或る心理学者の本を読んでいて、戦後の高度成長期を支えてきた人たちは「失われたものを取り戻す」という執着のつよいパラノイア的人間は、鬱病前性格者ともいえる人が多いという、というくだりがありました。
また、この種の人間は、仕事にエネルギーを投入し現実から逃避する傾向があり、カレン・ホルナイという精神分析医が「驚異的な働き手」という名称を付けたくらい、仕事ばかりしていて性的に不能であるとか仕事依存症で私生活が破壊されいても平気な人々が多いという。彼らが何故、私生活やこころの豊かさを代償にしてまで、仕事にアイデンティティーを求めるかといえば、高度成長期時代の「仕事イコール社会的豊かさへの貢献」というイメージが未だ残存していたからだといいます。そしてこの心理学者は「今の日本人の価値基準を変えない限りこころの豊かさをともなう生活はできない」と結論づけます。
表題の『裸の王様』は、1958年(昭和三十三年)に発表された作品で、大量生産時代に適合する均質な人間の確保を主眼とする抜け目のない経済社会の風潮に浸食されて空しく消えてゆく人間的な美徳の消滅を自嘲する作品です。
登場人物は個人で児童画塾を開く主人公、小学校の教師で画家の山口、絵具会社社長の大田、後妻の大田夫人、先妻の子太郎である。話は画を描かせることによって、子供の抑圧されたこころの開放と画の背後にある子供の個性を導きだそうとする塾を経営する主人公のもとに、実母が死んだ後こころを開こうとしない太郎が預けられることから始まります。
主人公は個人的にデンマークのコペンハーゲンにあるアンデルセン振興会の事務局と手紙のやりとりを通じて信任を得、アンデルセン童話という共通のテーマで子供に空想画を描かせて交換し、風土や慣習の相違がもたらす認識の違いを比較検討する約束をとりつけます。しかしながら、この話の進捗具合を知っていたかのように大田が経営する絵具会社の横槍が入り、この個人的な慈善活動だった筈のアンデルセン振興会との画の交換の約束は、全国的な美術家や教育評論家を巻き込んだ公募の児童画コンクールとなってしまいます。太郎もじょじょに絵画塾の仲間と遊んだり絵を描きだすようになって他人にこころを開きだします。そして「裸の王様」の物語から太郎が想起した画を鑑た主人公は、主人公密かに怖れていたある事態が進行していることを太郎までも知っていることに気が付きます。
コンクールの会場には主人公が嫌悪していた、教師が気に入るように描かれた、出来合いの絵本をそのまま描いた画が山積みされてしまいます。現代の物質主義の前に敗れ去った主人公は、コンクールを発案した見返りに、如才なく実社会と理想のあいだを立ちまわって生きていた友人の山口の実社会への入口までも遮断してしまいます。
(参照:『日本型うつ病社会』(加藤諦三著:PHP文庫)
(免責事項)
このブログは一般図書の一部を抜粋要約し、筆者の独断と偏見に基づき改編したものです。このブログで当該分野にご興味をもたれた方は図書館で借りる、ないしは書店にて本をお買い求めになり、全文を精読されることをお薦めします。
Wednesday, February 10, 2010
Saturday, January 09, 2010
『風媒花』(武田泰淳著:新潮文庫)
或る識者の随筆に「現代の勇気」と題されたものがあり、ある兵士が憶病であったがため一言も上官の命に反抗せず、好まない仕事も憶病のためとうてい否とはいえず引き受けてしまい、その職責を全うして勇敢なる兵士として死んでいった。彼の勇気は憶病の別名であった、というくだりがありました。
さらにこの識者は、「戦後の日本を支配した価値体系は、平和、寛容、協調、社会性であり、勇気は、ほとんど徳の中の主要な徳にはいることができなくなってしまいました。」と述べています。たしかに、私が会社に入ってから身に付けたのは「社内での議論はイケナイ」、「議論を白熱させて喧嘩をおこすような人材は論外である」、「上司の命令に少しでも批判めいた言葉をはさむと、そんなことは言わないでくれといわれる」等、理性とはいいませんが自分なりの価値観をさしはさむと、社内で生きにくくなる、という体験にもとづく処世術でした。
この武田泰淳氏の『風媒花』は、戦後日本 - 戦後処理が未決の占領下、日本の国体さだまらぬなか、社会主義のソヴィエト連邦、共産主義の中華人民共和国、自由民主主義のアメリカ、戦前の国体を維持しようとする少数の日本人が、4つの異なるイデオロギーの脅威のもと、どの理念が覇権をにぎり、戦後日本の国是となるかという不安定な政情のなか、生死をかけてうごめく群像の姿を当時の風俗を交えながら描いた作品です。
日中戦争に従軍し日本に帰国した峯三郎。官憲の眼をくぐり「中国研究会」に所属し大衆小説を書き妻の蜜枝を養う。そこに妻の弟でロシアの覇権を信じる守、峯の元情婦桃江、富豪で中国人の母を持つ蜜枝の元夫三田村が、この研究会を自らのイデオローグのおき場所として生活しています。中心は帝大に籍をおいていた支那研究の老大家鎌原智雄、父の名声に押されて政治活動にかりだされようとする文雄。陸軍刑務所で兵士生活の大半を過ごしアジテーションが得意な評論家軍地。新聞社の西と高校教師の原、大学講師の梅村、失業者の中井、会社員の黒田などが雑居します。
話は老大家鎌原智雄の死とその長男文雄の墜落死から急展開します。老大家鎌原や峯の知らないうちに会員の誰かが秘密裏にどんどん膨らませていった新中国反対に対する攻撃的な「中国研究会」の示威活動。その一環とも思えるPD工場における青酸カリ混入未遂事件。軍地が画策する台湾上陸作戦。日本の中ロアの占領下にあった日本において生きる峯とその妻たちは一市民として如何に行動しこの事態をくぐりぬけてゆくか。
