休日なので歌舞伎町を歩いていたら、どういう嗅覚が働いたのか、シネマスクエア東急で「愛についてのキンゼイ・レポート」という映画の看板を見つけた。
「正しい愛のかたちを知らなければならない」と思った私は早速映画館に入館した。
キンゼイ博士と言えば性の科学的な分析により、倫理的に正しい性知識を欧米人に伝授した人というイメージを持っていたのだが、事実は全く逆。
むしろ厳格なキリスト教に基づく倫理的な性道徳から人々を解放した「性の解放者」とでも言うべき人。
厳格なキリスト教徒は自慰行為を禁止している。したがって親は性道徳に正しい人間という仮面をかぶって、子供に対してマスターベーションを厳禁する命令を下す(実際には親も幼年期に自慰行為をやっているのだが)子供は肉体的な欲望と倫理の狭間で葛藤する。
また婚前交渉を禁じて宗教的な理由から誰も性知識を与えないので、夫婦間の性交渉がうまくいかない。
そこでキンゼイ博士は、アメリカ人のあらゆる性生活を聞き取り、人間は誰でも幼年期に自慰行為をおこなうことを公表し、性行為の上手なやり方を大学で講義する。(昔の日本では地域共同体が円滑に機能していたので、乳母や近所のお婆さんがそう言う事をちゃんと伝承していた)
挙句の果ては、キンゼイ博士自ら同僚と同性愛に陥り、奥さんと息子が一緒のベットの上でじゃれあうことを許可する。獣姦の体験を語る被験者の話を不快そうに聞き取るが、研究材料にしてしまう。
ここまで来ると、キンゼイ博士は性の科学処理マシンである。
全米で大問題となり、ロックフェラー財団が資金援助を引き上げたのも納得できる。
しかしキンゼイ博士が多くの人々を性の誤った知識や悩みから救ったことは否定できない。
「自由と倫理」のバランスを考えさせられた映画である。
(後日譚)
何故か、「キンゼイ博士、自由と倫理の狭間で」のアクセス数がダントツ。2位の「世界は村上春樹をどう読むか」を大きく引き離している。
私は性の専門家ではないし、とりたてて好色な訳ではない。
ただ凄いと思うのは、もともとタマ蜂の研究家であったキンゼイ博士の生物学的な樹系図的知識欲である。
養老孟司先生が昆虫を採集し、昆虫の種の壮大な宇宙的な樹系図を築く(昆虫は1年に新種が驚くほど出てくるという)ことに執念を燃やす。
同様に、人間の性行為を樹系図的に峻別していったとなると、なんとなくその相撲七十七手ならぬ、その性行為の宇宙的な広がりに興味がわかないわけではない。
川上宗薫さんという官能小説家がいたが、癌に侵された後『死にたくない!!』という壮絶な本を出版した。
今、何故かその本が記憶に残り、読みたくてたまらない。
これは私に性ならぬ生の執着があらわれた証拠だろうか。
こればかりは理由が分からない。
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