Sunday, November 16, 2008

2008年(平成二十年)年末のご挨拶

本年は「爽秋の春風駘蕩ならざる日々」をご閲覧いただき誠にありがとうございました。


昨年と比較して掲載数が少なくなっているのにも関わらず、依然として一日の平均閲覧数が120、平均固定読者数も60を維持しております。


読者の方の要望に応えなくてはならないという責務と、これまで私が綴ってきた読み物の二番煎ではなく斬新なものでなければならないという責務の板挟みで苦しんだこともありました。


「読書人口を増やす」ことを目的に、とりあえず1カ月1篇、何とか綴ってまいりました。昨年も本年同様のご愛顧の程をよろしくお願いもうしあげます。

Wednesday, November 12, 2008

「日本史を読む」(丸谷才一、山崎正和著:中央公論社)(後)

本書は、作家で評論家丸谷才一氏と文明評論家山崎正和氏の洒脱でユーモラスな対談をおさめた日本史文化論。


まず、古代から日本は高句麗、百済、を介して伝わる中華文明の影響下にあったが、唯一その影響から逃れ得たのは日本では恋愛文学である。


「まえがき」で山崎正和氏はこのように述べる。「日本には恋愛文学の脈々たる伝統があり、愛への耽溺と個人の繊細な心理への関心が深かった」


「恋と密教の古代」では、「万葉集」の額田王と大海人皇子の歌の解釈をめぐる十九世紀のレアリズムと二十世紀のシュルレアリズムの対立を読み解きます。


あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る 額田王


衆の匂へる妹を憎くあらば人妻ゆゑに我恋ひめやも 大海人皇子


  この歌を巡ってレアリズムを主張する斎藤茂吉は「対詠的」と評し「狩猟中に野原においての二人のやりとり」ととらえる。 一方、シュルレアリズムの大岡信は「石猟が終わったあとの夜の宴会の席で、二人がふざけて、即興で披露したざれ歌である」と「宴と孤心」説を唱える。


やがて八世紀末に入り、「万葉集」から御霊信仰という鎮魂のため呪法として印度から中国に伝わった空海の密教の時代に。


密教で両部と呼ばれる大日経と金剛頂教。


大日教が形而上的なのに対して、金剛頂教は「自分が風について説明するのではなくて、自ら風になってしまう」というような認識論。


大仏開眼、中国が仏教を退治している頃に、空海は「十往心論」を記し、大日・金剛の両部を統一する。


「院政期の乱倫とサロン文化」は、日本が豊かになり文化的に成熟してくると、貴族社会のなかでも不倫が公認されるようになる。政治(まつりごと)は藤原氏などの摂関家にゆだね、天皇は祭祀の王として君臨する。


そして祭祀の王である天皇は、「諸国から女を召すことで国々の魂を身につけ、それによって日本を統治する」(折口信夫説)


やがて藤原道長が言ったように「男は妻から」と、妻の家柄で価値が決まると言った母性原理主義の貴族社会が出現する。



「異形の王とトリックスター」は、網野善彦氏の著書「異形の王権」によって暴かれた、法服を着て密教の法具を手にして奇妙な帽子を被っている後醍醐天皇の<権威と権力>を手中に収めようとする「建武の中興」。


後醍醐天皇は、農村と都市をつなぐ商業を重視し、運送業を家業としていた千早赤坂の土豪楠木正成、海上運送業をおこない海産物を販売していた隠岐の豪族名和長年を重用し、別世界であった叡山、高野山といった「山」の世界と連携をとり、武家の利権を代表する足利尊氏と戦った。


やがてこの争いは北朝(=足利尊氏が擁立する光明天皇)と南朝(=後醍醐天皇)の争いは一三九七年まで六十年間続きます。



(出典:「日本史を読む」(丸谷才一、山崎正和著:中央公論社)

Saturday, November 08, 2008

「日本史を読む」(丸谷才一、山崎正和著:中央公論社)(前)

つらつらと自分の受けてきた中学、高校の歴史教育について考えてみますと、歴史科目として教えられてきた日本史、世界史の骨の部分については教わりましたが、その豊穣なる歴史の想像力の源となる肉の部分については教わってこなかったような気がします。