それぞれの人々がさまざまな予兆に基づいて独善的でとんでもない行動をするのだけれども、最後にはその脈絡のないめいめいの行動が、ある一人の人物の良心によって収束して未然に事件が処理される。おおきな騒動と紙一重のところで生きている会員相互のこころがどこかでつながっていた、というような感動を最後に呼び起こしてくれるような作品です。
(免責事項)
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さらにこの識者は、「戦後の日本を支配した価値体系は、平和、寛容、協調、社会性であり、勇気は、ほとんど徳の中の主要な徳にはいることができなくなってしまいました。」と述べています。たしかに、私が会社に入ってから身に付けたのは「社内での議論はイケナイ」、「議論を白熱させて喧嘩をおこすような人材は論外である」、「上司の命令に少しでも批判めいた言葉をはさむと、そんなことは言わないでくれといわれる」等、理性とはいいませんが自分なりの価値観をさしはさむと、社内で生きにくくなる、という体験にもとづく処世術でした。
この武田泰淳氏の『風媒花』は、戦後日本 - 戦後処理が未決の占領下、日本の国体さだまらぬなか、社会主義のソヴィエト連邦、共産主義の中華人民共和国、自由民主主義のアメリカ、戦前の国体を維持しようとする少数の日本人が、4つの異なるイデオロギーの脅威のもと、どの理念が覇権をにぎり、戦後日本の国是となるかという不安定な政情のなか、生死をかけてうごめく群像の姿を当時の風俗を交えながら描いた作品です。
日中戦争に従軍し日本に帰国した峯三郎。官憲の眼をくぐり「中国研究会」に所属し大衆小説を書き妻の蜜枝を養う。そこに妻の弟でロシアの覇権を信じる守、峯の元情婦桃江、富豪で中国人の母を持つ蜜枝の元夫三田村が、この研究会を自らのイデオローグのおき場所として生活しています。中心は帝大に籍をおいていた支那研究の老大家鎌原智雄、父の名声に押されて政治活動にかりだされようとする文雄。陸軍刑務所で兵士生活の大半を過ごしアジテーションが得意な評論家軍地。新聞社の西と高校教師の原、大学講師の梅村、失業者の中井、会社員の黒田などが雑居します。
話は老大家鎌原智雄の死とその長男文雄の墜落死から急展開します。老大家鎌原や峯の知らないうちに会員の誰かが秘密裏にどんどん膨らませていった新中国反対に対する攻撃的な「中国研究会」の示威活動。その一環とも思えるPD工場における青酸カリ混入未遂事件。軍地が画策する台湾上陸作戦。日本の中ロアの占領下にあった日本において生きる峯とその妻たちは一市民として如何に行動しこの事態をくぐりぬけてゆくか。
それぞれの人々がさまざまな予兆に基づいて独善的でとんでもない行動をするのだけれども、最後にはその脈絡のないめいめいの行動が、ある一人の人物の良心によって収束して未然に事件が処理される。おおきな騒動と紙一重のところで生きている会員相互のこころがどこかでつながっていた、というような感動を最後に呼び起こしてくれるような作品です。
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Tuesday, November 24, 2009
『「新しい人」の方へ』(大江健三郎著:朝日新聞社)
とかく文学少年というと厄介な存在である。
私のイメージのなかでの文学少年は、普段は憶病でおとなしくしており、眼の前で起こっていることに対して関心をしめしているのかいないのか判じかねるところがあります。しかしながら、文章を書かかせてしまうときちんとした論理で克明とはいえないまでも事態を一つの話題として形成する能力をもっており、その上地域のなかで処理したい禁忌めいたはなしも自己の哲学であきらかにしてしまう。いわば油断ならない厄介ものとみられがちである。
そんな“厄介な変わり者”だった大江氏が作家になり、家族関係からも解放された後に回顧する随筆めいた小説十五篇。
「電池ぐれで」は、戦後占領軍に占拠された寒村の村の小学校で起こった「理科室ボヤ騒ぎ」というエッセイをめぐる“となり村にすむ年上の理科系の少年”からの抗議の手紙からはじまる半世紀ぶりの対話、当時の記憶の修正、その時代の回顧。
「意地悪のエネルギー」は、いわゆる年上の女性徒による“いじめ”。中学生だった筆者の雑誌に掲載された「詩」をめぐる、二歳離れた姉の友人たちからうけた青少時に特有なカラカイ。ああいった意地悪さって所謂「怨望」じゃないのかなあ、という筆者の回想。
「知識人になる夢」は、高校時代にフランス文学者の渡辺一夫先生の本を読んで“知識人”になる覚悟をした筆者にあびせられる家族からの“一般的な知識人になる”ことを想定しての反対の声、その時自分なりに思い描いた“知識人”の像、そして今現在「読書人」として生きている自分が“経験を文章で共有できている”という歓び。
この作品は、誰もが青年期にもちそうな感情を、大江氏固有の感傷や時代背景をただよわせながら非時系列的に、さまざまな利害関係者を傷つけないように綴っておられます。このうねりにうねった文章を読者がたどってゆくと後は、煙のような心地よさだけが残ります。
(免責事項)
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私のイメージのなかでの文学少年は、普段は憶病でおとなしくしており、眼の前で起こっていることに対して関心をしめしているのかいないのか判じかねるところがあります。しかしながら、文章を書かかせてしまうときちんとした論理で克明とはいえないまでも事態を一つの話題として形成する能力をもっており、その上地域のなかで処理したい禁忌めいたはなしも自己の哲学であきらかにしてしまう。いわば油断ならない厄介ものとみられがちである。
そんな“厄介な変わり者”だった大江氏が作家になり、家族関係からも解放された後に回顧する随筆めいた小説十五篇。
