Tuesday, March 27, 2007

「人格なき社会を憂ふ」 「文化的資本」=「教養」=「人格」論 (下)

「ヨーロッパ語においては、教養イコール文化であり、教養というものは、文化的存在としてその人の全人格的なあらわれそのものである」といいます。

やはり、「教養」=「文化的資本の蓄積」=「人格」であると思わざるを得ません。

おそらく、私はこの人は損な人生を歩んでいるな、とか、不運な人だな、と思われるに違いありません。

しかし、私はむしろ幸運であったし意義の有る人生だった、と言うことが出来ます。そう言う事が出来るのは、さまざまな会社での苦い経験を差し引いても余りある豊かな精神世界を持てたということです。

私はさいわいにして高い教養のある人に巡りあうことが出来ました。

時には打ちのめされますが、そのことに触発され、その人の住む広い世界を知ることによって私の精神世界が広がったことに対して感謝にたえないのです。

私は教養人ではありませんが、その方々とたまに会って、すぐに特定の分野について共通の基盤に基づいてコミュニケーションできるという快感は何物にも変えがたいものです。

最近、
「学校で教えることが何の価値があるのか」

という子供が増えているそうですが、彼らは学校という学びの場で学習した共通言語、そしてその場で経験した友情、喧嘩、恋愛、苦悩、試練など人生の諸体験が、その後のコミュニケーションの形成の基盤となることを知りません。

外国語が堪能になれば、その国の人と精神世界を分かち合うことができます。数学が得意になれば数学の言葉で数学の世界を分かち合うことができます。豪華な食事をしなくても、立派な車に乗らなくても、お互いの世界観が通じ合えばそれで幸せを感じることが出来ます。

コミュニケーションの基盤が脆弱であれば脆弱であればこそ、コミュニケーションが通じる相手の数が少なくなり、やがてその人は自らの貧弱なコミュニケーションしか通じない世界に閉じこもるか、孤立してしまうことでしょう。

ましてや、日本は経済的な合理性を優先してきたため、地縁共同体も血縁共同体、宗教共同体などもほとんど壊滅状態です。こういった状況の中、義務教育による共通の基盤を大切にして守ってゆくことが大切な生命線であるのに、と思わざるを得ません。

私は日本における最後のセーフティーネットの砦は、こういった共通の体験に基づく相互のコミュニケーションであると思います。

ですから、これからの若い人たちには、読書やインターネットを通してさまざまな世界を知り、その人の他の何者にも代えがたい自我、人格を高めていっていただきたいのです。

「人格なき社会を憂ふ」 「文化的資本」=「教養」=「人格」論 (上)

「爽秋の春風駘蕩ならざる日々」の来訪者がお陰様で5,000人を超えました。

毎回、1,000人を超えるたびに、ウイットのきいた(つもりの)ジョークを掲載してきたのですが、あまり読者受がよくありませんでした。

また、私が感動した本の文章をそのままの引用しているだけの記事へのアクセス数も少ないことに気が付きました。

案外、読者の方々は真面目な私一個人としての視点なり、意見を尊重して読んでくれているのではないか、という錯誤に基づいて今回は意見を述べさせていただきます。


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皆さんの中で、集団の中でひとりだけ疎外感を覚えたとか、仲間との距離を感じたという体験はありませんか?

村上春樹さんがプリンストン大学の客員教授として招かれた時に書いたエッセイの中にこういう面白い体験があります。

(以下、引用)

でも、僕の知っているプリンストン大学の関係者は、みんな毎日『NYタイムス』を取っている。『トレントン・タイムズ』(ローカル・ペーパー、その地域でしか読まれていない)をとっているような人はいないし、僕がとっているというと、あれっというような奇妙な顔をする。『NYタイムス』を取っていないというと、もっと変な顔をする。そしてすぐに話題を変えてしまう。

