Saturday, April 28, 2007

「昇官発財」 郷学研究会の講義(下)

寶田さんの「昇官発財」は、中国の歴史を材料に、エリートが国益に資するという純粋な動機ではなく、財力、性欲、地位といった欲望によって動機付けられ、難関をくぐりぬけ、国家権勢を握る。

つまり「手段と目的の逆転現象」が中国の歴史では既に発生していた事実を述べる。

「国益を任せるに耐えうる人材を選び抜く」試験という「手段」が、パスすれば栄達を得られる、つまり試験にパスすることが「目的化」しはじめる現象が古来中国にあり、教師もそのような欲望を駆り立てることによって勉強をさせていた、という実例が示されている。

そして、徐々にその指導層のおこないが国民の生き方にも反映されていく、ということの危険性に警鐘を鳴らした資料である。

「魚は頭から腐る」との諺のとおり、国を代表するものが利に溺れるようになれば、下の者もそれに倣う。

この状態を資料の漢文からぬきだせば、

「天下は壤々として(集り群がって)みな利のために往き、天下は熙々として(喜び勇んで)みな利のために来る」(六韜)

「ことごとく、仁義を去り、利を懐いて相い接わるなり。かくの如くにして、亡びざるものは、未だこれ有らざるなり」(孟子・告子)

「勢を以って変わる者は、勢傾けば別ち絶つ。利を以て交わる者は、利窮すれば則ち散ず」(文中子、礼楽)

今のエリート層に言えることは、幼稚園の頃から一般庶民と、スタート・ラインからことなるという事である。エリート層は、隔離された特別な社会の中で育ち、一般庶民との触れ合う機会がない。

私が日経新聞の「わたしの履歴書」を読んでいて驚かされたのが、住友の大番頭だった伊部恭之助さんが東大在学中に学徒動因でかりだされて、二等兵として上官の背中を流すことから始めていることである。

流し方が悪いとか言ってはブン殴られたりした、とアッケラカンと語っている。

戦後、住友の大番頭として采配が振るえたのも、こういった経験を経てきたため、下々のこころを慮る度量があったからであって、決して頭が良かったからだけではないのだと、私は思う。

伊部恭之助さんの善政も、寶田さんが大切にする言葉、視線は常に「下座視」であり、「常に立場の弱い一般庶民と同じ目線で」あったためである、と私は考える。人間、それでなければ感じ取ることができないものが数多く存在する。

蛇足であるが、小生が今精読中の”Japan's First Strategy For Economic Development"(Wrirtten by Ichiro Inukai)にも、明治維新の成功の要因として、

”successful implementation of conservative change depends primarily upon two factors: the elite's familiarity with social condition, and its ability to determine what elements of value structure are indispensable to the continuity of the culture"

意訳させていただきますと、

日本が国体を維持したまま改革に成功したのは二つの要因による。
一つは、エリート層の社会状況の十分な理解、もう一つは文化の継続性の為にはどのような価値体系が不可欠かを決める能力があったからである。

講義の最期は、寶田さんが尊敬する孫文の言葉でしめくくられた。

「日本はアジアの希望。日本民族は、西洋覇道の爪牙となるか、東洋王道の干城となるか、それはあなたがた日本国民が選択する道である」

最期に思ったのは、一般的に思想というものは危険なものとみなされるが、思想がなければ人間、機軸のない独楽のようなもので、方向性もなく常に軸が揺らぐ(私がそうである)

こういった啓蒙活動こそが、人間に機軸を与え、「人はパンのみに生きるに非ず」という乾ききった日常から救ってくれるのではないかと。

禅は自分自身をテーマにして、現実の自分の中に、もう一人の自分を探索する“自分探し”をおこない、そのために坐禅をします(坐禅と言う漢字は、人が二人座って坐禅となっています。現実の自己を「感性的自我」、もう一人の自己を「本来の自己」と呼びます)

郷学研究会にせよ、八木博さん率いるチーム・ヴァイタリジェンスにせよ、アプローチは異なるとはいえ、日常の雑踏の中で埋もれてしまっている本来の自己(セルフ)を発見させ、人を活性化させるところに変わりありません。