「電池ぐれで」は、戦後占領軍に占拠された寒村の村の小学校で起こった「理科室ボヤ騒ぎ」というエッセイをめぐる“となり村にすむ年上の理科系の少年”からの抗議の手紙からはじまる半世紀ぶりの対話、当時の記憶の修正、その時代の回顧。
「意地悪のエネルギー」は、いわゆる年上の女性徒による“いじめ”。中学生だった筆者の雑誌に掲載された「詩」をめぐる、二歳離れた姉の友人たちからうけた青少時に特有なカラカイ。ああいった意地悪さって所謂「怨望」じゃないのかなあ、という筆者の回想。
「知識人になる夢」は、高校時代にフランス文学者の渡辺一夫先生の本を読んで“知識人”になる覚悟をした筆者にあびせられる家族からの“一般的な知識人になる”ことを想定しての反対の声、その時自分なりに思い描いた“知識人”の像、そして今現在「読書人」として生きている自分が“経験を文章で共有できている”という歓び。
この作品は、誰もが青年期にもちそうな感情を、大江氏固有の感傷や時代背景をただよわせながら非時系列的に、さまざまな利害関係者を傷つけないように綴っておられます。このうねりにうねった文章を読者がたどってゆくと後は、煙のような心地よさだけが残ります。
(免責事項)
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Saturday, September 19, 2009
「雁と胡椒」(埴谷雄高著:未来社)
戦後の焼け跡のなかから、本多秋五氏、荒正人氏、平野謙氏らとともに「近代文学」を創設した埴谷雄高氏の透明感あふれる随筆集。
武田泰淳氏の作品に対する論評が素晴らしいのですが、戦時中に陸軍参謀本部跡にある情報局検閲官としていかがわしい学生同人誌に対しても紳士的かつ人道的な姿勢を保つつづけたというエピソード(安岡章太郎氏談)のある平野謙氏にまつわる随筆を引用してみました。
敏感な直覚者
この一年半ばかりのあいだに、武田泰淳、竹内好、そして、平野謙と最も親しい友達をつづけて永劫の国へ送り出すことになって、遠からずひきつづいて夜明けもないそこを訪れることになる私達は、その何処かに永劫に話しあえる場所でもあらかじめつくっておいてもらうより仕方がないのである。
嘗て、『「近代文学」創刊まで』という文章で、私はこう書いたことがある。
「『近代文学』の発足後半年ほどたったとき、皆で熱海へ旅行したことがあるが、そのとき、宮本百合子に触れた平野謙の文章がきっかけになって、各人の性格を時代別に規定したことがある。各人の特徴はお互い解っているので、論議もなく忽ち決定したのが、次のようであった。古代人―本多秋五、中世人―平野謙、現代人―荒正人、未来人―埴谷雄高。
これなお注釈すると、古代人には動かざること山のごとき男性的要素が含まれていて、しかもその男性的態度は古武士的、家父長的である。中世人はこれに対照的で、女々しく、優柔不断で、絶えず動揺しながら末世からの離脱を希求している。現代人は極めて合理的でスピードを愛し、未来人はそのビックリ箱から何が現出してくるかとうてい解らぬといった具合である。
それはよくこれほど異えられたといえるような組合せで、しかも、それが、全体としてうまく作用していた。つまり、私達の車輪の輪廻は、本多秋五の決して磨滅することもなく狂いもせぬ堅実無比の軸と、荒正人のあれよあれよとはたものが吹き倒れるような突風と爆音をともなったジェット・エンジン的推進力と、平野謙の絶えず往きつ戻りするペシミスティクなブレーキとの組合せによって、ちょうど適当と思われる経済速度と均衡と方向をもち得たのであった。
この最後の平野謙のペシミスティクなブレーキが運営に役立つというのは、一見、奇妙なことに思われる。女性のようにこまかなことに気がつき、予見し、悶え、そして力及ばすと観念し・・・・・そして、そして、ついに消極的な物自体として化して何もしなくなってしまう平野謙が、全体としてみて、前進に役立っているということは、たしかに奇怪なことのように思われる。だが、絶えず足踏みしてブレーキをかけ、面倒なことを彼ひとりで起こしているように見えるすべてが、想いかえしてみると、誰も感じないときに、いち早く鳴りはじめるベルの信号の敏感さをもっているのであって、殊に『近代文学』の初期には彼の動揺性そのものが却ってある種の清潔な時代への先行性をもたらしめたのである・・・・・・。」(中略)その「ものぐさ」同人の彼がつねにいち早く困難な事態を、いわばトロイのカッサンドラのごとく、予見したのである。
回想の平野謙
埴谷雄高です。(中略)平野君は、明治・大正・昭和と自分の生身で実感できる時代の文学だけを扱いました。分際をわきまえる、とか、柄にもないことはしない、と彼はつねにいいました。自分にわからない世界には決して深くは入らない、それが平野謙の一貫した姿勢でありました。もちろん明治以降は、ヨーロッパ文化の輸入の時代でありますから、吾国のなかには、西欧的な多くのものがいわばひしめきあって入っております。けれども、平野君は、西欧的な観念も、イデオロギーも、そのままでは決して受けいれも信じもしなかったのでした。
日本人の心と身体のなかに入ってきたところのヒューマニズムとかマルクシズムにせよ、日本で取った形、取らざるを得なかった形、日本人の心と身体のなかにおける独特の受け取り方、そういう屈折と陰翳なしには、平野君はそれらに触れ、それらを表現するということは、はじめからおわりまでしませんでした。そうした平野君の精神の姿勢からすると、後年問題になりました、外国文学を勉強している若い助教授達の直輸入的文学理論が、気にいらぬことろの表現、「若い批評家ばら」という言葉が出てくることにも必然さがあります。できあいの観念で人間を裁けない、これが平野君の終生の信念でありました。