私は1990年に高等教育を受けました。


1985年から1990年代の世界情勢は東西冷戦、東欧の動乱に起因するベルリンの壁崩壊および東西冷戦崩壊、中国の天安門事件、湾岸戦争など、世界史の近現代史を語る上で最も重要な事項が生じ、社会科の先生にとっては腕の見せどころだったのでしょうが、教育界の要請があるためか、公立の世界史教育は中盤を長―く長―く語り、三学期には残念ながら時間切れで近現代史の説明はできません、というパターンであった。


辛うじて、予備校で世界史の近現代史を教えてもらったものの、余りにも対象が広すぎる故か、小難しい世界史の人物名、戦争名、条約名、年号を大量におぼえただけで、大学から入学許可証をいただいても、とても体系的に世界史を語ることなどできない状態。


この状態を作家塩野七生女史はこう語ります。


「ちなみに、一年間で世界中の歴史を教えなくてはならないという制約があるのはわかるが、日本で使われている高校生によれば、私がこの巻すべて(「ローマ人の物語」全16巻)を費やして書く内容は、次の五行でしかない」(「ローマ人の物語」「ハンニバル戦記(上)(塩野七生著)より抜粋引用)


「イタリア半島を統一した後、さらに海外進出をくわだてたローマは、地中海の制海権と商権をにぎっていたフェニキア人の植民地カルタゴと死活の闘争を演じた。これをポエニ戦役という。カルタゴを滅ぼして西地中海の覇権をにぎったローマは、東方では、マケドニアやギリシア諸都市をつぎつぎに征服し、さらにシリア王国を破って小アジアを支配下に収めた。こうして地中海はローマの内海となった」



そういった意味で私は、自己の人生を通して得た知識を自由自在に駆使する戦中、団塊の世代以前の戦後派との大いなるクレバスとコンプレックスを感じざるを得ません。


しかしながら、この本を読むと、この本を軸に他の文献を読みあされば戦後、全共闘以前の世代の方とも<文化的な日本史>を語ることができるのではないか、と思わせてくれるくらいエロティシズム(=知識への誘惑)にみちあふれた本です。


(本の内容の紹介は次回にさせていただきます)

Sunday, September 21, 2008

「私のマルクス」(佐藤優著:文藝春秋)

二〇〇一年に発生した9.11.同時多発テロ。その翌年の三月、アメリカ主導による対イラク戦争が開始される。


その頃、国民のテロへの報復戦争に関心が集中する中、その注意を逸らすため、いわば煙幕として国内で勃発した「田中真紀子騒動と鈴木宗男バッシング」。国民のスケープ・ゴートとされた鈴木宗男代議士を孤軍奮闘護る佐藤優。ノンキャリアながら鋭い視点と深遠な知識によって「外務省のラスプーチン」と呼ばれ、外務省の一隅に隠然たる存在感をしめしていた異色官僚。


結局、二〇〇一年五月、背任容疑及び偽計業務妨害容疑で逮捕され東京拘置所に収監されるのが、獄中、その逮捕されるまでの外務省の経緯を告発した「国家の罠」を上梓し一億総国民の鈴木宗男バッシングに一矢報いた投じたラスプーチン。

その官僚としてはやや異例の経歴の人物が語る自己形成史。


一九六〇年、富士銀行の電気技師の父と、沖縄の久米島で生まれその戦争体験から反戦平和の社会党の熱心な支持者であった母の間に生まれた佐藤優氏。


一九七五年、米ソ冷戦のいわゆる東西冷戦の緊張高まる中、東欧諸国及びソ連を一人旅し社会主義ないしは共産主義諸国のイデオロギーに関心を持つ。浦和高校で受験一辺倒の教育になじむことが出来ず、倫理社会の堀江六郎氏との出会いによって、マルクス主義とキリスト教の相克を読み解くために<無神論研究とマルクス主義>というテーマを大学で勉強しようとする。それならば、と自由な研究を許可する同志社大学神学部を紹介され京都で勉強することを決意する。