とくに『NYタイムス』を週末だけ取って、毎日『トレントン・タイムス』を読んでいるなどというのはここではかなり不思議な生活態度とみなされる。もっと極端に言えば、姿勢としてコレクト(正しきこと)ではないのだ。

ビールについても言える。プリンストンの大学関係者はだいたいにおいて輸入ビールを好んで飲むようである。ハイネケンか、ギネスか、ベックか、そのあたりを飲んでいれば「正しきこと」とみなされる。

ある教授と会ったときに世間話のついでに「僕はアメリカン・ビールの中ではバド・ドライが好きでよく飲んでますよ」と言ったら、その人は首を振ってひどく悲しい顔をした。「僕もミルウォーキー出身だからアメリカのビールを褒めてもらえるのは嬉しいけど、しかしね・・・・」
と言って、あとは口を濁してしまった。

要するにバドとかミラーといったようなテレビでばんばん広告をうっているようなビールは主として労働者階級向けのものであって、大学人、学究の徒というのはもっとクラシックでインタレクチュアルなビールを飲まなくてはならないのだ。

ここでは何がコレクトで何がインコレクトなのかという区分がかなり明確である。

(『やがて哀しき外国語』(村上春樹著;講談社文庫))

この文章から読みとれるのは、プリンストン村の中には深い伝統に根ざした独自の文化があり、客員教授として招聘された村上氏でさえ乗り越えられない壁が存在する、という話である。

人間とはこういった些細なことからも疎外感を感じてしまう動物である。

この例は些細な生活習慣上の違いですから、マイナーな事として片付けられますが、言語が同じであるのに、相互に文化的基盤が違いコミュニケーション出来ないという事態に至った場合はさらに悲惨な感じがします。

五木寛之さんの作品に『黄金時代』という短編があります。

五木さんの実体験から書かれた小説だと思いますが、戦後の焼け跡の中から東京に出てきた五木さんが、金がないため、神社の境内で寝泊りし、血を売って生活していた頃の話である。

売血所の女の子とようやくデートにこぎつけ、その女の子と一緒に喫茶店にいた主人公。やがて、偶然一緒の喫茶店にやってきた同じ早稲田の金持ちのカップルと同席することになります。

3人が文学やクラッシックの話で盛り上がる中、痺れを切らした売血所の女の子が会話の輪の中に加わろうと、採血の仕方や消毒の話をしはじめる。

どう反応してよいか困って困惑する金持ちカップル。「よせよそんな話」と恋人にいう主人公。

その場の雰囲気にいたたまれずに「私、帰ります」と席をたった女の子。何もせず見送る主人公。

悲しいかな、売血所にいた女の子は、高等学校を卒業するや否や、採血場に入り労働していたため、大学生の語るような形而上的な知識を身につけることなく世の中に出てしまったのでしょう。

しかしながら、彼女はけなげにも職場で覚えた知識を話すことによって、3人と共通のコミュニケーションをしたいと願ったのですが、その話は3人の文化的基盤とは大きく離れてしまったため、座は白け、彼女は人格的に否定されたようないたたまれない気持ちになってとびだしてしまった。

こんな経験、ありませんか?

私も年上の女性とデートした時に解消できない壁があって悔しい思いをしたことも、知識人との会話にまったくついてゆけず、無言のまま3時間過ごした、という悔しい思いでもあります。

そんなときに必ず感じるのは彼我の差と、人格的なあつみの違いです。

Sunday, March 25, 2007

追悼・城山三郎氏

城山三郎氏が亡くなった。まさに「昭和の巨星墜つ」といった感じである。
(http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20070322NT002Y16622032007.html)

司馬遼太郎、松本清張、城山三郎といえば、「昭和大衆文学の3大巨頭」である。

戦前の国粋主義に陥れた歴史観を変えるため、客観的なデータをもとに日本の歴史を綴った司馬遼太郎氏。人間のこころの奥底にひそむ暗部を描いた推理小説や戦後の混乱期に起こった事件の真相をえぐりだした松本清張氏。そして、戦前から戦後の経済人の活躍を描いた城山三郎氏。