中世、古代の文学にも関わりをもたない、これも一貫しておりました。自分がこの生身の実感としてわかることだけをひたすら追求しつづけたのでした。
(引用抜粋:「雁と胡椒」 埴谷雄高著著:未来社)
(免責事項)
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武田泰淳氏の作品に対する論評が素晴らしいのですが、戦時中に陸軍参謀本部跡にある情報局検閲官としていかがわしい学生同人誌に対しても紳士的かつ人道的な姿勢を保つつづけたというエピソード(安岡章太郎氏談)のある平野謙氏にまつわる随筆を引用してみました。
敏感な直覚者
この一年半ばかりのあいだに、武田泰淳、竹内好、そして、平野謙と最も親しい友達をつづけて永劫の国へ送り出すことになって、遠からずひきつづいて夜明けもないそこを訪れることになる私達は、その何処かに永劫に話しあえる場所でもあらかじめつくっておいてもらうより仕方がないのである。
嘗て、『「近代文学」創刊まで』という文章で、私はこう書いたことがある。
「『近代文学』の発足後半年ほどたったとき、皆で熱海へ旅行したことがあるが、そのとき、宮本百合子に触れた平野謙の文章がきっかけになって、各人の性格を時代別に規定したことがある。各人の特徴はお互い解っているので、論議もなく忽ち決定したのが、次のようであった。古代人―本多秋五、中世人―平野謙、現代人―荒正人、未来人―埴谷雄高。
これなお注釈すると、古代人には動かざること山のごとき男性的要素が含まれていて、しかもその男性的態度は古武士的、家父長的である。中世人はこれに対照的で、女々しく、優柔不断で、絶えず動揺しながら末世からの離脱を希求している。現代人は極めて合理的でスピードを愛し、未来人はそのビックリ箱から何が現出してくるかとうてい解らぬといった具合である。
それはよくこれほど異えられたといえるような組合せで、しかも、それが、全体としてうまく作用していた。つまり、私達の車輪の輪廻は、本多秋五の決して磨滅することもなく狂いもせぬ堅実無比の軸と、荒正人のあれよあれよとはたものが吹き倒れるような突風と爆音をともなったジェット・エンジン的推進力と、平野謙の絶えず往きつ戻りするペシミスティクなブレーキとの組合せによって、ちょうど適当と思われる経済速度と均衡と方向をもち得たのであった。
この最後の平野謙のペシミスティクなブレーキが運営に役立つというのは、一見、奇妙なことに思われる。女性のようにこまかなことに気がつき、予見し、悶え、そして力及ばすと観念し・・・・・そして、そして、ついに消極的な物自体として化して何もしなくなってしまう平野謙が、全体としてみて、前進に役立っているということは、たしかに奇怪なことのように思われる。だが、絶えず足踏みしてブレーキをかけ、面倒なことを彼ひとりで起こしているように見えるすべてが、想いかえしてみると、誰も感じないときに、いち早く鳴りはじめるベルの信号の敏感さをもっているのであって、殊に『近代文学』の初期には彼の動揺性そのものが却ってある種の清潔な時代への先行性をもたらしめたのである・・・・・・。」(中略)その「ものぐさ」同人の彼がつねにいち早く困難な事態を、いわばトロイのカッサンドラのごとく、予見したのである。
回想の平野謙
埴谷雄高です。(中略)平野君は、明治・大正・昭和と自分の生身で実感できる時代の文学だけを扱いました。分際をわきまえる、とか、柄にもないことはしない、と彼はつねにいいました。自分にわからない世界には決して深くは入らない、それが平野謙の一貫した姿勢でありました。もちろん明治以降は、ヨーロッパ文化の輸入の時代でありますから、吾国のなかには、西欧的な多くのものがいわばひしめきあって入っております。けれども、平野君は、西欧的な観念も、イデオロギーも、そのままでは決して受けいれも信じもしなかったのでした。
日本人の心と身体のなかに入ってきたところのヒューマニズムとかマルクシズムにせよ、日本で取った形、取らざるを得なかった形、日本人の心と身体のなかにおける独特の受け取り方、そういう屈折と陰翳なしには、平野君はそれらに触れ、それらを表現するということは、はじめからおわりまでしませんでした。そうした平野君の精神の姿勢からすると、後年問題になりました、外国文学を勉強している若い助教授達の直輸入的文学理論が、気にいらぬことろの表現、「若い批評家ばら」という言葉が出てくることにも必然さがあります。できあいの観念で人間を裁けない、これが平野君の終生の信念でありました。
中世、古代の文学にも関わりをもたない、これも一貫しておりました。自分がこの生身の実感としてわかることだけをひたすら追求しつづけたのでした。
(引用抜粋:「雁と胡椒」 埴谷雄高著著:未来社)
(免責事項)
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Monday, August 03, 2009
「明治草創啓蒙と反乱」(植手通有著:社会評論社) 啓蒙の精神 第一部 明六社の人々
■ 福沢諭吉
試しにその実証を挙げて云わん。方今、世の洋学者流は、おおむね皆官途に就き、私に事をなす者はわずかに指を屈するに足らず。けだしその官にあるは、だた利を貪るのためにあらず、生来の教育に先入して、ひたすら政府に眼を着し、政府にあらざれば決して事をなすべからざるものと思い、これに依頼して、宿昔青雲の志を遂げんと欲するのみ。あるいは世に名望ある大家先生といえども、この範囲を脱するを得ず。その職業、あるいは賤しむべきに似たるも、その意は深く咎むるに足らず。けだし意の悪しきにあらず、ただ世間の気風に酔いて、みずから知らざるなり。名望を得たる士君子にしてかくのごとし。天下の人、豈にその風に佼わざるを得んや。青年の書生、わずかに数巻の書を読めば、すなわち官途に志し、有志の町人、わずかに数百の元金あれば、すなわち官の名を仮りて商売を行わんと、学校も官許なり、牧牛も官許、養蚕も官許、およそ民間の事業、十に七、八は官の関せざるものなし。ここをもって、世の人心ますますその風に靡き、官を慕い官を頼み、官を恐れ官に諂い、毫も独立の丹心を発露する者なくして、その醜体、見るに忍びざることなり。