聖書神学、歴史神学、組織神学、実践神学を学びながら、神学部自治会のリーダー的な存在となり学友会自治会と連携しながら、学外の民青同盟や統一教会と血みどろの学生闘争を繰り広げ、さまざまな民族問題、人権問題を肌で感じとる。また学問の世界では、神の秩序によって支配される「神の王国」とエゴイズムによって形成される「この世の王国」を歴史的に検証し<信仰とは何か><救済とは何か>ということについての各人の言説を読み比べることに生きる歓びを見出す 。


 ポスト全共闘世代と言われる世代の群像を浮かび上がらせながら、最後まで張りつめた筆調が弛緩することがない。私は「どこの大学にはるか」よりも「大学で何を学ぶか」が大切だと教えられてきましたので、佐藤優氏の一途な学生生活には感じ入るものがありました。「「大学生かくあるべし」という事を綴った読み応えのある一冊。



(出典:「私のマルクス」(佐藤優著:文藝春秋))

Monday, July 14, 2008

The Right Way to Beat Chinese Inflation

The Right Way to Beat Chinese Inflation


中国の物価高を叩く正しい方法


JULY 02, 2008 — High inflation is threatening social stability in China, soaring from 3.3% in March 2007 to 8.3% in March 2008. As a result, the People’s Bank of China has raised interest rates substantially and increased banks’ reserve requirements. The trick for the Chinese government will be to quell inflation in a way that does not compromise its long-term goal of continued strong economic growth. The risks are high.


高率の物価高が中国社会の安定性を脅かしている。2007年3月には3.3%であった上昇率が2008年3月に8.3%までになっている。その結果、中国人民銀行は利子率を大幅に上昇させ、銀行準備金を積み増した。中国政府の物価高を制圧する策略は、かの国の長期的で力強い経済成長目標とあい入れることはない。危険度は高い。


China’s accelerating inflation reflects a similar climb in its GDP growth rate, from the already high 11% in 2006 to 11.5 % in 2007. The proximate cause of price growth since mid-2007 is the appearance of production bottlenecks as domestic demand exceeds supply in an increasing number of sectors, such as power generation, transportation, and intermediate-goods industries. Sustained robust growth and rising aggregate demand have also caused production bottlenecks outside of China, most notably in the agricultural commodity and mining sectors, which have helped lift oil prices to more than $100 per barrel. Adding to these woes are two other inflationary factors: first, Porcine Reproductive and Respiratory Syndrome (PRRS, or “blue-ear disease”) has been killing pigs – China’s main meat source – nationwide, and, second, terrible storms in January reduced the supply of grain and vegetables.


中国の加速度的な物価高は国内総生産の上昇率を表したものであり、2006年には既に11%の高さであったものが2007年には11.5%になっている。2007年半期からの価格上昇のおおよその原因は、電力、輸送、中間商品産業などの、いくつかの部門において国内における需要が供給を上回ったことに起因する。活発な成長の維持や総需要の上昇は、また中国国外の生産障害の要因ともなった。特に農業生産や炭鉱部門が原因となり、1バレル100ドルを超える石油価格の上昇となってあらわれた。これらの悩みの種に加えて他に二つのインフレーションになる要因がある。一つは「豚の多産および無呼吸症候群」(PRRS、青耳疾患)という疫病が中国全土に蔓延し、中国の主要な食肉の供給源であった豚を死亡させてきたこと。二つは1月の台風が穀物や野菜の供給量を減らしたことが起因する。



In these circumstances, continuing to raise borrowing costs would be a mistake. To be sure, the prolonged rapid increase in Chinese aggregate demand has been fueled by an investment boom, as well as a growing trade surplus. Thus, lowering inflation would require reducing the growth rate (if not the level) of these two demand components. But Chinese policymakers should focus more on reducing the trade surplus and less on reducing investment spending – that is, they should emphasize renminbi (RMB) appreciation over higher interest rates to cool the economy.


