Wednesday, November 06, 2024
『獄中記』(佐藤優:岩波現代文庫)
先日、三宮の古本屋で本を探していると「チェコ文学短編集」という本があった。どうゆう作品なのだろうと思って手に取ってみると「佐藤優訳」と書いてありぎょっとした。この人は出獄後も外務省時代と同じように2、3時間くらいしか寝ずに仕事をしているのではないかと思った。『獄中記』は背任・偽計業務妨害事件で逮捕された佐藤優氏が出獄するまでの512日勾留された間に弁護団や友人、同僚に向かって心境を綴った手紙や日記をまとめたもので非常に読みごたえがあった。佐藤優氏が訴えたいのは二つあり「鈴木宗男先生を利用するだけ利用しつくし、いざ調子が悪くなるとドブに蹴落とすというのも外務省らしくて、なんの意外性もないところが恐ろしいです。だからこそ、私は対露外交渉のみならず、「政官関係」について佐藤裁判を通じて明らかにすることが。鈴木先生の名誉のために重要だと思っているのです」ということと、「国策調査とは真実追求するものではなく、政治ゲームの一局面なのだということを「思考する世論」に理解させる」ことだそうです。獄中での佐藤氏は当時の神学部で必須であった英語、ドイツ語、新約聖書、ギリシア語、古典ギリシア語、ヘブライ語、ラテン語を学ぶことを志し、手始めになじみのあるドイツ語の文法の本を取り寄せて学習しはじめたそうです。またユルゲン・ハーバーマス、へーゲル、ハンナ・アレントの著書を取り寄せてもらいアレントの言説を引きながら「自己の安楽、家族の利益、を超えたところで日本国家について考える幹部外交官がいないと国家は滅びる」と警鐘を述べています。そして鈴木宗男氏の8月29日から一カ月ほどたった10月8日に保釈されました。恩人である鈴木宗男氏を護るため中島敦の「弟子」に出てくる子路のように獅子奮迅の働きをされたと思います。(免責事項)このブログは一般図書の一部を抜粋要約し、筆者の独断と偏見に基づき改編したしたものです。このブログで当該分野にご興味をもたれた方は図書館で借りる、ないしは書店にて本をお買い求めになり、全文を精読されることをお薦めします。
Friday, April 12, 2024
本屋大賞と津村記久子
2024年の本屋大賞は宮島未奈さんの「成瀬は天下をとりにいく」に決まった。昨年ほどではないが、今年もニュース7の最初のニュースに取りあげられ、芥川賞・直木賞を凌駕する勢いである。私はあまりニュースや新聞を見ないのでいちがいにいえないが、今年芥川賞を受賞した九江理江の「東京都同情塔」がフラッシュ・ニュース(15秒程度ではないか)に取り上げられただけでその違いは寂しい限りである。
今日の毎日新聞の社会面によると宮島未奈さんは静岡県富士市出身の大津市在住。今回の受賞作がデビュー作であるそうだ。しかしながら記事を読んでいると、宮島さんの紹介のつぎに毎日新聞で夕刊に連載されていた津村記久子さんの「水車小屋のネネ」は本屋大賞の第2位であった、という自社で連載した作品を少し紹介したいような不自然なコメントが付け加えてあった。そして総合面には「本屋大賞第2位」と銘打たれた大々的な本の広告があり、毎日新聞の連載小説である津村の作品ををおおいに買ってもらいたいという意図がみえる。
津村といえば「ポストライムの舟」という作品で芥川賞を受賞し、そんなに目立たない作品だったのでよくこんな地味な作品が選評者の眼にとまったものだと思ったものだが、新聞の連載が始まると、題名からして面白そうだと思い最初は熱心に読んでいた。また連載中に「やり直し世界文学」という本も刊行されこちらも面白そうなのでこちらもいつか買って読みたいと思った。津村記久子は今回の本屋大賞第2位に輝き、純文学のみならず直木賞的な作品も書けるフィールドの広さを認知させた。
最後に芥川賞だが、最近とみに世の中の世相の最先端(暗号資産だの生成AIだの)を取り上げた作品が受賞しているが、あまりにも直接的すぎて「時代にはその時代の精神なり情操があり」「それをくみ取ったものこそ時代が迎い入れられる」というのと少し違うような気がする。石原慎太郎氏は「最近の作品は市場マーケティングを綿密にした作品が受賞している」と言ったが、そういった傾向が芥川賞をしらけさせていると言えはしないか。
Saturday, November 18, 2023
『男流文学論』(上野千鶴子・小倉千加子・富岡多恵子:ちくま文庫)
