一九九ニ年(平成四年)、大学の図書館に入って驚いたのはその蔵書が未整備なことと、所謂(いわゆる)「第三の新人」の遠藤周作氏の評論集までもが既に発刊されていたことである。漠然と、この世代は亜流として評論家から無視されているものとひとり決め込んでいたので私にとっては驚きだった。
恩師が「大学というところは、専攻は関係がない。自分の好きな事をやりなさい」と助言してくれ、かつ大学の講師が商学部を卒業してから文学部英文学科に再び学士入学したという奇妙な符合に喜んでいた時であったので、出鼻を挫かれたような不快な気分になった。
当時の私の気分は加藤周一氏の随筆集等は、所詮(しょせん)私達の手の届かぬもの、せめてブルジョアと大衆の狭間にある作家の全集を読み込んで、何らかの評論が書けたら、という思いがあったので無念だった。当時の流行作家の村上春樹氏の作品は私の感覚では中間小説、現代新感覚派ともいうべきもので、こんなものを評価するのは亜流のなかの亜流、それこそ文学部の笑いの種になる題材であるので、私は『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド(上)』以降、一切読まなかった。
そこで海外の小説をということになったが、いきなり「20世紀の世界文学」(新潮社)という本が出回り、第二外国語で真剣に文法を覚え単位を取ろうとする。しかしががら、二年間文法の勉強をしたがモノにならない。教養科目は至極つまらないので、専門分野に的をしぼり専門学校に通う。四回生時、「社会関連会計」という「原価計算論」履修済で既存の固定概念で固まった頭では、本当に学問になるにならぬかわからない分野を生涯かけて追及しようか、とも思いましたが、諸先輩方あまりにも鋭い方が多いので馬鹿馬鹿しくなり諦めて社会に出ました。
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