Thursday, August 09, 2007

ジャパン・ナッシングの到来? 日本は米中の実験国に成り下がるしかないのか

 竹村健一氏の主宰する、「ワールド・ワイド竹村」「視点」(2007.08.08.刊 )、「日本の未来を担うリーダー」を読んで驚愕した。 (http://ww-takemura.com/fr_siten_1_t.html)

アメリカの大学で博士号を取得する学生の数が「日本80人に対して中国は2000人」だと云う。

考えるにこの差は、

(1. 中国人にとって英語は吸収しやすい言語である 

  中国語と英語は語順が一緒で、日本人が最も苦手とする発音にかけても中国人は日本人よりも長けている

  よって、中国人は英語に対して親和性が高く、日本人よりも吸収力が高く、英語の学習能力について一日の長がある

(2. 日本人のハングリー精神の欠如 (=知識欲の欠乏)

  戦時中は書物の携帯は厳罰ものだったため、教室から駆り出された学徒たちは動員先の工場で、最前線の特攻機地の片隅で、ひそかに忍ばせた文庫本が寸暇を惜しんでむさぼり読んだそうである。
また戦後、河上肇氏が『貧乏物語』を発刊した頃、発刊を待ちきれない労働者をはじめとする民衆が列をなしてその本を買い求めようとしたといいます。

  活字に飢えて知識欲旺盛だった時代に比べ、今の若者は必要最小限度の知識欲しか持ち合わせていないように思います

(3. 日本はこれまで博士号取得者を上手に活用できなかった
  
   よって「博士号取得者といっても社会で役に立たないじゃないか」との批判が巻き起こり、公費が出なくなり、私費学生が多くなった 

が原因として挙げられます。

アメリカは国籍がどこであれ、優秀な人材が集えば、

「そこがアメリカの素晴らしいところなのだ」

と胸を張って、優秀な人材の求心力となる自分の国家と、招かれてきたその優秀な人材を褒めたたえます。

アメリカの西海岸には、日本のような偏狭なナショナリズムはありません。

いづれ近い未来、中国国籍の優秀な学生がアメリカの政治・経済の重要なポジションを占め、日本は蚊帳の外に置かれてしまうことでしょう。

また、竹村氏のコラムによると、博士号を取得した中国人で帰国を望むのは1割程度であるといいます。

これは、中国人学生が言論統制が存在し、自由がなく、民主主義が根づかず、行動にさまざまな制約のある中国社会に戻ることを嫌がっているためでしょう。

これから考えられるのは、中国は人材を呼び戻すために自由化をさらに推し進め、優秀な学生を中国に戻ってきてもらうために、中国政府はアメリカに渡った中国人学生をパイプ役として、アメリカ主導のもとで米中の絆を深めることに尽力することが予測されます。

では仮に、ジャパン・ナッシングとなった場合、日本のこれからの役割はどのようになるか、というと、

『日本の選択』(ビル・エモット、ピーター・タスカ共著)で、「かつてはジャパン・バッシング、15年前はジャパン・パッシング、これからはジャパン・ナッシングにならないように気を付けてください」との警告があったが、そうならないように、

韓国が今現在、ITの実験国家(インターネット投票・株式の大衆化等)となっているように、

世界で最も先駆的で画期的な政策をおこなう模範国として認識されるよう、世界の叡智を集結し、どのような国家運営が理想か、国民と政治家、財界がお互いが試行錯誤しながら国家運営をすることによって、日本の存在感を高める方策しかないと思うのですが、如何でしょうか。

いくら世界に冠たる債権国だと対外的に誇ってみても、自国民の信頼を得られないような政治、あるいは諸外国の人々が眉をひそめるような事象がたくさん起こるような国では対外的な信用は得られません。

「100歳までの長寿の者多数にして、中高年は仕事にいそしみ、若者の活力満ち溢れ」と評される国に変わって欲しいものだと、一庶民として希望してやみません。

Wednesday, July 04, 2007

大衆社会への警鐘 『ニッポン・サバイバル』(姜尚中著)(続)

姜尚中(カン・サンジュン)さんが語った、

「テレビの流す画一的な情報に流されて、人々が多角的に物事をとらえることが出来なくなくならないよう」

と、注意を喚起されていることですが、これは私にもこころ当たりがあります。

メディアの過剰報道というのでしょうか、失業者イコールなにか訳ありのことをした人、子供に挨拶すると幼女誘拐と間違えられるのではないか、という自意識が過剰になってしまい、平日にのんびりと街に出るような環境でなくなっている気がします。