追悼の意として、城山三郎氏の印象に残った随筆をここに記します。

(以下、引用)

「ざっくばらんの強み」

 東大などの一流校を出て、中央官庁に就職したエリート中のエリートの自殺が、ときどき伝えられる。
 
 不満があったり、挫折があったりしたところで、前途洋々の身である。少し辛抱さえしていれば、天下の大道を歩いてゆけるのに-と思うのだが、やはり死を思いつめる他なくなるのであろう。

 なぜ、そうなってしまうのか。

 ひとつは、彼等の育ってきた環境による。つまり、子供のころから、友人を選び、学校を、師を選んで、その他のつき合いをしない。

 知的に劣ると思った友達も、つき合ってみれば、思いがけない魅力がある。教育、とくに受験教育には練達とはいえない教師にも、人間としてすばらしいよさがあったりする。

 どんな人間にも深く付き合えばよさがあるのだが、深く付き合うとか、つき合いに耐えるという習慣を身に付けないまま、大人になってしまった。

 就職してみると、同僚も上役も、自分で選んだ人間ではない。内心、知的に劣ると思った人たちが居ても、じっと耐えて行かなければならない。そのことがやりきれなくなる。

 次に、エリート中のエリートであるだけに、自分の仕事に完全を期待する。ノン・キャリアのベテランに教われば簡単にわかることまで、自分ひとりで解決しようとする。

 人間は万能ではなく、いくらエリートでも大学で習わなかった官庁事務については、ただ考えてわかるわけではない。

 だが、エリートの誇りが、助けを求めることを許さない。

 とにかくひとりで抱えこみ、ひとりで悩み続ける。そのうち、
「この程度のことも、自分にはできないのか」

 と、誇りや自信が打ち砕かれる。そこで助けを求めればいいのに、とにかく自分でやってしまうと、その成果について完全主義者だけに採点がきびしく、自らに絶望してしまうという構図である。

「なまじっか学校に行っていると、裸になって人に聞けない。そこで無理をする。人に聞けばすぐにつかめるものが、なかなかつかめない。こんな不経済なことはない」

と、本田宗一郎さんはその初期の著書『ざっくばらん』でいっている。

「僕の特徴は、ざっくばらんに人に聞くことができるということではないかと思う」

とも。

本田さんは、聴講はしたけれども、正式には学校を出ていないということでかえって、だれに対しても、こだわらずに、ざっくばらんに聞くことができ、ひとつにはそのおかげで今日があるというのである。

打たれ強くなるための工夫以前の工夫のひとつであろう。


(出典:『打たれ強く生きる』(城山三郎著;新潮文庫)

Friday, March 23, 2007

嵐山光三郎氏が語る、中原中也&萩原朔太郎

中原中也

「(中略;嵐山氏談)それからもうひとつ。これは生前の大岡昇平に教えられたことなのだが、中也の顔として知られている黒帽子の美少年像は、肖像写真が複写されつづけてレタッチされた結果、本物の中也とは、まるで別人になってしまったことである。三十歳の中也は「皺が多いどこにでもいるオトッツアン顔だよ」と大岡氏は語っていた。私は大岡氏の指示通り、「中原中也の顔写真変遷史」のグラビア記事を作ったことがある」

(感想)中原中也は教科書に出てくるような美少年ではなかった。小林秀雄に女優長谷川泰子を盗られたのも、「目の前の相手を、一語一語、肺腑をつくように正確に攻撃する」罵倒癖に原因あり。初対面の中村光夫の頭をビールびんで殴ったらしい。


萩原朔太郎

「(中略;嵐山氏談)前橋市医界の重鎮である父密蔵は、朔太郎に「なにもしなくていいから、羽織ゴロだけにはなるな」と命令した。羽織ゴロとは小説家・詩人のことである。市の雑役夫になりたいという朔太郎の申し出も認めようとしなかった。朔太郎は、よく言えばデビューまでの思索期間が長いということになるが、現実には無為の時間をもてあまし、退屈の焦燥から、意味もなくひたすら町を歩き回る生活無能力者であった。朔太郎はそのことを恥じ、現実から逃避しつつ異界をまさぐった」