丹心:まごころ、赤心
忌諱:忌み嫌うこと
■ 中村正直
余この書を訳すや、客の過ぎりて問う者あり。いわく、子なんぞ兵書を訳さざるやと。余いわく、子、兵強ければ、すなわち国頼以て治安なりと謂うか。かつ西国の強さは兵に由ると謂うか。これ大いに然らず。それ西国の強さは、人民の篤く天道を信ずるに由る。人民に自主の権あるに由る。政寛やかに法公けなるに由る。ナポレオン、戦を論じていわく、徳行の力は、身体の力に十倍すと。スマイルズいわく、国の強弱は、人民の品行に関かると。またいわく、真実良善は品行の本なりと。
独り怪しむ、教法に至りてはすなわち頑然としてなお二百年前の陳腐の国禁を株守し、目するに邪教をもってし、冥然として覚らず、牢として破るべからざるものは、そも何のゆえぞや。陛下すなわちまさに曰わんとす。ただそれ邪なり、故に禁ぜざるをえずと。しからばすなわち陛下何に由ってそのはたして邪なるを知るや。およそ物試みざればこれを知ることあたわず。貴国かつて西国を目して夷狄ならざるを知り、しこうして膺懲の論息む。
膺懲:外敵を討伐する
■ 加藤弘之
仏国のモンテスキウと云える大学者の語に、「自由はドイツの森林中より芽生えせり(ビーデルマンの説に、「自由は実にドイツの森林中より芽生えしかども、その始めて実を結びしは実に英国なりと云えり」)と云いしがごとく、自由の権はまったくドイツの未だ開化に向かわざりし世に起りしものなり。
自由権の種類許多なりといえども、前段挙ぐるところの諸権のごときはもと天賦にして、この権なければ絶えて安寧幸福を求むるあたわざるものなれば、この権はあえて他より奪うものにあらず。もし他よりこれを奪うときは、すなわちその安寧幸福をも併せてこれを奪うものと云うべし。これゆえに人民あれば必ずこの自由権あるはもとより当然のことなり。しかるに開化未全の国においては君主政府ややもすれば暴権をもって天賦の自由権すらなおこれを奪い、もって君主政府の臣僕・奴隷となす。人民の不幸まことに歎ずべきなり。
■ 津田真道、福沢諭吉、森有礼、加藤弘之
道の未だ明らかならざるや、強は弱を圧し智は愚を欺き、そのはなはだしきはこれをもって業としこれをもって快としかつ楽を楽しむ者あるに至る。これすなわち蛮俗の常にしてことにその見るに忍びざるものは夫たる者のその妻を虐使するの状なり。
我が邦俗いやしくも夫婦の交義その間に行わるあるにあらずして、その実その夫たる者はほとんど奴隷もちの主人にて、その妻たる者はあたかも売身の奴隷に異ならず。夫の令するところはあえてその理非を問うことをえず、だた命これ従うもって妻の職分とす。
ゆえに旦暮奔走従事心両らがら夫の使役に供しほとんど生霊なき者のごとくす。しかるに夫の意に充たざるがごとき、すなわち叱咤欧撃、漫罵蹴蹈、その所為実に言うに忍びざるもの間々多し。女子は忍耐を性とするにより、悖逆かくのごときも未だもって深く怨を懐くに至らず。
噫女子の職分それかくのごとく難しくしてその責任またそれかくのごとし重し。しかるに世俗女子をもって男子の遊具となし、酒に色に国紘に歌に放逸不省もって快楽を得ることなし、もしこれを共にせざれば相歯せざるの情勢あり。外国人の我が国を目して地球上の一大淫乱国となすも虚謗にあらざるなり。(中略)三.双方の年齢婚姻に適したること、ただし男二十五歳未満、女二十歳未満なる時はその父母もしくは後見人の許状あるべし。(「妻妾論」森有礼)
およそ弱き者を扶助する、豈に独り男子の婦人におけるのみならんや。政府の人民における父母の子女におけるまた弱きをもって扶助するなり。(政府の人民におけると父母の子女におけるとはその理もとより異なりといえども、しかるに人民各々みずから保護するの理と大異あることなし。)もし弱き者を扶助するにはやむをえず尊敬に類することもなさざるべからずとせば、政府は人民に上位を与えてみずから賤位を取り、父母は子女を上座につかしめて着かしめて己れ次座を占めざるべからず。しかるに西洋といえども決してこれらのことあらずして、(人民は主にして政府は人民のために存在する者なれば、本来の理においては人民上にありて政府下にあるべきがごとくなれども、政府は人民を保護するの大権を掌握せざるべからざるをもって必ず上位を占むるを要するなり。ゆえに共和政治の国といえども政府は必ず人民の上に位するなり。)(「夫婦同権の流幣論」加藤弘之)
旦暮:朝夕
叱咤欧撃:叱咤はしかりつけること、欧撃は殴る、打つ
漫罵蹴蹈:馬鹿にして罵る、蹴蹈は踏みつける
悖逆:道理や法度にたがいもとること
虚謗:あやまった非難
(要約抜粋:「明治草創啓蒙と反乱」(植手通有著:社会評論社)
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試しにその実証を挙げて云わん。方今、世の洋学者流は、おおむね皆官途に就き、私に事をなす者はわずかに指を屈するに足らず。けだしその官にあるは、だた利を貪るのためにあらず、生来の教育に先入して、ひたすら政府に眼を着し、政府にあらざれば決して事をなすべからざるものと思い、これに依頼して、宿昔青雲の志を遂げんと欲するのみ。あるいは世に名望ある大家先生といえども、この範囲を脱するを得ず。その職業、あるいは賤しむべきに似たるも、その意は深く咎むるに足らず。けだし意の悪しきにあらず、ただ世間の気風に酔いて、みずから知らざるなり。名望を得たる士君子にしてかくのごとし。天下の人、豈にその風に佼わざるを得んや。青年の書生、わずかに数巻の書を読めば、すなわち官途に志し、有志の町人、わずかに数百の元金あれば、すなわち官の名を仮りて商売を行わんと、学校も官許なり、牧牛も官許、養蚕も官許、およそ民間の事業、十に七、八は官の関せざるものなし。ここをもって、世の人心ますますその風に靡き、官を慕い官を頼み、官を恐れ官に諂い、毫も独立の丹心を発露する者なくして、その醜体、見るに忍びざることなり。