 これは私が失業時にも思い当たることで、家族の温かさが恋しくて郊外の住宅地に戻っても、失業という後ろめたさから近所を散歩さえ出来ず、ひたすら体重が増えていった、という事がありました。

田舎の会社にいるときに、一緒に働いてきたおばさんから、

「都会の住宅地って、人の交流がないらしいね。ご近所の家に対する遠慮から、そのまま家に引きこもっちゃってブクブク太ってゆくらしいわね」

と恐ろしげに聞かれた事がありました。まさにその通りである。

失業中、人目を忍んで、朝方新聞をとりにいくと、パッと玄関の照明に照らされて、俺はトム・ハンクスの映画に出てくる「メィフィールドの怪人」か、と自分で思ったこともあります。

 また、最近は子供にも声をかけづらくなってしまった。

新幹線に乗っているとき車窓に富士山が見えたので、横に座っていた小さな女の子に「ほら、富士山だよ」と声を掛けると、後ろの座席に座っていた母親が新幹線を降りる際に、不思議そうな顔をして、まじまじと私の顔を見て降りていったことがありました。

私は「何か不審感でも抱かれたのか」と事後、少し悩んでしまいました。

田舎へ行くと、お爺さんお婆さんなどが向かいのコンパートメントを倒して、

「いや、いや、どこから来られましたか」
「いや私は広島から」

などと言ってガヤガヤ話はじめるものだが、昨今はそんなこともない。

昔は電車に乗り合わせるということが、イコール他の文化圏の人との触れ合いということで、互いに乗り合わせたのなら必ず挨拶することが常識だったことを考えると、非常に嘆かわしいことである。

報道とは本当に難しいものだ、と考え込んでしまう昨今である。

(※1) 「メイフィールドの怪人」;ジョー・ダンテ監督、トム・ハンクス主演の映画。隣人がおかしなことをしているのではないかと主人公がさまざまな想像をして恐怖におののくが、実際は何もやっていなかった、というコメディー。

Tuesday, July 03, 2007

大衆社会への警鐘 『ニッポン・サバイバル』(姜尚中著)(正)

姜尚中(カン サンジュン)さんが、人間が生きてゆくうえでぶちあたるさまざまな疑問に対して、読者の声を交えつつ語ってくれています。

その中で、第二章、「自由」なのに息苦しいのはなぜですか? という問いに対しては、潜在能力(ケーパビリティ)のある社会になれば人間は自由になれる、と答えておられます。

インドの経済学者アマルティア・センという人が唱えている、人々が自ら価値を認める生き方を選ぶための潜在能力を拡大することで、人間の本質的な自由が増大する、という考え方だそうです。

そういえば、小生も普段なにげなく見ていた東寺の五重塔が、司馬遼太郎さんの『空海の風景』を読み、弘法大師に真言密教の根本道場として嵯峨天皇から与えられた寺だという歴史的事象を知ることによって、これまで何度か足を運んだことのある高野山の記憶や遠い弘法大師の生涯に思いをはせて、この前とは違ったものにみえるし、悠久の歴史に思いをはせて感動することが出来ます。

さらには、ずいぶん昔の話ですが、高野山のあるお寺の高僧にわざわざ時間を割いていただいて、訓示をいただくという僥倖にも巡り会いました。

つまり、情報なり知識、体験を吸収して自分を生かす力(智恵)にかえて、生きる選択肢を増やすことが、その時コミュニケーションという、人間の本質的な自由な行為に変わり、行動するのに多様な選択肢を与えてくれる、という意味に解釈しています。

また、第5章、激変する「メディア」にどう対応したらいいのか? という疑問に対しては、家族なり、地縁的な結びつきの中で個人がだんだんと社会化していった環境が一変して、そういうネットワークがなくなってしまったことを憂いておられます。

姜さんは、労働組合や地域の縁故関係など、従来型のしがらみでとらわれた形で政治に参加することがなくなった代わりに、テレビやインターネットの情報をみて特定の政治家と直接結びつくようになって、政治が権力に操作され、少数意見が尊重されない、という事態に陥ることを最も憂いておられます。