このような状況下において、借入コストを上昇させ続けることは誤りである。確かなのは、増え続ける貿易余剰と同じ程度に、長く急速な中国全土の総需要を維持するため投資を増やし刺激し続けることである。これら二つの需要構成要因の成長率を減速させるによって、物価高を低くすることができる。しかし、中国の政策決定者は貿易余剰を減らすことに重点を置き、さらに投資支出を減らそうとしている。そのことは、人民元の騰貴させることによる利子率の上昇によって経済を冷却させることを目的としている。



A sizeable reduction in aggregate demand through RMB appreciation is achievable without being imprudent, because the current-account surplus in 2007 was 9.5 % of GDP. Investment (especially in infrastructure in backward areas and social investments) should not bear the brunt of the expenditure squeeze, because today’s investment is also tomorrow’s growth in production capacity; and the production of more goods tomorrow would reduce inflation.


しかしながら、2007年には経常黒字が国内総生産の9.5%を占めているので、人民元の騰貴を通ことによるかなりの総需要減少が達しうるということは、かならずしも慎重を欠いた行為ではない。投資(特に整備の遅れた地域の社会資本および社会投資)は国家の支出のなかでも引き締められている。何故なら今日の投資はまた明日の生産能力を増やし、製品の生産は明日の物価高を減少させるからである。



Using RMB appreciation as the primary tool to fight inflation implies accepting a temporarily higher unemployment rate now in exchange for a permanently lower unemployment rate in the future. This is because manufactured exports are typically more labor-intensive than investment projects. As a result, a RMB1 billion reduction in exports would create more unemployment than a RMB1 billion reduction in investment spending. But tomorrow’s capacity expansion from today’s investment would mean a permanent increase in the number of jobs created from tomorrow onward.


人民元の騰貴という物価高に対抗する初歩的な手段を用いることは、将来における失業率を長期的に引き下げることと引き換えに、現在の一時的失業率を高めることになる。このことは、工業輸出品が、投資計画よりも主として労働集約的であることに起因する。その結果、輸出における10億人民元の減少は、投資支出における10億人民元の減少以上の失業をつくりだすことになる。しかしながら、今日の投資にもとづく明日の生産能力の拡大は、さまざまな明日以降の職業の長期的な増加を意味することとなる。



Nevertheless, China must be careful when implementing RMB appreciation. Policy makers should closely monitor potential changes in the economic conditions in the G-7. A deep recession in the United States resulting from the sub-prime crisis would significantly lower Chinese exports and cut the prices of oil and other primary commodities. In that case, a large RMB appreciation undertaken now would be overkill.



それにも関かわらず、中国は人民元の騰貴を実行することに深い注意を払っている。政策決定者はG7におけり経済状況を綿密に監視している。アメリカ合衆国における深刻な景気後退はサブ・ブライム危機に起因しており、中国の輸出を著しく低下させ、石油およびその他主要製品の価格を値引きさせている。このような場合、大規模な人民元の騰貴は過剰に物価を引き下げることになってしまう。



Moreover, the authorities should recognize that RMB appreciation is unlikely to reduce US-China trade tensions. Consider the experience of Japan-bashing in the 1980’s, when the Yen-Dollar end-year exchange rate plunged from 248 in 1984 to 162 in 1986, and then to 123 in 1988. While Japan’s overall current-account surplus declined significantly, from 3.7% of GDP in 1985 to 2.7% in 1988, the overall US current-account deficit only fell from 2.8% of GDP to 2.4%, because Japanese companies started investing in production facilities in Southeast Asia for export to the US. So Japan-bashing continued under a new guise: the additional demand that Japan must remove its “structural impediments” to import.


その上、当局は人民元の騰貴は米中貿易の緊張状態を減ずることはないと認識している。1980年代の「日本叩き」の経験を考えてみてください。円ドル相場が1984年に1ドル248円だったものが1986年には162円に、1988年には123円まで急落しました。日本の経常黒字は1985年に国内総生産の3.7%に、1988年には2.7%と大幅に低下し、アメリカの経常赤字は国内総生産の2.8%から2.4%に回復した。これは日本の会社が、東南アジアの米国向けに輸出するための生産設備に対して投資し始めたことに起因する。つまりあたらしいみせかけものと「日本叩き」は続けられたのです。増加する需要に対して日本は輸入における「構造的障害」を取り除かねばなりませんでした。



In short, substantial RMB appreciation would reduce the bilateral US-China trade deficit and China’s overall trade surplus significantly, but it would do little to reduce the overall US trade deficit. In the absence of a generalized appreciation of all Asian currencies and unchanged American policies, possibly only a deep recession could reduce the overall US current-account deficit. A stronger RMB can help only the overheated Chinese economy. And it has the virtue of doing so without hurting China’s future production capacity.