丹心:まごころ、赤心
忌諱:忌み嫌うこと
■ 中村正直
余この書を訳すや、客の過ぎりて問う者あり。いわく、子なんぞ兵書を訳さざるやと。余いわく、子、兵強ければ、すなわち国頼以て治安なりと謂うか。かつ西国の強さは兵に由ると謂うか。これ大いに然らず。それ西国の強さは、人民の篤く天道を信ずるに由る。人民に自主の権あるに由る。政寛やかに法公けなるに由る。ナポレオン、戦を論じていわく、徳行の力は、身体の力に十倍すと。スマイルズいわく、国の強弱は、人民の品行に関かると。またいわく、真実良善は品行の本なりと。
独り怪しむ、教法に至りてはすなわち頑然としてなお二百年前の陳腐の国禁を株守し、目するに邪教をもってし、冥然として覚らず、牢として破るべからざるものは、そも何のゆえぞや。陛下すなわちまさに曰わんとす。ただそれ邪なり、故に禁ぜざるをえずと。しからばすなわち陛下何に由ってそのはたして邪なるを知るや。およそ物試みざればこれを知ることあたわず。貴国かつて西国を目して夷狄ならざるを知り、しこうして膺懲の論息む。
膺懲:外敵を討伐する
■ 加藤弘之
仏国のモンテスキウと云える大学者の語に、「自由はドイツの森林中より芽生えせり(ビーデルマンの説に、「自由は実にドイツの森林中より芽生えしかども、その始めて実を結びしは実に英国なりと云えり」)と云いしがごとく、自由の権はまったくドイツの未だ開化に向かわざりし世に起りしものなり。
自由権の種類許多なりといえども、前段挙ぐるところの諸権のごときはもと天賦にして、この権なければ絶えて安寧幸福を求むるあたわざるものなれば、この権はあえて他より奪うものにあらず。もし他よりこれを奪うときは、すなわちその安寧幸福をも併せてこれを奪うものと云うべし。これゆえに人民あれば必ずこの自由権あるはもとより当然のことなり。しかるに開化未全の国においては君主政府ややもすれば暴権をもって天賦の自由権すらなおこれを奪い、もって君主政府の臣僕・奴隷となす。人民の不幸まことに歎ずべきなり。
■ 津田真道、福沢諭吉、森有礼、加藤弘之
道の未だ明らかならざるや、強は弱を圧し智は愚を欺き、そのはなはだしきはこれをもって業としこれをもって快としかつ楽を楽しむ者あるに至る。これすなわち蛮俗の常にしてことにその見るに忍びざるものは夫たる者のその妻を虐使するの状なり。
我が邦俗いやしくも夫婦の交義その間に行わるあるにあらずして、その実その夫たる者はほとんど奴隷もちの主人にて、その妻たる者はあたかも売身の奴隷に異ならず。夫の令するところはあえてその理非を問うことをえず、だた命これ従うもって妻の職分とす。
ゆえに旦暮奔走従事心両らがら夫の使役に供しほとんど生霊なき者のごとくす。しかるに夫の意に充たざるがごとき、すなわち叱咤欧撃、漫罵蹴蹈、その所為実に言うに忍びざるもの間々多し。女子は忍耐を性とするにより、悖逆かくのごときも未だもって深く怨を懐くに至らず。
噫女子の職分それかくのごとく難しくしてその責任またそれかくのごとし重し。しかるに世俗女子をもって男子の遊具となし、酒に色に国紘に歌に放逸不省もって快楽を得ることなし、もしこれを共にせざれば相歯せざるの情勢あり。外国人の我が国を目して地球上の一大淫乱国となすも虚謗にあらざるなり。(中略)三.双方の年齢婚姻に適したること、ただし男二十五歳未満、女二十歳未満なる時はその父母もしくは後見人の許状あるべし。(「妻妾論」森有礼)
およそ弱き者を扶助する、豈に独り男子の婦人におけるのみならんや。政府の人民における父母の子女におけるまた弱きをもって扶助するなり。(政府の人民におけると父母の子女におけるとはその理もとより異なりといえども、しかるに人民各々みずから保護するの理と大異あることなし。)もし弱き者を扶助するにはやむをえず尊敬に類することもなさざるべからずとせば、政府は人民に上位を与えてみずから賤位を取り、父母は子女を上座につかしめて着かしめて己れ次座を占めざるべからず。しかるに西洋といえども決してこれらのことあらずして、(人民は主にして政府は人民のために存在する者なれば、本来の理においては人民上にありて政府下にあるべきがごとくなれども、政府は人民を保護するの大権を掌握せざるべからざるをもって必ず上位を占むるを要するなり。ゆえに共和政治の国といえども政府は必ず人民の上に位するなり。)(「夫婦同権の流幣論」加藤弘之)
旦暮:朝夕
叱咤欧撃:叱咤はしかりつけること、欧撃は殴る、打つ
漫罵蹴蹈:馬鹿にして罵る、蹴蹈は踏みつける
悖逆:道理や法度にたがいもとること
虚謗:あやまった非難
(要約抜粋:「明治草創啓蒙と反乱」(植手通有著:社会評論社)
(免責事項)
このブログは一般図書の一部を抜粋要約し、筆者の独断と偏見に基づき改編したものです。このブログで当該分野にご興味をもたれた方は図書館で借りる、ないしは書店にて本をお買い求めになり、全文を精読されることをお薦めします。
Friday, June 12, 2009
ノスタルジー大学生活(図書館篇)
一九九ニ年(平成四年)、大学の図書館に入って驚いたのはその蔵書が未整備なことと、所謂(いわゆる)「第三の新人」の遠藤周作氏の評論集までもが既に発刊されていたことである。漠然と、この世代は亜流として評論家から無視されているものとひとり決め込んでいたので私にとっては驚きだった。