たしかに、かつて日本人が憧れた郊外の住宅地は、牧歌的な庭園が点在するところとはならず、郊外の住宅地は地域社会とつながりの希薄で孤独な中産階級の老人たちの長屋(ドーミトリー)と化し、新しくできあがった郊外の住宅地は、夫たちが夜にしか姿をみせず、妻たちがわが子の運転手をつとめる中流階級の新しいドーミトリーとなりました。

経済大国の中で花咲いたのは大衆社会という徒花であり、テレビジョンの普及により、大衆の数は級数的に増加していきました。その間に芽生えてきたのは、社会的な無関心や利己主義的な考え方であり、大衆の多くはいつのまにか、自らの地域社会から逃避し、テレビジョンが創りあげた虚構の世界に安住する住人となってしまっている、とも言えます。

ドイツの哲学者ヤスパースは、大衆というのは国民と異なる、と説き、大衆とは、

「大衆は成員化されず、自己自身を意識せず、一様かつ量的であり、特殊性も伝承ももたず、無地盤であり、空虚である。大衆は宣伝と暗示の対象であり、責任をもたず、最低の意識水準に生きている」

と言っています。

国民としての自覚というのは歴史的自覚である。それを失うと、その国民は滅びてしまうというのが、ヤスパースの意見です。

 最後に今日の読書で、偶然こころにズキンと刺さった加藤周一さんの『夕陽妄語Ⅷ』の『巨匠』再見―劇場の内外を引用します。

(以下、引用)

ナチスの将校はワルシャワ近郊の小さな町で四人の「知識人」を処刑するためにやって来る。彼の「リスト」には老人が市役所の簿記係として載っているので、老人は知識人から除外される。

しかるに彼は自ら進んで、簿記係は臨時の職にすぎず、本来は俳優であると主張し、それを証するために『マクベス』の一場面を将校の前で演じる。
その演技を見終わったドイツ人の将校は、丁寧な言葉で「たしかにあなたは俳優です」と言い、老人を銃殺すべき「知識人」の列に加える。
当事者にとっての自由な選択は、簿記係として生きのびるか、俳優として死ぬかである。

一方には平凡な日常性への埋没、他方には日常的な「平和」を超えて、自ら信じる価値を貫こうとする矜持がある。

(中略)

たとえば選挙の投票行動はほとんど犠牲らしい犠牲を必要としない。しかし「長いものには巻かれろ」の現実主義か、「一寸の虫にも五分の魂」の人間的尊厳を選ぶことができる。


(引用)
『ニッポン・サバイバル』(姜尚中著:集英社新書)
『夕陽妄語Ⅷ』(加藤周一著:朝日新聞社)

Saturday, June 02, 2007

高橋是清と福沢桃介

「不撓不屈」の高橋是清と「時代の寵児」福沢桃介。

 対照的な半生を簡潔に綴ってみたい。

高橋是清は仙台藩の命で渡米。ホスト・ファミリーは是清らを召使として使い、「このような目的で渡米したのではない」と反駁した是清を奴隷として売り飛ばしてしまう。

サンフランシスコの名誉領事の計らいで是清は奴隷契約から解放され、帰国した是清は16歳で大学南校(後の東京大学)の助手に。しかしながら、そこで覚えた茶屋遊びで放蕩の限りを尽くし、長襦袢で芝居をみにいっているところを同僚にみつかり退職、馴染みの芸者の家に転がり込む。


唐津の英語学校に就職が決まり奉職するも、再び19歳で上京、大蔵省十等出仕となるが上役と衝突して、かつて助手をやっていた大学南校に学生として入学、「新知識」を吸収し翻訳や予備校講師として働く。

一方の福沢桃介は、慶応義塾で成績優秀、色白で貴公子風であったが、スポーツには自信がない。そこで、一人だけ白いシャツにライオンの絵を描かせ塾の運動会に出たところ、塾長福沢諭吉の目にとまり娘ふさの婿養子に、まさに順風満帆の人生である。



桃介は結婚の条件であった渡米を果たし、学校での勉強よりも実務の勉強と、ペンシルヴェニア鉄道に事務見習いとして入社。賓客扱いであったという。
クリーブランド大統領が富豪の邸に来たときには日本人学生代表として握手、日米の人脈を広げることに尽力した。帰国後は、北海道炭鉱鉄道株式会社に初任給百円という破格の高給で入社。