簡潔に言えば、十分な人民元の騰貴は、米国と中国の二国間の貿易赤字と中国の全体的な貿易余剰を減少させました。しかしながら、全体的な米国の貿易赤字を減少させるには至りませんでした。全アジア諸国の通貨の騰貴および米国の政策の変化なしには、景気後退だけではとても米国の経常赤字の減少にはつながらないでしょう。強くなった人民元は中国経済を加熱させることに資することにとどまった。そして、そのことが中国の将来の生産能力を傷つけることなしに出来得たところによさがある。



(出典:“The Right Way to Beat Chinese Inflation”Brooking Institute July,13 2008 )


(http://www.brookings.edu/opinions/2008/0702_china_economy_woo.aspx?emc=lm&m=216685&l=46&v=998449

Monday, June 09, 2008

「明治人の教養」(竹田篤司著:文春文庫)

小島政二郎氏の随筆「明治の人間」より、


《「明治の人達は、今の人のように遊んではいなかった。みんな勤勉だった。体の工合が悪くて一日仕事を休むと、「ああ、今日(こんにち)さまに済まないことをした」と口に出して後悔した。気に染まぬものを売ったりすると、「今日さまに済まない」と言って悔やんだものだ。みんな欲張らず、質素で倹約だった」》


《「私の父などは、私が紅茶を嗜むのを見て、「紳士の飲むものを、お前のような書生ッポまで飲んでいては先が思いやられる」そう言って、苦々しい顔をした。分を知れということを明治の大人達はやかましく言った。》


《思えば、私は仕合せな時代に育った。/(中略)/俗な言い方をすれば、お手本にしたくなるような人が、方々にいた。出入りの大工からも、私は私なりに教わることが多かった。そういうことは、楽しいことであった》



朧げながら、明治教養人山脈の背骨を見わたせる書。



大学生にお勧めの本。 小島政次郎、柳田国男、西田幾多郎、狩野直喜、河上肇、森外三郎、今西錦司、桑原武夫、狩野亨吉、ケーベル、夏目漱石、安倍能成、九鬼周造、天野貞祐、辰野隆、福原麟太郎の姿が垣間見えます。  



噛みしめて読んでみればみるほど、実に味わい深い文章が多々散りばめてあります。大学生・高校生にお勧めの書。

Wednesday, May 14, 2008

芥川龍之介(吉田精一著)

 「芥川龍之介」(吉田精一著)。一週間かかってようやく読了。


芥川が神経衰弱に陥るところから猛然と読書の速度があがって読み終ったら夜が明けて、鴉がガアーガアー鳴いていた。


「世界の故事名文句コンサイス」(自由国民社)の「臨終のことば」の頁に、イギリスの作家H・G・ウエルズの


「(友人たちを遠ざけるように)死ぬのに忙しいんでね」


という言葉がのっている。


芥川龍之介の死に方はまさにこの通り。

私は古典では中学校の頃読んだ「藤十郎の恋・恩讐の彼方に」に最高の評価を与え、少年時代に読んだ「身投げ救助人」が忘れられず、その作者、菊池寛が好きだった。

しかし、生き方は芥川龍之介のようでありたい、と思った。何者かにおわれているかのように貪欲にあらゆる世界の知識をむさぼり食い、その知識を自分なりに咀嚼して自らの世界を再構築する。自らのその作業がとまった時、あるいはそのような自らが再構築した世界がある種の法則性を持ち出して腐臭がただよい出した時、即座に自らもこの地上から消滅することを願いこふ。


(以下、引用)
「恐るべきものは停滞だ。いや藝術の境に停滞ということはない。進歩しなければ必ず退歩だ。藝術家が退歩する時、常に一種の自動作用が始まる。という意味は、同じような作品ばかり書く事だ。」