(感想)萩原朔太郎は「だるい牙と青光りする陰影の詩で一世を風靡し、冴えた言葉使いは芥川龍之介を脅えさせるほどの力があった(嵐山氏談)」。思索者は現実社会と乖離し易い。悲しい性。

種田山頭火

最後に私の好きな、種田山頭火の日記より引用

「(中略;嵐山氏談)犬から貰う―この夜どこからともなくついて来た犬、その犬が大きい餅をくわえて居った、犬から餅の御馳走になった。/ワン公よ有難う」

分け入っても分け入っても青い山

(引用)『文人悪食』(嵐山光三郎著;新潮文庫)

Wednesday, March 21, 2007

相互理解と人徳が売物、人が人をよぶ都会のサーチ・ファーム

本日は1999年からのお付き会いのある虎ノ門駅1分(住所は霞が関)にあるサーチ・ファーム 株式会社エイドウィズを訪れた。経営者は、竹氏彰さんというのだが、この人も影響を受けたビジネスマンの一人である。

3度目の転職の際は竹氏さんに相談には載ってもらっていたが、直接紹介されお世話になった分けではないが「お前の骨は拾ってやるからな!」と言って送り出してくださったのだから、心強いことこの上ない。

15年前、外資系IT企業の社長に39才で就任。

その後、親会社の業績不振により、親会社は買収され、それを受けて竹氏さんは自動的にいきなり解雇の憂き目をみる。妻には知らせたが、子供には何も言わず、カバンを持って無言で家を出てゆく日々が続いた。

やがて2度目の外資系IT企業の社長に就任。米国人の創業者に可愛がられ、ビジネスも順調に推移したが、創業者の退任に伴ってのポリティックス渦の中でもまれ、その後1年がかりで退職に追い込まれる。

2度もご自身の能力や成績ではなく、不可抗力による退陣に、2度あることは3度あるという諺のように、3回目のIT系社長のオファーを断りサーチの世界へ入る。

今までの経験や知識、人間関係、その他何一つ失うことなくそれらが生かせて、それでいて自分の足で立てる仕事を真剣に探した結果、それがサーチ業界だった。わずか1週間の結論だった。実に腹のくくりがいい。

 「他人の影響で自分の貴重な人生を曲げられたくない。自身の能力、才覚でダメなら公園で生活しても良い。」と言った考えでサーチ業界に飛び込んだ。

当時はまだまだ、外資系企業の採用がほとんどで日本企業での中途採用はほとんどなかったが、竹氏さんは人並み外れたエネルギーで、今までのサーチのやり方を学び、そこに今まで培ったビジネスセンスを入れ、現在のエイドウィズ理念の原型を1-2年で作り上げていく。

この業界に入っても決して平坦な道ではなかった。人の人生を預かり、新しい職場を紹介し、そこで成功してもらうことの難しさと売上を上げることのバランスはかなり難しい事であった。

すなわち、竹氏さんの持つ「WIN&WINの理念」を実行するためには、それなりの能力とボランティア精神が必要で、多くのコンサルタントは自分の売上を上げるために、大げさに言えば、キャンディデイトの人生を犠牲にしてしまいがちである。

竹氏さんの理念を同僚や仲間が一人でも破るとこの信頼のビジネスは回らなくなる。

こんな事から、竹氏さんは1度目の会社を自ら退き、2度目の会社も手放し、そして3度目の正直として100%自己資金で創業。今はご自身の理念を真正面から貫いておられる。