恩師が「大学というところは、専攻は関係がない。自分の好きな事をやりなさい」と助言してくれ、かつ大学の講師が商学部を卒業してから文学部英文学科に再び学士入学したという奇妙な符合に喜んでいた時であったので、出鼻を挫かれたような不快な気分になった。
当時の私の気分は加藤周一氏の随筆集等は、所詮(しょせん)私達の手の届かぬもの、せめてブルジョアと大衆の狭間にある作家の全集を読み込んで、何らかの評論が書けたら、という思いがあったので無念だった。当時の流行作家の村上春樹氏の作品は私の感覚では中間小説、現代新感覚派ともいうべきもので、こんなものを評価するのは亜流のなかの亜流、それこそ文学部の笑いの種になる題材であるので、私は『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド(上)』以降、一切読まなかった。
そこで海外の小説をということになったが、いきなり「20世紀の世界文学」(新潮社)という本が出回り、第二外国語で真剣に文法を覚え単位を取ろうとする。しかしががら、二年間文法の勉強をしたがモノにならない。教養科目は至極つまらないので、専門分野に的をしぼり専門学校に通う。四回生時、「社会関連会計」という「原価計算論」履修済で既存の固定概念で固まった頭では、本当に学問になるにならぬかわからない分野を生涯かけて追及しようか、とも思いましたが、諸先輩方あまりにも鋭い方が多いので馬鹿馬鹿しくなり諦めて社会に出ました。
恩師が「大学というところは、専攻は関係がない。自分の好きな事をやりなさい」と助言してくれ、かつ大学の講師が商学部を卒業してから文学部英文学科に再び学士入学したという奇妙な符合に喜んでいた時であったので、出鼻を挫かれたような不快な気分になった。
当時の私の気分は加藤周一氏の随筆集等は、所詮(しょせん)私達の手の届かぬもの、せめてブルジョアと大衆の狭間にある作家の全集を読み込んで、何らかの評論が書けたら、という思いがあったので無念だった。当時の流行作家の村上春樹氏の作品は私の感覚では中間小説、現代新感覚派ともいうべきもので、こんなものを評価するのは亜流のなかの亜流、それこそ文学部の笑いの種になる題材であるので、私は『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド(上)』以降、一切読まなかった。
そこで海外の小説をということになったが、いきなり「20世紀の世界文学」(新潮社)という本が出回り、第二外国語で真剣に文法を覚え単位を取ろうとする。しかしががら、二年間文法の勉強をしたがモノにならない。教養科目は至極つまらないので、専門分野に的をしぼり専門学校に通う。四回生時、「社会関連会計」という「原価計算論」履修済で既存の固定概念で固まった頭では、本当に学問になるにならぬかわからない分野を生涯かけて追及しようか、とも思いましたが、諸先輩方あまりにも鋭い方が多いので馬鹿馬鹿しくなり諦めて社会に出ました。
Thursday, May 28, 2009
鬱病ニツポン ― 引きこもり120万人の闇 ―(続)
一九九七年にガス会社を辞めたハルオは、その後三年間自分の部屋にこもり続けた。「雨戸を閉めて音楽を聴いていた」と、彼は言う。「昼か夜かもわからなかった」
もう一人の男性は、話し好きの二九歳。彼も社会とのかかわりを避けてきた。バスの運転免許を取得したが、バス会社の面接試験を受けに行く勇気がどうしても出ない。「履歴書にある五年間の空白を、どう説明すればいいかわからない」ためだ。
東京近郊の精神病院に通院するこの二人は「引きこもり」と呼ばれる日本特有の病に冒されている。まだ明確な定義はないが、一ニ〇万人の若者が苦しんでいるという推定もある。その七割は男性だ。
10年以上のケースが8%
彼らは人前に出るのを怖がり、妄想に悩まされる。太陽の光を嫌い、強い不安に襲われる。そして社会との間に壁をつくり、ひたすら部屋に閉じこもる。
「彼らは自分が醜く、臭いと思っている」と語るのは、千葉県船橋市の佐々木病院で引きこもりんの支援プログラムを主宰する斎藤環。「近所の人に見られていると思い込み、カーテンや黒い紙で窓を覆うようになる」
急増しているとみられる引きこもりは、若者の病的な犯罪と結びつけられがちだ。孤独な若者による殺人事件が九〇年代半ばから相次いでいるため、そういう印象が生まれている。
だが、こうした見方は社会不安をあおり、引きこもりの本質を覆い隠すだけだ。この症状は今に始まったわけではなく、専門家の間では七〇年代に認識されていた。以来、引きこもり者はほとんど治療を講じられないまま増えてきた。多くの研究家が考えている。
青少年健康センターがニ〇〇一年五月に発表した調査によると、引きこもりを続けているケースが八%近くに及んでいる。
専門家の間にさまざまな見方があるにせよ、一致する点がい一つある。それは、事態が確実に悪化しているということだ。
日本の若者に最初に異変が見られたのは、七〇年代の学校だった。専門家はこぞって、急増する「登校拒否」に意味づけを与えようとした。
その一人が、著名な精神科医の稲村博(故人)。稲村は登校拒否を精神疾患ととらえ「アパシー(無気力)症候群」を提唱した。
支援プログラムで社会復帰
稲村の教え子だった斎藤は、今も稲村の研究を参考にしている。斎藤によれば、幼少時に心的外傷を負うと「大人になるのをやめ」、それが引きこもりにつながるという。
一方、引きこもり者を対象とした雑誌を発行する松田武己は、引きこもりは精神現象ではなく社会現象だと考えている。
引きこもりを生む元凶だと松田がみているのは、能率ばかりを重んじる日本のシステムだ。企業は若い社員に順応を求め、学校では目立つ子供(肥満、できる子、動作がのろい子など)がいじめにあう。「日本のさまざまな問題を一つの山に例えれば、引きこもりはその頂上にある」と、松田は言う。
