一九九七年にガス会社を辞めたハルオは、その後三年間自分の部屋にこもり続けた。「雨戸を閉めて音楽を聴いていた」と、彼は言う。「昼か夜かもわからなかった」
もう一人の男性は、話し好きの二九歳。彼も社会とのかかわりを避けてきた。バスの運転免許を取得したが、バス会社の面接試験を受けに行く勇気がどうしても出ない。「履歴書にある五年間の空白を、どう説明すればいいかわからない」ためだ。
東京近郊の精神病院に通院するこの二人は「引きこもり」と呼ばれる日本特有の病に冒されている。まだ明確な定義はないが、一ニ〇万人の若者が苦しんでいるという推定もある。その七割は男性だ。
10年以上のケースが8%
彼らは人前に出るのを怖がり、妄想に悩まされる。太陽の光を嫌い、強い不安に襲われる。そして社会との間に壁をつくり、ひたすら部屋に閉じこもる。
「彼らは自分が醜く、臭いと思っている」と語るのは、千葉県船橋市の佐々木病院で引きこもりんの支援プログラムを主宰する斎藤環。「近所の人に見られていると思い込み、カーテンや黒い紙で窓を覆うようになる」
急増しているとみられる引きこもりは、若者の病的な犯罪と結びつけられがちだ。孤独な若者による殺人事件が九〇年代半ばから相次いでいるため、そういう印象が生まれている。
だが、こうした見方は社会不安をあおり、引きこもりの本質を覆い隠すだけだ。この症状は今に始まったわけではなく、専門家の間では七〇年代に認識されていた。以来、引きこもり者はほとんど治療を講じられないまま増えてきた。多くの研究家が考えている。
青少年健康センターがニ〇〇一年五月に発表した調査によると、引きこもりを続けているケースが八%近くに及んでいる。
専門家の間にさまざまな見方があるにせよ、一致する点がい一つある。それは、事態が確実に悪化しているということだ。
日本の若者に最初に異変が見られたのは、七〇年代の学校だった。専門家はこぞって、急増する「登校拒否」に意味づけを与えようとした。
その一人が、著名な精神科医の稲村博(故人)。稲村は登校拒否を精神疾患ととらえ「アパシー(無気力)症候群」を提唱した。
支援プログラムで社会復帰
稲村の教え子だった斎藤は、今も稲村の研究を参考にしている。斎藤によれば、幼少時に心的外傷を負うと「大人になるのをやめ」、それが引きこもりにつながるという。
一方、引きこもり者を対象とした雑誌を発行する松田武己は、引きこもりは精神現象ではなく社会現象だと考えている。
引きこもりを生む元凶だと松田がみているのは、能率ばかりを重んじる日本のシステムだ。企業は若い社員に順応を求め、学校では目立つ子供(肥満、できる子、動作がのろい子など)がいじめにあう。「日本のさまざまな問題を一つの山に例えれば、引きこもりはその頂上にある」と、松田は言う。
斎藤が主宰する外来の支援プログラムでは、コミュニケーション能力の回復をめざすセッションを週二回行っている。家族向けのカウンセリングや、心理療法も実施。これまでの参加者の約30%が社会復帰を果たしたという。
経験の共有が最初の一歩に
プログラム参加者の多くは、不機嫌で無口、暴力を振るうことさえある。最近参加しはじめたニ〇前半の男性は「家中の壁を、こぶしでたたいて穴を開けた」様子を説明して、こう言った。「表を歩くときは、ポケットに手を突っ込むようにしていた。人を殺さないために」
別の男性は自分のことを「典型的なオタク」と称する。友達はプログラム参加者だけだしガールフレンンドは一生できないと思っている。インターネットに引きこもりをテーマにしたチャットルームが登場し、松田の雑誌にはたくさんの投書が届く。東京に住むニ九歳の男性は最近の投書で、「引きこもるようになって丸一年。絶望から逃れられない」と書いた。「借金の担保に、家が取られてしまうかもしれない。そのときは廃人になるだろう」
同じ思いの人とコミュニケーションをもつことが大切だと、松田は言う。「経験を共有できる場があり、彼らがお互いに話ができれば、それが最初の一歩になる。でも友人をつくるための薬は、この世には存在しない」
薬に代わるものはただ一つ、彼らが部屋から外へ踏み出すことかもしれない。
(出典:“Newsweek(ニューズ・ウイーク日本版)“(2001年9月5日号):ジョージ・ウェアフリッツ、高山秀子、デボラ・ホジソン:TBSブリタニカから抜粋)
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