「僕は精神的にマゾヒズムのような傾向があるらしい。一度人から思い切ったことを云われて見度いと思ふんだが。」


志賀直哉と芥川龍之介の差異は「肉体的力量の感じの有無」


谷崎潤一郎と龍之介の論戦。


龍之介は「通俗的興味がないと云う点から見れば最も純粋な小説である」。


潤一郎は「要するに芸術の問題は材料を生かす詩的精神を活かす如何もしくは深浅にある。(中略)構造的美観をもってもっとも多量にもち得る形式は、戯曲であろうと疑い、特に潤一郎は卓越していると駁した。」

岡本かの子は昭和ニ年の早春、五年ぶりで汽車の中であった龍之介の印象を、「今は額が細長く丸く
禿げ上り、老婆のように皺んだ顔を硬ばらせた、奇貌を浮かして、それでも服装だけは昔のままの身だしなみで、竹骨に張つた凧紙のやうにしやんと上衣を肩に張りつけた様子は、車内の人々の注目をさへひいている。(略)「あ、オバケ」不意の声を立てたのは反対側の車窓から氏を見た子供であつた(略)」と書いている。


  むしあつくふけわたりたるさ夜なかのねむりにつぎし死をおもはむ


  たましひのたとえば秋のほたるかな



(免責事項)
このブログは一般図書の一部を抜粋要約し、筆者の独断と偏見に基づき改編したものです。このブログで当該分野にご興味をもたれた方は図書館で借りる、ないしは書店にて本をお買い求めになり、全文を精読されることをお薦めします。

Friday, April 18, 2008

郷党にいれられるまで

あさぼらけのなか、アクセルを踏み自宅を出る。ゆたかな田園地帯をぬけて丘陵地帯を登る。しばらくすると黒く塗られた木造の民家と、うねを作った畑が一面にみえてくる。右手に農協の緑の看板がみえてくる。ここまでくるとひと安心する。あとは、おきまりの高速道路を一直線にゆけば、定刻三十分前に会社の社員寮に車をいれることができる。横断歩道の信号機のまえで停止する。


高速道路に入ると、こつぶの雨が降ってくる。視界がまったくきかなくなり、雨はさらにはげしさを増す。ワイパーを強にしてみてもまったく前の視界がきかなくなる。集中豪雨のなか、なぜ私の進行を豪雨が妨げるのか、理不尽で凄まじい怒りがこみあげてくる。


休憩所のあるコンビニエンス・ストアまでまだ60kmもある。あまりの集中豪雨に一時退避をしようと、サイド・ミラーで後方確認しながら左のウインカーを出し、左側の高速道路の側道から雨を逃れるように車のブレーキを強く踏みゆっくりゆっくりと滑らせて車を地上におろした。



 木造の講堂のようなプラットフォームの連結部をひとり歩くと、あの頃のいらだちが嘘のように消え去り、呆けた気持ちで、疎林の空気を吸いこむ。すると村人ひとり、


「お前さんがたが、郷里に帰ってくるのを待っていたよ。一体、都会で何があったんだい。辛いかもしれないが、しばらく話でもどうかね」

「畑の肥しが不足していてねえ。ありがてい時期に帰ってきてくれたもんだ」



皆がわさわさ話ながら、

「いい、肥しが出来たようだよ」

「何か、オレたちの意図を勘違いしたんじゃねえかい。土産の西瓜をよこすから今日話すのやめた、いっていうんだよ。不思議なお人だねえ。おらたちゃたんに新聞で知ったことが本当かなあ、と思ってあの人に聞こうと思ったんだが」


「なんか都会じゃ複雑なことがたくさん起こっとるのか、わしゃあその話が本当かどうかきこうと思っただけだよ。あの人、銀行、郵便局、その後は何だかよくわかんねえ人生をわたりあるいてきたようだよ」


「あの裏にある木造のボロ屋でもいいかと思って、あてがおうとしたんだが。坊主がいやだって、きかねえんだってよ。親父がエラク怒って木造小屋に一目散だ」


「もうちっとよく話がききたいねえ。何かおもしろい話がないか、と今夜は野良作業を止めて酒を酌み交わそうと思ったのだが」


「いかんねえ。あの態度。これからどうするつもりなんだか。ニ年か三年、監視しねえと本当に村に居つく気があるのかわからんよ。芦部さんの隣ん家、あいてたっていうだろう。あれをあてがってもいいと思ったんだが、、、、、本当に帰ってきたのかよくわからんよ」


