Thursday, November 25, 2021
『地獄の思想』(梅原猛:中公文庫)
梅原猛と親交のあった哲学者やすいゆたかさんの推薦により読んでみた。この本は梅原氏初の書き下ろしで、この本を出版するにあたってはためらいもあったようで「はじめに」にその心理的葛藤が綴られている。「私の母胎は一冊の本を生み出すほど成熟していないのではないか(略)もう一年、あるいは三年、あるいは十年、私の胎内において、じゅうぶん養分を吸収して世にでるべきではなかったか」と綴っている。
私が感服したのは、日本の思想を流れるのは、生命の思想(自然崇拝)心の思想(感覚的意識)、地獄の思想(人間の苦悩を内省する哲学)と三つの原理ではないか、と仮説を立て、平安時代まで有力であった仏教宗派を、神道と密教は生命の思想、唯識は心の思想、天台は地獄の思想と区分し、さらに鎌倉以降の仏教も日蓮宗は生命の思想、禅宗を心の思想、浄土宗を地獄の思想というように大胆に区分してみせたことである。また、仏教の六道十界に至るまでの思想の変遷(釈迦は小乗仏教であったため、後の編纂者が大乗仏教を説き天台智顗が大乗を選びとったとしている。念仏往生を批判した日蓮は本質が書かれた「法華経」くらい読めと大喝した。親鸞は己自身が地獄にいるので、地獄の証明は不要であった等)を読み解いている。第二部は仏教的視点から見た古典及び現代文学の解釈をおこなっており、「源氏物語」では仏教的影響を否定した本居宣長の読み誤りを指摘し、仏教的観点からみた「源氏物語」を語っている。その他、「平家物語」「能」「近松心中物」「宮沢賢治」「太宰治」の底流にながれる仏教思想を例示してみせた。(免責事項)このブログは一般図書の一部を抜粋要約し、筆者の独断と偏見に基づき改編したものです。このブログで当該分野に興味をもたれた方は図書館で借りる、ないしは書店にて本をお買い求めになり、全文を精読されることをお薦めいたします。
Wednesday, November 10, 2021
『夏の末』(川上宗薫:広済堂出版)
この本は川上宗薫氏の独特な文体で始まる。「原子爆弾が投下されて戦争が終り、翌年、紀彦は大学に入った。けれども、ひどい下宿難から、長崎に帰っていた。勉学心も乏しかったので、紀彦は、そういう事態をよろこんでいたといってもよい。」この本は容易には察せられない男女のこころの中の機微を、執拗で細微な筆で描いている。主人公の紀彦は牧師の息子に生れ、十分な配給を受けており、文化協会で知り合った、乏しい配給しか与えらない冴子にメリケン粉を分けてやっている。そこから冴子との交際が始まるのだが、なかなか発展しない。著者が男女の恋愛の機微に通じているのは次のくだりでもわかる。「近づきたがっている男女が時としてお互いに無関心を装いがちなのは、不自然なまでに過敏であるためで、だから、彼らは、ちょっとした自然な外見を帯びたきっかけさえあれば、もうその自然さにすっかり安心してしまい、こんどは平気で不自然な接近を目論見はじめるのだ」冴子には高い矜持があり、紀彦が好きでも、メリケン粉を分けてもらったといううしろめたい気持ちがあり、メリケン粉のために体を許したといようなことは絶対に嫌だと思っている。そこに冴子に惚れた駒井という男が金を冴子に与えて交際を迫る、といった作品です。川上宗薫氏はのちに官能小説の大家となりますが、初期の純文学として書かれたこの作品は、恋愛という行為はこれほどの忍耐や歳月が必要でこころを狂わせ消耗させるものか、と改めて感心させられました。(免責事項)このブログは一般図書の一部を抜粋要約し、筆者の独断と偏見に基づき改編したものです。このブログで当該分野にご興味をもたれた方は図書館で借りる、ないしは書店にて本をお買い求めになり、全文を精読されることをお薦めします。
Sunday, November 07, 2021
『五番町夕霧楼』(水上勉:新潮文庫)
京都駅で土産を買い求めていると、「夕子の八つ橋」という商品が並んでいた。その説明書きを読んでみると「水上勉氏の小説、五番町夕霧楼の主人公夕子にちなんで命名しました」と書いてあった。その後、家の本棚を漁っていると、はからずも「五番町夕霧楼」が本棚から転げ落ちてきたので読んでみることにした。夕子は与謝半島の突端にある樽泊に生れ十九になるころに、西陣の遊郭に売られてきた女性である。遊郭の女主人にかわいがられ、西陣の織元の大旦那に水揚げされる。ところが、女主人のしらないところで、同じ郷里の名刹鳳閣寺の僧である青年を楼にあげ通じていた。青年は吃音で同じ寺の学僧に執拗な嫌がらせを受け、また僧としての将来にも絶望し、鳳閣寺と心中するつもりで鳳閣寺を燃やしてしまう。かいがいしく吃音の青年の身の回りのことをしていた母親は事件が発覚すると、列車のデッキから保津川に飛び降り自殺してしまう。そして夕子も樽泊に戻り服毒自殺してしまう。読後感は「救いがない小説だ」と思った。夏目漱石の「坑夫」に出てくる華奢な都会の青年も最後は肉体労働ではなく帳面をつける仕事をあてがわれたではないか。「善人なおもって往生を遂ぐ悪人をや」という言葉があるように、マスコミの完膚なきまでの青年僧やその親族に対する暴露や非難はあまりにも哀れに思った。(免責事項)このブログは一般図書の一部を抜粋要約し、筆者の独断と偏見に基づき改編したものです。このブログで当該分野にご興味をもたれた方は図書館で借りる、ないしは書店にて本をお買い求めになり、全文を精読されることをお薦めします。
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