私のこの本との出会いは、先月三宮のジュンク堂で何気なく手にとった本に「退屈を描いて退屈させてしまった『鏡子の家』」という目次に心ひかれたからである。結局買わなかつたのであるが、その後もそのキャッチフレーズが何度も夜中に思い出されて消えなかったので、休日に急いで本屋に走ったことに始まる。もっとも、この私の熱狂ぶりは遅きに失した観がある。解説の斎藤美奈子さんによればこの本が発刊された1992年1月の新聞広告を見て、斎藤さんは本屋が開店すると一目散に本をつかんでレジに走ったというし、本の帯には刊行当初から話題騒然となりすさまじい論議を呼び起こしたエポックメイキングな鼎談とあり、ちくま文庫創刊35周年にともなう記念復刊とあった。上野千鶴子女史によれば「男性中心的な二流、三流の文学をとりあげて「ワラ人形」叩きをやりたくはなかった。(中略)論ずる値打ちのある力量のある作家(中略)男たちがそのねうちを疑ってみようとしない作家だけをとりあげたいと思った」とある。吉行淳之介は「『砂の上の植物群』のリアリティのなさは、吉行がしょせん私小説家だからである」「昭和38年の性の求道者も、いまどきギャルにはフツ―の風俗」という評定をくだされ、島尾敏雄は小説「「死の棘」は、ミホを巻き添えにした、敏雄の病の往還記である」と言われ、谷崎潤一郎は「カテゴリーとしての女、ペットとしての愛」と断ぜられた。他に小島信夫、村上春樹、三島由紀夫も俎上にあげられ容赦なく批評されている。この鼎談をおこなうにあたって上野千鶴子、小倉千加子、富岡多恵子は作家を選び、作品を選び、それに関連する文芸評論のほとんどすべてに目を通し、毎日送られてくる分厚いコピーの束は段ボールいっぱい分くらいあったという。これらの鼎談は「読書会」と称され一年近くおこなわれたという。私はこの本を読んで衝撃を覚えましたが皆さんはどうでしょうか。(免責事項)このブログは一般図書の一部を抜粋要約し、筆者の独断と偏見に基づき改編したものです。このブログで当該分野にご興味をもたれた方は図書館で借りる、ないしは書店にて本をお買い求めになり、全文を精読されることをお薦めします。
Monday, April 24, 2023
『ぴんはらり』(栗林佐知:筑摩書房)
「むかし、あったがだと。山の奥の、山奥の、そのまた奥の在郷にや、鏡てもんが、なかったてや」冒頭から方言で始まるこの小説は、2006年に「峠の春」という題名で発表され、第22回太宰治賞を受章した作品である。新潟県松之山町(現・十日町市)の方言を全篇にわたって自然に何のてらいもなく使いこなしている。その裏には筆者の松之山町の方言や植物の熱心な研究と探求がうかがわれ、その作品は一定のこころよい旋律に乗り、筆は軽妙にして洒脱である。方言はその地方の文化の基盤である。近年の少子化や人口流出で、いつか廃れ絶えてゆくだろう方言が物語により歴史的な道標として、また一箇の作品として結実としている。内容は主人公おきみが、眼の不自由なおハツさんの弾く三味線にひかれたりするが「いっちょめいの村の女(おなご)になりてい」と望み、働き者のおきみは六右衛門の息子巳代吉のもとに嫁ぐことになるが、その縁談はある事件を切っ掛けに破談となってしまう。嫁入り前に好意を抱いていた作次にも無視されてしまい、絶望に陥ったところに、庵主さまが「死んではならねえど。死んではならぬ。どったらに汚れても。おてんとうさまにせっかくあたった命だば。ナァの好きにしてはならぬ」となだめられ、最後に眼の不自由なゴゼンボさんたちの三味線の仲間に入れてもらうべく追いかけてゆく。ちなみに改題した「ぴんはらり」という言葉は、昔話の語りの最後に言う言葉で「とっぴんぱらりのぷう」「こいでいちごさけた」と同様な意味であるそうである。(免責事項)このブログは一般図書の一部を抜粋要約し、筆者の独断と偏見に基づき改編したものです。このブログで当該分野に興味をもたれた方は図書館で借りる、ないしは書店にて本をお買い求めになり、全文を精読されることをお薦めいたします。
Thursday, April 20, 2023
『とちおとめのババロア』(小谷野敦:青土社)
本作品は2018年3月に「文学界」に発表され話題を呼んだ作品である。小室圭さんと眞子さまの結婚騒動が起こる前である。著者の小谷野敦氏がアマゾンの書評に自ら投稿したコメントによると本作品は「天皇制を批判した小説」であるという。物語は東大卒で現在は女子大学でフランス文学を講じる38歳の大学准教授が、ネットお見合いをするところから始まる。そこで出会った女性が皇室の一員で皇統譜にも記載されている松浦宮の出身のヨウコである。外国文学や映画の話があい意気投合した二人は恋愛関係に陥る。民間人と皇室の交際とはどのようなところに行き、どのような会話をするのか興味をそそられるのだが、二人は喫茶店にいったり相撲にいったりしながら、我々庶民とは及びもつかぬ高度でハイソな会話をおこなっている。最後に波乱はあるものの、両家の両親の承諾を得て二人は無事結婚にこぎつける。通常、皇室に触れることはタブーで腰が引けてしまうのだが、小谷野氏は大胆に皇室の内部に踏み込み皇室の日常をあますことなく描いている。皇室の今を描いた快作。(免責事項)このブログは一般図書の一部を抜粋要約し、筆者の独断と偏見に基づき改編したものです。このブログで当該分野に興味をもたれた方は図書館で借りる、ないしは書店にて本をお買い求めになり、全文を精読されることをお薦めいたします。
