(1)対談集『気骨について』(城山三郎;新潮文庫) より抜粋
城山三郎氏と加島祥造氏との対談にて、
加島祥造氏:
「老子を私は英語訳で読んだんですが、英語だとじつにモダンに映るんです。
「コップは、中が詰まっていたら何の役にもたたない」という言い方から始まって、部屋の中だって中がいっぱいだったら部屋じゃないとか。
英訳だと、すごく新鮮に響くんです。
彼らは簡単な言葉に言いかえてますからね。
原文を読んでいるときはまったくピンと来なかった。
(『タオー老子』筑摩書房参照)
(感想)
ヨーロッパ人が漢字を知ると、一つ一つの記号がそれぞれ意味を持っているという、漢字の厳密な思想に驚くそうです。
そして東洋の思想家は、日常の思考や言語から区別されるだけでなく、他の知識分野や考察方法からも区別される、独自の用語と方法が形成されることを望む。
したがって、漢字で書かれた文章は訓詁学的に難しくなる。
化学記号は漢字の考え方を敷衍して出来たといいますが、日本の学術用語も、意味を限定し、厳密であろうとしすぎるがゆえに難解になってしまうのではないかと思います。
朝日新聞の天声人語に「止揚(アウフベーン)」という哲学用語をドイツの下女が何気なく使っているのを日本の哲学者がみて感心したところ、それは一般日常用語であった、という例が書いてありました。
日本の学術用語は少し難しすぎるのではないでしょうか。
とりあえず、老荘思想を理解するにはまず、英語からということです。
(2)『下流志向』(内田樹;講談社)より引用
内田樹氏:
精神科のお医者さんに聞いたんですけれども、思春期で精神的に苦しんでいる場合、親に共通性があるそうです。
(中略)
子供たちが発信する「何かちょっと気持ち悪い」とか「これは嫌だ」とかいう不快なメッセージがりますね。それを親の方が選択的に排除してしまう。
(感想)
親がいやがる不快な事象や記号は、遺伝的に子供にもいやな事象や記号として伝わると解釈してよいのでしょうか。
(たとえば親子とも貧乏を想起させるイメージや記号を極度に恐れ、嫌悪する等)
そうだとすれば、これはちょっとした発見である。
そうした子供たちが嫌がる対象物を知覚して、それへの適切な処方箋を提示できるのは、親である可能性が最も高い、いうことになります。
(3)『ザ・プロフェッショナル』(大前研一;ダイヤモンド社)
大前研一氏:
さらに、会計士です。
エンロン・スキャンダルをはじめ、西武鉄道グループやカネボウの粉飾決算など、プロフェショナリズムの不在は言うまでもないでしょう。
しかも、アメリカでは<クイッケン>をはじめとする家計簿ソフトが登場したことで、スペシャリストとしての会計士や税理士が提供する財務サービスの大半が「コモディティ化」、つまり洗剤や歯磨き粉のような、ありふれた存在になってしまったのです。
早晩、日本でも同じ状況が訪れるでしょう。
(感想)
たしかに優秀な会計ソフトベンダーに、制度会計を標準化するソフトを開発してもらえば、会計処理のあいだに人が介在する余地をなくならせてしまうでしょう。
しかしながら「現代は答えのない時代に直面する時代」だそうです。
試算表が出来る前にどんな工程が存在するのかを認識して、制度化できない部分に価値の比重がかかって来るようになるのではないでしょうか。
特に経営者向けの情報を作成する企業内会計(Management Accounting)の分野は企業によって費目の重要性(特にホワイトカラーの数値的な表現)が異なるため、企業ごとに思考する会計サービスというものが重要になってくるでしょう。
アメリカには(Management & Discussion)という項目があります。文章表現が巧みな者がアンダーライターとなりうるでしょう。
財務会計はSAP、ディスクロージャーは亜細亜証券印刷・宝印刷のノウハウをシステム化すれば簡単に出来てしまいます。民間企業の会計監査は簡便なものとなるでしょう。
会計士は会社内会計士としてマネジメント・アカウンティングをとるか、公会計に携わって公の会計士となるか、民間企業の監査に当たるか会計士にとって三つの選択肢があるわけです。コンピュータ対人間という構図になるわけです。
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