斎藤が主宰する外来の支援プログラムでは、コミュニケーション能力の回復をめざすセッションを週二回行っている。家族向けのカウンセリングや、心理療法も実施。これまでの参加者の約30%が社会復帰を果たしたという。
経験の共有が最初の一歩に
プログラム参加者の多くは、不機嫌で無口、暴力を振るうことさえある。最近参加しはじめたニ〇前半の男性は「家中の壁を、こぶしでたたいて穴を開けた」様子を説明して、こう言った。「表を歩くときは、ポケットに手を突っ込むようにしていた。人を殺さないために」
別の男性は自分のことを「典型的なオタク」と称する。友達はプログラム参加者だけだしガールフレンンドは一生できないと思っている。インターネットに引きこもりをテーマにしたチャットルームが登場し、松田の雑誌にはたくさんの投書が届く。東京に住むニ九歳の男性は最近の投書で、「引きこもるようになって丸一年。絶望から逃れられない」と書いた。「借金の担保に、家が取られてしまうかもしれない。そのときは廃人になるだろう」
同じ思いの人とコミュニケーションをもつことが大切だと、松田は言う。「経験を共有できる場があり、彼らがお互いに話ができれば、それが最初の一歩になる。でも友人をつくるための薬は、この世には存在しない」
薬に代わるものはただ一つ、彼らが部屋から外へ踏み出すことかもしれない。
(出典:“Newsweek(ニューズ・ウイーク日本版)“(2001年9月5日号):ジョージ・ウェアフリッツ、高山秀子、デボラ・ホジソン:TBSブリタニカから抜粋)
もう一人の男性は、話し好きの二九歳。彼も社会とのかかわりを避けてきた。バスの運転免許を取得したが、バス会社の面接試験を受けに行く勇気がどうしても出ない。「履歴書にある五年間の空白を、どう説明すればいいかわからない」ためだ。
東京近郊の精神病院に通院するこの二人は「引きこもり」と呼ばれる日本特有の病に冒されている。まだ明確な定義はないが、一ニ〇万人の若者が苦しんでいるという推定もある。その七割は男性だ。
10年以上のケースが8%
彼らは人前に出るのを怖がり、妄想に悩まされる。太陽の光を嫌い、強い不安に襲われる。そして社会との間に壁をつくり、ひたすら部屋に閉じこもる。
「彼らは自分が醜く、臭いと思っている」と語るのは、千葉県船橋市の佐々木病院で引きこもりんの支援プログラムを主宰する斎藤環。「近所の人に見られていると思い込み、カーテンや黒い紙で窓を覆うようになる」
急増しているとみられる引きこもりは、若者の病的な犯罪と結びつけられがちだ。孤独な若者による殺人事件が九〇年代半ばから相次いでいるため、そういう印象が生まれている。
だが、こうした見方は社会不安をあおり、引きこもりの本質を覆い隠すだけだ。この症状は今に始まったわけではなく、専門家の間では七〇年代に認識されていた。以来、引きこもり者はほとんど治療を講じられないまま増えてきた。多くの研究家が考えている。
青少年健康センターがニ〇〇一年五月に発表した調査によると、引きこもりを続けているケースが八%近くに及んでいる。
専門家の間にさまざまな見方があるにせよ、一致する点がい一つある。それは、事態が確実に悪化しているということだ。
日本の若者に最初に異変が見られたのは、七〇年代の学校だった。専門家はこぞって、急増する「登校拒否」に意味づけを与えようとした。
その一人が、著名な精神科医の稲村博(故人)。稲村は登校拒否を精神疾患ととらえ「アパシー(無気力)症候群」を提唱した。
支援プログラムで社会復帰
稲村の教え子だった斎藤は、今も稲村の研究を参考にしている。斎藤によれば、幼少時に心的外傷を負うと「大人になるのをやめ」、それが引きこもりにつながるという。
一方、引きこもり者を対象とした雑誌を発行する松田武己は、引きこもりは精神現象ではなく社会現象だと考えている。
引きこもりを生む元凶だと松田がみているのは、能率ばかりを重んじる日本のシステムだ。企業は若い社員に順応を求め、学校では目立つ子供(肥満、できる子、動作がのろい子など)がいじめにあう。「日本のさまざまな問題を一つの山に例えれば、引きこもりはその頂上にある」と、松田は言う。
斎藤が主宰する外来の支援プログラムでは、コミュニケーション能力の回復をめざすセッションを週二回行っている。家族向けのカウンセリングや、心理療法も実施。これまでの参加者の約30%が社会復帰を果たしたという。
経験の共有が最初の一歩に
プログラム参加者の多くは、不機嫌で無口、暴力を振るうことさえある。最近参加しはじめたニ〇前半の男性は「家中の壁を、こぶしでたたいて穴を開けた」様子を説明して、こう言った。「表を歩くときは、ポケットに手を突っ込むようにしていた。人を殺さないために」
別の男性は自分のことを「典型的なオタク」と称する。友達はプログラム参加者だけだしガールフレンンドは一生できないと思っている。インターネットに引きこもりをテーマにしたチャットルームが登場し、松田の雑誌にはたくさんの投書が届く。東京に住むニ九歳の男性は最近の投書で、「引きこもるようになって丸一年。絶望から逃れられない」と書いた。「借金の担保に、家が取られてしまうかもしれない。そのときは廃人になるだろう」
同じ思いの人とコミュニケーションをもつことが大切だと、松田は言う。「経験を共有できる場があり、彼らがお互いに話ができれば、それが最初の一歩になる。でも友人をつくるための薬は、この世には存在しない」
薬に代わるものはただ一つ、彼らが部屋から外へ踏み出すことかもしれない。
(出典:“Newsweek(ニューズ・ウイーク日本版)“(2001年9月5日号):ジョージ・ウェアフリッツ、高山秀子、デボラ・ホジソン:TBSブリタニカから抜粋)
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