一言で言うと「ゆっくりした歩みだが王道を歩んでいる」

今年の4月で5年目を迎える。エイドウィズのHP(皆様の声)には140人ぐらいキャンディデイトから寄せられた感謝の声が載っている。

基本的に竹氏さんは「ビジネスマンのセラピスト」を自らもって任じており、キャンディデイトの成功をファーストプライオリティにしており、利益に対しては恬淡としたスタンスをとっている。

クライアントとキャンディデイトの信頼のネットワークが既に構築され、コンサルティングフィーも高めだが、信頼感が増してくるとそれもクライアントからの引き合いで少し上昇している珍しい会社と言える。

それも、HPの転職アドバイス(コラム)に書いてあるようにキャンディデイトに対する親切かつ懇切丁寧なコンサルテーション、ヘッドハンターとして正直かつ誠実であること、キャンディデイトのニーズと合致する比率の高い企業を厳選して選び抜く能力が大きいと考える。

ニッセイ基礎研究所によると人材紹介業は、1997年の規制緩和による紹介職種の拡大および初期投資が軽微であること、厚生労働省の許認可のハードルがほとんどないぐらい低く、誰でも人材紹介業が始められることから、新規参入が後を絶たず、モラルのない、能力のない、、、、いろいろな人材紹介業者が、雨後の竹の子の如く乱立している。

 人材紹介会社の中には、十分なスキルを測ることもせずに、仲介手数料欲しさに誇大宣伝をキャンディデイトにおこなう悪徳業者も多いという。あるいはキャンデイデイトの無知に付け込んで問題企業を紹介する紹介会社も後を絶たない。その中で当社は極めて良心的と言えるのではないだろうか。

 人材紹介会社の人の中には、紹介した先の人がどうなったのか、ほとんど気にしない会社、コンサルタントがかなり多いそうだ。

もちろん、追跡調査をしているところは皆無に近いとのこと。 自分の売上を上げることしか考えていないケースがほとんどだという。

上場している人材紹介企業ですら、新入社員の時は良く分からないけど、5-6年ぐらいこの仕事をやっていると、「自分の売上の為に人の人生を敢えて曲げているのでは?」との罪悪感のあまり、仕事を辞めてしまうのがこの業界では結構多いという。

竹氏さんは「まるで利益を上げるために建築士が耐震強度の弱い建築物を造って、その建物に寄り付かないのと同じだ」と言う。

もちろん竹氏さんはこういった歪んだ業界に「まともな会社もあるんだ!」といった一石を投じたいと考え、日々彼の理念を実践している人であることは言うまでもない。

 人材紹介業は、登録をベースに紹介する一般紹介型(大手企業はほとんどこれ)、クライアントのニーズに合った人を探して紹介するエグゼクティブサーチ型、企業を早期退職した人を1時的に預かり再就職のコンサルティングをするアウトプレースメント型の3つに大別されるが、竹氏さんの経営する株式会社エイドウィズは、エグゼクティブサーチ型である。

エグゼクティブと冠が付いているからと言って、皆さんがイメージするお年寄りの人ばかりを意図しない。

コラムの「第19話 “エグゼクティブ”って何?」にも書いてあるが、年齢ではなく将来のエグゼクティブ候補になりえる人を支えてくれる。キャンディデイトが真剣であればあるほど情熱を持って支援してくれるのが特徴である。(であるからして私も竹氏さんに支えていただいているのである)

終身雇用制度が崩れ、今までのような滅私奉公では自分の将来が構築できないことを発見した一流企業の優秀な人材がどんどん流動している。最近は優秀な若手ほど辞める時期が早まっているようだ。

もちろん、年収の高い外資系企業に就職してしまうケースもあるが、ベンチャーに行ったり、自分で会社を立ち上げたりと言う人も出始めている。

独立する人にも竹氏さんはボランティアでコンサルティングを実施し、何人も独立支援をしてきた。

 ご自分の人生について真剣に考えてみたい方、転職はしたいが”ろくなコンサルタントがいない!”と嘆いている方は、一度、以下のエイドウィズHPの転職アドバイス(コラム:現時点で32話ある)を読んで見てはいかがでしょうか?

