)