Sunday, February 24, 2008

パロアルト随想

はじめてカリフォリニア州サンフランシスコに足を踏みいれたのは、初秋ワシントン州シアトルで所定の用事を済ませた後だった。

シアトルに滞在している時、弁護士資格をとるためにサンフランシスコ大学の大学院に留学している大学時代の友人が意外にも「会えるようになった」と連絡をくれたので急遽予定を変更して、約束の時間に遅くれてはならんと早めにサンフランシスコ空港から、指定されたヒルトン・ホテルのロビーに空港から強引にイエローキャブをひきとめてかけつけた。

サンフランシスコより緯度が低いせいか、黄色のイチョウと赤いカエデの紅葉が真っ盛りだったシアトルと比べて、昼間のサンフランシスコ市街はまだ夏のような気候だった。

ホテルのロビーにつったっていると、中国人らしい複数のボーイがしきりと私をみて「ベガ、ベガ」と言ってきたので「俺はそんなにみすぼらしい恰好をしているかな」とトイレに入って何度も顔を洗ったり、鏡を見直すことしきりだった。何人かの西欧人がトイレにはいって来て、私に対して不審げな様子をみせなかったので、同じアジア人種間での何かの嫌がらせだろうと思って再び友人を待った。

(後で考えても何故彼らが私に向って「ベガ、ベガ」と言ってきたのかわからない。おそらくよく空港などで「ジャップ」と、ののしられたような気がするのと同様、私の被害者意識が過剰なのであろうか)

友人は、はじめてのアメリカ一人旅にもかかわらず待合わせ場所に約束通りあらわれた私の姿が意外だったらしく「あなた、本当にシアトルにいってきたの?」と笑われる始末だった。

半年ぶりの再会とはいっても正直いって友人とは夏期休暇に京都でふと顔をあわせて話をしただけなので、お互い漠然としたイメージしか持ち合わせていなかった。ロビーで顔を合わせても一呼吸あって「久しぶり」といった風情だった。

ホテルのロビーで食事するのもなんだか場違いな感じがしたので、坂をくだって百貨店のメイシーズで食事をとった。ひとしきり話をして、サンフランシスコで安く泊れて最低限の安全がたもてる宿を教えてもらって、再会を約して分れた。

友人の紹介してくれた安宿は紅い古いカーペットがしかれ、歩くと廊下がきしみ黒い手摺をつかむと木の裂け目から出ている細かい木片で手を痛めそうな古びたものだった。経営は白人の老夫婦がしているとのことだったが、その時は中国人の華僑に交代していた。チェック・インすると翌日シリコンバレーでコンサルタントをしている飯田さんと合流すべく電話をとった。(つづく)