28歳で官界に戻った是清は文部省、ついで農商務省へ。農商務省の派閥争いで追出される形で、33歳のとき特許制度調査のため渡米。言うべきことをはっきり言う是清はアメリカ人に好かれ、特許長の書記長は生まれた息子にコレキヨ・タカハシと名付けるほど。
日本ではじめて工業所有権保護制度をつくった。


桃介は北海道炭鉱鉄道株式会社に入って活躍するも、結核にかかり療養所入り。長期療養を強いられる。なんとか自活の方法をとあれこれ模索し、株に手を出す。
すると戦後景気で株価が急上昇、桃介は千円の元手で十万円近くの利益を得る。
病気の癒えた桃介は諭吉の甥、中上川彦次郎の世話で、王子製紙の取締役に30歳でつく。


ところが、桃介とは犬猿の仲、井上馨が工場視察に訪れ、原材料、製品の産地、種類、値段についての質問に、虫のいどころの悪い桃介は「一向に存じません。わたしはまだ新参者ですので」をくりかえすばかり、業務に不熱心と烙印を押された桃介は宮仕えは肌に合わぬとばかり、王子製紙を退き、水力発電の開発に尽力する。



ペルー銀山開発の国策会社の代表に指名された是清は、艱難辛苦の果てに現地入りするも、そこで技術者の報告が全くの嘘であったことを知り、落魄。日本の鉱山開発をするも失敗。妻は毛糸編みの手内職、息子たちは蜆売りをはじめると言い出す始末。
みかねた日銀総裁川田小一郎が、ペルー銀山の経過を質し、是清の説明に得心のいった川田総裁は是清に山陽電鉄社長にならぬか、と持ちかける。
しかしながら、是清は「自信のない鉄道社長より玄関番」と固辞し、「日本銀行建築所の端役」に拾われる。
そこで見事な工事監督としての手腕を発揮した是清のその後の栄達は、後の世の人が知るとおりである。



金融界の援助や外資導入によって7つの水力発電所を完成させた桃介は、貴族院にという話が起こったが、
「金がある者は権力や地位がない。権力があり地位のある者は金がない。其処に自然とバランスが取れて徳川の三百年が続いた」
と言って断ったという。

(『野性のひとびと』(城山三郎;文春文庫から抜粋、要約)

Friday, May 25, 2007

Romazi Nikki

Yo ha Zenpukujikouen ni sakura o mini dekaketa.Zenpukujikouen  no sakura ha mankai deshita. Moppu no youna inu ga ubaguruma o hiita obaasan no ushiro o yochi youchi tsuiteyukimashita.Amarini inuno ayumi ga osoinode obaasan ha IKUYO to shiwagaregoe de inu o sikaritsukemashita.

Ichijikann hodoaruite ike o ishuushite kitara kudanno obaasanga hizani moppu no youna inuo nosete benchi ni koshikakete bouzento ike o nagameteimashita. Nandaka amarinimo samishisoude koe o kaketaku narimashita.

Kono romaji nikki ha Takahashi Genichirou san no Nihonnbungaseisuishi kara hint o emashita. Genchan arigatou.Soshite Kamakura ni ie o motete yokkatsutane.


余は善福寺公園に桜を見に出掛けた。

善福寺公園の桜は満開でした。乳母車を引いたお婆さんの後ろをモップのような犬がヨチ、ヨチついていきました。あまりに犬の歩みが遅いので、お婆さんは「行くよ!!」とシワガレた声で犬を叱りつけました。

一時間ほどして、池を一周してきたら、くだんのお婆さんが、膝の上にモップのような犬をのせて呆然と池を眺めていました。なんだかあまりにも、さみしそうで声を掛けたくなりました。

このローマ字日記は高橋源一郎さんの『日本文学盛衰史』の石川啄木の頁にヒントを得ました。源ちゃんありがとう。そして鎌倉に家をもててよかったね。

Thursday, May 24, 2007

『護憲派の一分』の感想

印象に残ったのは、土井たか子さんの愛とその愛に対する執着心の強さだ。

こんな事を書くのは男女平等を唱える土井さんに失礼かもしれないが、女性の貞操感のような清潔感、子を想う「母」の思いの強さ(狩野芳崖の「悲母観音像」のようなイメージ)、つまり愛に対する執着心の強さが、憲法九条つまり平和憲法死守、護憲につながるのではないかと、考える。

次に印象に残ったのは、作家石川好さんの言葉。

(以下、引用)