太平洋で遭難しかかっている人生のヨットの帆を立て直す羅針盤になるかも知れません。


株式会社エイドウィズ
Aidwiz HP Column;http://www.aidwiz.co.jp/contents/column/column.html


(追伸)

第48回 「相互理解と人徳が売物、人が人をよぶ都会のサーチ・ファーム」(https://www.so-net.ne.jp/blog/entry/edit/2007-03-21)株式会社エイドウィズが「週刊現代」に掲載されました!

 1月21日発売の「週刊現代」

(2008年2月2日号 講談社)にて掲載中!

30代~40代サラリーマンに急増中!「幸福のヘッドハンティング」される中間管理職の条件(P.168)

■竹氏社長は、道路工事のアルバイトをしながら学費を稼ぎ、工学部、大学院を出られた苦労人。だからこそサラリーマンの悩みに真摯に対応されます。業界ではサラリーマンのセラピストとして有名です。 (http://www.aidwiz.co.jp/index.html)(http://www.aidwiz.co.jp/shukangendai0202.pdf)

Thursday, March 15, 2007

日米比較 人材の流動化とフリーランサーの登場

例によって、深夜の濫読をしていると、『政策形成の日米比較』(小池洋次;中公新書)という本に非常に興味深いことが書いてあった。

(以下、引用)

故山本七平氏の日本人論によれば、人間誰しも組織に帰属することで、自分のアイデンティティー(自己の存在)を確認しようとする。

「帰属意識」がキーワードなのである。日本の社会に地縁共同体も血縁共同体も崩壊し、いま日本人が自分の帰属を確認し、自分の存在に安心するのは会社や役所という共同体になる。

だから、会社や役所の規範が最も重要になる。

常識で考えれば間違いとわかることを真面目な役人やサラリーマンがやってしまうのも、彼らの帰属する共同体が会社や役所しかなく、そしてそこでの規範を守ることが国の法律やモラルを守ることよりも優先するからだ。

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 この話を読んでいて、私はある都市銀行マンが老夫婦の預金を流用したことが会社に発覚することを恐れて、その老夫婦を殺害してしまったというエピソードを思い出した。

 法律よりも強い強迫観念を抱かせる会社の規範。そこには共同体から離れることが、イコール社会的抹殺という恐ろしいイメージがあったのではないか。

欧米とアジアの人権意識は大きく異なると聞いたことがある。

集団や組織の論理で個人を犠牲にすることやむなしとするアジアと、個人主義の発達した欧米と異なると。

それならば、欧米の役人やサラリーマンが何を規範にして行動しているかといえば、それは、本書によれば、国の憲法であり法律であり、そこには中世から近世に至るまでの市民か築き上げた「個の確立」と「普遍的な価値観」に基づく行動規範によるという。

 つまりは、西欧においては、夏目漱石以来、日本人が悩んできた「個人主義」がしっかりと確立しており、日本では死滅した地縁共同体も血縁共同体、宗教共同体が存在し社会のモラル確立に充分生かされている、という訳である。

 また、私は次のような記述に目を奪われた。

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(以下、引用)

官民の間に限らず、米国では職業移動が頻繁である。米国の友人たちはいとも簡単に職を替え、またいつも、よりよい職を求めている。
複数の職を持つ人も少なくない。シンクタンクに勤務する友人はこういった。

「むしろ同じポストにいるほうが珍しい。同じポストにいるということは、他の仕事ができないとみなされる。いわば無能の証明なのです。だいたい3年もいれば、その次を考えるのが普通」

年功序列の日本から来ると、まず驚かされるのが、この点である。日本ではまったく逆で、職を替える人は「失格者」とみなされることが多く、中途採用側は「前の職場で何かあったのではないか」と勘繰られるのが落ちである。

