皆さんは、少年青年期に、どうも社会になじめそうにないのでいっそ出家してお坊さんになろう、あるいは社会で悩みに悩み、その悩みを肉親や弁護士さんでなく、お坊さんに悩みを打ち明けたいと思ったことはないでしょうか。
私も三十近くに悩みに悩んで、人生の先輩のところにぶらりと足を運び話をしたところ「会社を人生の修業の場と考えてやればいいじゃないか」といさめられたことがあります。
最近の文学者のなかでは、新進作家の京極夏彦氏が仏教に興味を持ちお寺の跡取りに嘱望されたいた、あるいは玄侑宗久氏がお寺の跡取りは嫌だと新興宗教をわたりあるいた等、文学者と日本文化の根底に横たわる仏教のかかわりは切っても切り離せないものがあると思います。
本書の紹介に戻りますと水上勉氏というと初めに記憶違いがあり、『金閣炎上』という作品を書かれたということで、新聞の文藝欄に書かれた三島由紀夫氏の『金閣寺』の主人公である寺僧が服役後自らの心境を綴った手記と思い違いをしたせいか、「寺で働きながら苦学して大学を出た人」というイメージからか、何か暗く見てはいけない世界をのぞき込むようで、後輩にもすすめられたことがありましたが避けていた作家の一人です。
本作品は水上氏の自伝的随筆で、葬儀用のお棺を造ることを家業とする実家の話から始まり、「むぎわら膏薬」というわずかな分量のもぐさを叩いて粉にして京都のあらゆる薬局に売り歩く行商の話に続きます。水上氏はその後、立命館大学を出て京都職業安定所に勤め、学校の先生になったりしてどんどん大家になられていくという水上氏にしては珍しく明るい内容です。
その中に商人の心得として忘れられない言葉が「当世職業談」にあります。その言葉を読んで、何となく仏教もキリスト教も似ているではなないかと想いました。
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