Thursday, April 13, 2023
『太陽の男 石原慎太郎伝』(猪瀬直樹:中央公論社)
私は石原慎太郎氏の円熟期の作品である「法華経を生きる」「弟」「わが人生の時の時」「聖餐」を読んだことがある。親戚が逗子に住んでいた頃があり、昔は夏場などに母方の親類が集まってこぞって海水浴にいったそうです。また石原氏は私の両親と同じ昭和一桁世代であるので、親から受け継いだ当時の時代認識や時代感覚を共有しているため物語にすぐに没入でき、懐かしい昭和の情景をそこはかとなく感じとれました。本編で意外に思ったのは、三島由紀夫氏が小説家として石原氏を強く意識し、いつか石原氏に追い越されるのではないか、という危機感があったという事です。私はこの評伝を読むまで小説家としては三島氏の方が断然上だと信じていましたが、どうもそのようではないようです。私は読んだことはありませんが、石原氏の中期に発表された「亀裂」という長編に触発されて三島氏が「鏡子の家」を書いたそうです。また、これは有名な話ですが、石原氏がベトナム戦争の取材の後ウィルス性肝炎にかかり入院したときに、三島氏から丁重な手紙がとどき、蘇生した石原氏は参議院に出馬する決心をかためたという話ものっています。石原氏の作家としての業績を再評価した作品。(免責事項)このブログは一般図書の一部を抜粋要約し、筆者の独断と偏見に基づき改編したものです。このブログで当該分野に興味をもたれた方は図書館で借りる、ないしは書店にて本をお買い求めになり、全文を精読されることをお薦めいたします。
Tuesday, April 11, 2023
回想の八木博氏(5)
シリコンバレーに戻った八木さんは、脱炭素化、分散化、デジタル化というエネルギー産業の変革をビジネス機会とするCleantechという分野の市場調査、技術調査、特許調査をおこなうIMANETという会社を設立し、再びシリコンバレーと日本を往復するようになった。八木さんは大阪に用事がある時はリッツカールトンを根城にしていたようで、私はそこの喫茶店でとりとめのない話をした。「八木さん。社名の由来はなんですか」と問うと「人生今しかないじゃないか。それでIMANETだよ」「そんなに生き急ぐのは何故ですか」「シリコンバレーは技術革新の激しいところだからね。今挑戦しなければ人生後悔すると思ったからね」息子さんがアメリカの大学を卒業しヨーロッパの大学院で哲学を学びにいったということも聞いた。一方、青雲の志をもって証券会社に移った私はさえないことこの上なく、顧客に提案する資本政策という表のエクセルの計算がとんでいたり、「プロの投資家」という概念がどうしてもわからず顧客が増資するたびに必ず増資の書類を大阪国税局に届けさせたりした。最後には顧客に信頼してもらうために担当会計士に「シリコンバレーに家を構えたユニークな人がいます。その人を交えて飲みませんか」と言って信頼をかちとろうとしたこともあった。朝7時に出勤しその日の日経新聞を一時間かけて読み、午前か午後に顧客のところに行き、空いた時間に明日の顧客に提案する資料を深夜までかかって作って帰る。そんな日々のなか一年が経ち、人を出し抜いたり出し抜かれたりする中で「確固たる地位を得たい」という不遜なこころが浮かんできた。その日は、二日連続の土砂降りの雨の日だった。八木さんとホテルで会うと開口一番「すみません。もう八木さんに頼るのは止めたいんです。このままじゃ僕は杜子春になってしまう」と言った。「杜子春?」「仙人に眼をかけてもらって仙術で大金持ちになったりするあの杜子春です。このままじゃ僕は最後に杜子春が仙人になりたいと言ったのと同様に八木さんのようになりたいというに決まっています」私は自分の不甲斐なさにいら立ってテーブルを拳固で激しく叩いた。「もう、僕は必要ないんだな」八木さんが言った。「長州の敗北を知った高杉晋作はたった一人で街道をまっしぐらにかけていったんだ。その後に力士隊、奇兵隊がつづいて。もう大丈夫だな」そう言うと、八木さんは立ち上がり握手をした。「これまで本当にありがとうございました」私はホテルの薄暗いロビーに消えてゆく八木さんの姿が見えなくなるまで頭を下げた。
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