過日、直木賞設定について偉そうなことを述べましたが、私の知識は直木賞設定の初期のものだけでして、今回、五木寛之著の「僕の出会った作家と作品」を読んで本格的に直木賞作家の作品を読んだことがあるか、といえば皆無に等しいと自覚しました。
また、私は好きな作家の全作品を通読したことがあるのか、と問われれば、残念ながら歴史・推理小説作家以外は読んだことがありません。今回新進作家の方の数の多さ、作品数の多さを見るにつけ、話題がなくなったと思っておりました文学の世界も随分才能のある人がいるのだ、とわかりました。結論としては、賞をとるも作家としての地位を得るも、作家自身の自己の作風に対する強い執念にあると考えました。
私のような素養のない者が差し出がましく、感想文めいたものを発表してきたことに罪悪感を感じ、また批評家ならびに作家の方の仕事にご迷惑をおかけしておりましたらお詫び申し上げます。
当書評のなかで図書館で是非読んでいただきたいのは、1983年(昭和58年)11月「小説現代新人賞 第41回」の「該当者なし」に書かれた、「軽薄短小を排す」という銓評です。
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「軽薄短小を排す」
(前略)投げ銭目あての大道芸とて、その陰には人に言えない血の涙が流されているはずだ。その苦しみを観客に気取られることなく、はた目に遊びと見える芸こそ、プロのスピリットなのではあるまいか。
こんな文句を選評の場で書きつらねるのも年とって小うるさくなっただけのことなく、最近じつに安易な遊び半分のアマチュア小説を読まされている事に閉口しているせいである。
なにもアマチュアリズムを否定しているわけではなく、たとえ新人賞への応募作品であっても、そこにプロをもひしぐ面構えと気組みがあってしかるべきだと思うのだ。
(免責事項)
このブログは一般図書の一部を抜粋要約し、筆者の独断と偏見に基づき改編したものです。このブログで当該分野にご興味をもたれた方は図書館で借りる、ないしは書店にて本をお買い求めになり、全文を精読されることをお薦めします。
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