アメリカ人は「リメンバー パールハーバー」と言って、日本人が「ノーモア ヒロシマ」と言う。

しかしそれを逆にしたほうがいい、と。

つまりアメリカ人が「ノーモア ヒロシマ」と言って、「原爆はもう落としません」と誓う。私たち日本人は「リメンバー パールハーバー」と言って、再び侵略戦争をしませんと誓う。

これなかなかいい考えだと思うんです。

(引用終わり)

これはまさに名案中の名案、まさに世界のど真ん中で平和憲法を叫ぶ、といった気分です。

意外だったのは、平和憲法が世界にあまりしられていないという事実である。

アメリカの著名なコラムニスト、ボブ・グリーンでさえ、高知に住む高校生の英訳した平和憲法の手紙を読んで、はじめてその素晴らしさを知ったというのであるから、驚きである。

最後にもっとも印象に残った箇所は、マザー・テレサの「愛」の反対語は「憎しみ」ではなく「無関心」だ、という言葉。

そして、マザー・テレサの国葬に日本国の代表として土井さんが出席したこと。そして、そのように計らったのが故橋本龍太郎首相であったことである。

横田めぐみさんの拉致事件に関わる社民党の対応のまずさから、田代まさし事件(※1)に次ぐ、凄まじいネットバッシングを土井さんは受けたのであるが、北朝鮮と交渉し紅粉勇船長と栗浦好雄機関長を救出したのは、小沢一郎さんと土井さんであったことを忘れないでいただきたい。

「書物はそれが書かれたとおなじくじっくりと慎しみぶかく読まれなければならない」と、『森の生活』を書いたソーローは言いましたが、その言葉通り、憲法前文を噛み締めるように読んでいただきたい。

 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 われらは、いずれの国家も、自国のみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。

平和憲法反対論者には、さだまさしさんの「防人の歌」を聴いて欲しいものだ。


(注1) 田代まさしネットバッシング事件:
2001年頃、世界の今年のナンバーワンの人物を決めるインターネット投票に“Masashi Tashiro”という投票が日本から殺到し、世界でナンバーワンの票を集め、主催側のアメリカから“Who is Tashiro?” という問い合わせが日本に来た、という国辱的人権侵害事件。


(後日譚)
IT社会における立派なインフラが整備されても、その道路を走るコンテンツがなければ、無駄な公共事業と同じ構図になってしまうのではなかろうか。ましてやITインフラは世界とつながっている。世界を走る道路にみすぼらしい日本の自動車を走らせることはできない。

「『出版巨人創業物語』とリベラルな出版ベンチャー 」
(http://www.yorozubp.com/0601/060119.htm)

Monday, May 21, 2007

鎌倉の蝉時雨

昔、NHKFMでクロス・オーバー・イレブンという番組がありました。

ナレーターは津嘉山正種さんで、音楽の間に津嘉山さん独特の暗く低音の押しの強い声(それでいて後で何とも言えない余韻の残る声)で、音楽の合間に何連かの物語を語ってくださるコーナーが楽しみで仕方ありませんでした。

その中で印象に残っている物語をひとつ(なにせ昔聴いた話なので、明瞭には思い出せません。内容も正確ではありませんので、ご勘弁の程を)

(できれば津嘉山さんの声を想起して文章を読んでください)

十数年ぶりにアメリカに住む友人から手紙が届いた。

私の意識は、遠いアメリカに住むアメリカの友人と過ごした過去の記憶をまさぐった。

ドン、ドン、ドン、ドン

朝方、急に戸を叩く音で目を覚まし、何事かと、ドアを開けると、そのアメリカ人は

「ジェネレーター(発電機)の音がうるさくて眠れない。なんとかしてくれ」

と私に訴えた。

鬱蒼たる竹林から間断なく聞こえてくるジージーという音のことだ。私があれは蝉の声で、発電機の音ではない、と説明してもなかなか納得しようとしない。

しばらく押し問答が続いたが、ようやく彼は合点がいったようで、

「こんな雑音を平然と聞いていられる日本人が信じられない」

と言った。

われわれ日本人にとっては夏の風物詩である筈の蝉の声が、アメリカ人である彼の耳にはとても耳障りな雑音としか聞こえないらしいのだ。


それから十年、アメリカから届いた友人の書簡の末尾には、

「この頃、鎌倉の蝉時雨が無性に懐かしく感じられます」

としたためてあった。