「あの子、中学の頃、よく勉強がでたそうだ。東京で高いマンションを買ったつていって随分羽振りがいいって言ったんだが。もうよそう。こちらの苦しい話もする訳にもいかんし、かといってあいつの苦しい心境を語ってもらう訳にはいかん。とりあえずお稲荷さんの火を入れる当番でもまかせようか、と思ったのだが」


「いいや、無理するな。あの様子じゃ、しばらくほおっておいた方がイイ。子供をいいきかせるだけでもニ週間はかかりそうだ」


「西瓜、どう配分するか」


「南瓜の方が気がきくのに、ほんに気のきかねえこった」


ブツブツいいながら、村人去る。(終わり)

Sunday, February 24, 2008

パロアルト随想

はじめてカリフォリニア州サンフランシスコに足を踏みいれたのは、初秋ワシントン州シアトルで所定の用事を済ませた後だった。

シアトルに滞在している時、弁護士資格をとるためにサンフランシスコ大学の大学院に留学している大学時代の友人が意外にも「会えるようになった」と連絡をくれたので急遽予定を変更して、約束の時間に遅くれてはならんと早めにサンフランシスコ空港から、指定されたヒルトン・ホテルのロビーに空港から強引にイエローキャブをひきとめてかけつけた。

サンフランシスコより緯度が低いせいか、黄色のイチョウと赤いカエデの紅葉が真っ盛りだったシアトルと比べて、昼間のサンフランシスコ市街はまだ夏のような気候だった。

ホテルのロビーにつったっていると、中国人らしい複数のボーイがしきりと私をみて「ベガ、ベガ」と言ってきたので「俺はそんなにみすぼらしい恰好をしているかな」とトイレに入って何度も顔を洗ったり、鏡を見直すことしきりだった。何人かの西欧人がトイレにはいって来て、私に対して不審げな様子をみせなかったので、同じアジア人種間での何かの嫌がらせだろうと思って再び友人を待った。

(後で考えても何故彼らが私に向って「ベガ、ベガ」と言ってきたのかわからない。おそらくよく空港などで「ジャップ」と、ののしられたような気がするのと同様、私の被害者意識が過剰なのであろうか)

友人は、はじめてのアメリカ一人旅にもかかわらず待合わせ場所に約束通りあらわれた私の姿が意外だったらしく「あなた、本当にシアトルにいってきたの?」と笑われる始末だった。

半年ぶりの再会とはいっても正直いって友人とは夏期休暇に京都でふと顔をあわせて話をしただけなので、お互い漠然としたイメージしか持ち合わせていなかった。ロビーで顔を合わせても一呼吸あって「久しぶり」といった風情だった。

ホテルのロビーで食事するのもなんだか場違いな感じがしたので、坂をくだって百貨店のメイシーズで食事をとった。ひとしきり話をして、サンフランシスコで安く泊れて最低限の安全がたもてる宿を教えてもらって、再会を約して分れた。

友人の紹介してくれた安宿は紅い古いカーペットがしかれ、歩くと廊下がきしみ黒い手摺をつかむと木の裂け目から出ている細かい木片で手を痛めそうな古びたものだった。経営は白人の老夫婦がしているとのことだったが、その時は中国人の華僑に交代していた。チェック・インすると翌日シリコンバレーでコンサルタントをしている飯田さんと合流すべく電話をとった。(つづく)

Thursday, January 17, 2008

疲弊する三十代

バブル経済が破綻し平成不況で成果主義、能力主義、目標管理主義というシステムがはびこりだしてから、日本の労働社会に働きながら心の病にかかるという人が着実に増えているという。

本書から引用すると、

「この数年、離職者が増加している。就職氷河期である2001年入社組や2002年入社組の若者たちを追いかけるようにして辞めてゆく勢いに歯止めがかからない。(中略)今年になって2001年入社組の離職率は40%を超え、いまいる社員たちも病気欠勤者も多い」