一つの組織で上り詰める人が評価される社会が日本であり、組織を渡り歩きながら「会社」ではなく「社会」を上り詰める人が評価されるのが米国である。

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日本でもこういう人たちが増えてきている。

昔は「企業の寿命は三十年」と言われていました。今は「企業の寿命は十年」といいます。

いつまでも古い体質の組織を墨守するだけでは、企業は生き残れません。そのためには、会社は個々人の能力や創造力を駆使して変幻自在な鵺のような存在である必要があると思います。

変幻自在に変わりゆく組織に適応するために、社員も変わらなくてはならない。その適応行動としてさまざまな組織をわたり歩いて行く人も多いと考える。

脳生理学者の養老先生はよく「人間は変わるものだ」という。そして、「変わらない自己がある」なんてまやかしだという。

大人からは我慢を知らない、自己中心的な行動と非難されるが、もしかすれば、激動の失われた十年を自分なりに変わりながら、それでいながら確固たる行動規範を持って生きてきた人なのかもしれない。

経営者としても社員を囲い込むよりも、時代時代に応じて人材を確保していったほうが都合が良いのではないか。終身雇用制度をとるから退職給付の将来給付を見積もらざるをえなくなり、企業業績も落ちる。

またこういった人たちの中から、有能な人は個人で法人格を取得し、会社という枠を超えてさまざまな方面から仕事を受託して報酬を受け取るというフリーランサーも出現している。

ビジネスは米国流になりつつある。雇用関係も同様に、私も含め、こういったJob-Hopperたちにも寛容な世の中になって欲しいものである。


(後日譚)
我々の世代では「スリーストライク・アウト」という企業内の不文律が有り、サラリーマンでも3度しか転職は許されないという原則がありました。世の中、平穏な時代に入りました。私が言うのもなんですが、「ここを戦土と心得て」不遇でも耐えてください。おかしな要求が会社からだされた場合には、労働基準局などしかるべき公的機関に相談し会社と交渉してください。

Monday, March 12, 2007

異文化との遭遇

「爽秋の春風駘蕩ならざる日々」、来訪者が4,000人を超えようとしています。

 年末の休みに、何気なく、昔かいた文章をアップして、ブログにしてみたのですが、何の宣伝もなく10日間で1,000人の人々が読んでくださったことに非常に感動しました。

 最近は、読者の期待に応えようと、無理をしてむかし書いたものをリバイスしてアップすることが多くなって来ました。これからは、なるべく最近見聞きしたこと、最近のトピックを中心に書き綴ってゆきたいと思います。

  あまり、不真面目な文章は読者受けが良くないのですが、アクセス増は喜ばしいことなので、一席設けさせていただきます。

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英会話スクールに通っていた頃、イギリス国籍の黒人の女性が懇切丁寧に英語を教えてくれました。

大学ではホメロスを専攻していたという非常に教養ある女性だったが、何日か通った後、授業中に仕事からの緊張感から解放された喜びからか、ついつい笑いが止まらなくなってしまった。

"What's funny?"

と黒人の女性が尋ねてきたので、答えようがないので、

”This smile deeply rooted in Orientalizm"

と答えた。

私が思春期の頃は、日本人異質論がはびこっており、日本人はなぜか意味もないのにニコニコして気味が悪いというということが流布されていたので、そう答えたのであるが、おそらく彼女にその真意は伝わらなかったであろう。

”You are funny guy. Funny"

と言われたので

”Oh, Yes. I'm funny guy. Exactly"

と笑いが止まらなくなった。

おそらく相手は、こころの中で、

”He is crazy. Definitly."

と思った事だろう。



(説明) 仕事に熱中しているとその長時間にわたり緊張し空気がピーンと張りつめます。そして、ついつい私的な時間にその緊張感から解放され、公的な場で意味のない笑いが込み上げてきます。私的に英会話学校に通うのは私的な行為でしょうが、ついついその公的な場で私的な笑いが込み上げてきます。公的な場で私的な笑いをあげた私は狂人そのものです。