2006年に社会経済生産性本部が行った「メンタルヘルスの取組みに関する調査」によれば仕事に伴う心の病を抱える社員は増加しており、年代別割合で三十代が61%と突出しており、2年前が49%、4年前が42%でしたからその伸びは異様といえる。

そのような平成能力主義の不協和音を簡単にならべてみました。

・都市銀行で5年間働いた為替ディーラー、外資系金融機関に4000万円でスカウトされ転職したが、その後9.11事件が勃発。社内アナウンスで転職先の金融機関の日本市場撤退をしらされその場で解雇

・外資系証券会社。誰も自分のノウハウを教えない。「どうやったら契約できるか教えてください」と新入社員が訊きにくるが「そんなものがあったらぼくも知りたい」と答えてお茶を濁す。部長は顧客のニーズを喚起しアプローチを工夫すればいくらでも契約はとれる、と言うが「自分のアタマで考えろ」といってヒントさえ示さない

・ディナー・サービスを提供している女性ばかりの会社。5人のうち4人は35歳から52歳の年長者。29歳の若手社員があたらしい社員に対して、さまざまなアドバイスをすると「年長者をさしおいて勝手な判断をしてもらっては困る」という事業部長からのクレーム。あたらしい社員は続々と離職。挙句のはては4人が同時に夏休みを取得。29歳の社員は10日間のあいだ徹夜を含めて毎日残業。体力の限界を感じ退職。

・都市銀行。支店長が副支店長に対して新人の教育を命じる。「ウチには余分な人員がずいぶんいる」と辛辣な言葉を受ける。副支店長は、そのはけ口として入社まもない総合職の女子社員に教育と称して強迫し性的関係におよぶ。

・大手電機メーカー。28歳のシステムエンジニア。経理事務のソフトウェアの取り扱いマニュアルを作成。完成させれば高い評価が得られるため180時間を超える時間外労働をおこなう。自殺する3日前に急性ストレス反応が出ていた。
後からの調査によると、頼まれたら断れない性格で昼間は他人の仕事を自分の仕事は夜やっていたという。

・ある分野を開拓して業績を上げた者が異動。業務引き継ぎ自体を拒み、折衝方法や技術を後輩に教えない。自分の業績向上とは無縁であるし、プラス評価を受ける者が増えては困るため、自分のした苦労を後輩にも強いる。

・電話のオペレーター。携帯電話の「お客さま相談室」を担当。派遣社員から正社員になったが異端視される。女性の多い職場で、なにかといえば学歴が話題になったり、同門同士での集まりの知らせが露骨にあって退社。派遣社員の方がいごこちがよいので再び派遣社員に戻る。

・ある会社をクビになった技術者、派遣社員になる。すると派遣会社が提示した仕事はその技術者が前いた会社で提案したもの。請け負って派遣先の会社にいって、自分の提案した仕事を自分をクビにした上司に伝授する。

・ある会社をクビになった技術者が派遣社員となりグループをつくる。ある研究所が有望視されているが製品化できない仕事を請負い、研究所のチームリーダーができなかった製品化を可能にしてしまう。


このような事例から著者はこう結論づけます。

成果主義に代表されるように人事考課制度をみる限り弊害だけが目立つのです。どんな弊害かといえば、なにより倒れる人の増加でしょうし、それに伴う組織体の危うさです。

最後に、「読売新聞」に載った自死した教職者の配偶者の手記を引用させていただきます。

2003年7月3日の夜十一時ごろ、電話で話したままあなたが帰って来なくなってから一年がたとうとしています。この間、私は何もわからずに、その時その時を必死でたくさんのことを行動してきました。でも家の中は一年前そのままで、あなたがいつ戻ってきても仕事に出かけられますよ。
(中略)あなたの最期の地は、冬は花も水も凍てつく地で、行く度に寂しい思いをしましたが、春はスミレ、山桜、藤・・・・・・と野の花が次々と咲いて、あなたはそっと見守ってくれています。自然だけが、私達の慰みです。

(出典:『職場はなぜ壊れるのか』(荒井千暁著:ちくま新書)


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