縦割りの社会ではなく、このような横断的な社会活動に参加することによって、人は一箇の独立した精神を持った人間としての尊厳と自覚を持ち、賢明なる市民に変貌してゆくキッカケをつかむのではないか、と考える。

ヘーゲルは、人が歴史的に意味のある仕事に情熱を持って取り組むときに、

「個人は一般理念のための犠牲者となる。
理念は存在税や変化税を支払うのに自分の財布から支払うのではなく、個人の情熱を持って支払うのです」

つまり、一般社会を変革するには、過酷な現実と対峙せず、宿命としておとなしく受け入れる日常ではイカン、情熱をもって立ち向かえ、という事である。

日本流ソーシャル・キャピタル構築の新潮流が胎動しつつあることを感じています。

「乾ききった社会」 郷学研究会の講義(中)

そして極め付きは、日本人の変遷に関する言説である。(=寶田先生はこの計画は二百年前に計画されたものだが、誰が「われわれ」なのかには言及しなかった)

寶田先生の激しい言葉をそのまま速記させていただくと、

「われわれは全ての信仰を破壊し、民衆のこころから神と精霊の思想を奪い、代わりに数字的打算と物質的欲望を与える」

この言葉はニューチェが26歳の時に執筆した『悲劇の誕生』に出てくる記述と同じです(以下、引用)

「日々の祈りにかわる新聞、鉄道、電信。巨大な量のさまざまの関心のただ一つの魂のうちへの集中化。そのためにはこの魂はきわめて強く転変自在でなければならない」(引用終わり)

「思索と鑑賞の暇を与えないために、皆の気持ちを商工業(ビジネス)に向けさせる」

「自由と民主主義が社会を瓦解させてしまうためには商工業を投機的基盤に置かなければならない」

「商工業が大地からとりだした富は民衆の手から投資家を通してわれわれの金庫に収まる」
(確かに、日本はアメリカの国債に投資し、そのお金でアメリカ人は日本株に投資している。これを偉い人は「デット・エクイティ・スワップ(債券と株式の交換)」と呼ぶ)

「経済的生活で優越を得るために激しい闘争と市場での投機は、人情薄弱な社会をつくりだす」

「高尚な政治や宗教に嫌気がさし、金儲けだけの執念が唯一の楽しみとなる」

「民衆は金で得られる物質的快楽を求め、金を偶像視するようになるだろう。民衆は高邁な目的で財を蓄えるわけではなく、ただ錯覚した上流階級への嫉妬にかられ、われわれに付き従う」

これ程、直截に戦後の日本の姿の変容を言い表した言葉があるだろうか。

作家の五木寛之さんは、

「戦後の日本人はウェットな涙やら人情やらを意識的に遠ざけて、カラカラに乾いた世界に閉じこもるようになってしまった」

と述べる。

また、現代人は「科学の知」の有用性とその合理性をよく知っており、その恩恵によって現在の便利で快適な生活を享受している。

しかしながら、経済大国になった今、この「科学の知」は袋小路に入り、「科学の知」偏りすぎた「現代の知」がかえって社会に閉塞感を生んでいるのではないだろうか。

中村雄二郎氏によると、人間は科学の知のみに頼るとき、人間は周囲から切り離され、まったくの孤独に陥るという。科学の「切り離す」力は実に強い。

人間的な情緒が失われ、日本人同志でさえ信じえなくなってしまった日本社会のさみしい帰結が表現されている。

人間は容(かたち)あるハンディなら認識できるのだが、表面上からは容易にうかがい知れない社会の構造上の欠陥による、人間のこころの停滞が起きていることには気が付くことが出来ない。

日本経済は見かけ上、繁栄を取り戻したかのようにみえるが、内的な制度上もしくはこころの「見えざる危機」が未解決のまま山積している、と感じさせられた。

「無名であるといふこと」 郷学研究会の講義(上)

郷学研究会の寶田時雄さんから2枚のDVDと2冊の本が送られてきた。

早速、「官制学の限界、経師と人師」と「人間学講話(郷学研究会)」の2枚のDVDを拝見させていただいた。

「官制学の限界、経師と人師」は、亜細亜大学の教職講義で語られたもので、単に書物を解説する机学先生(=経師)になることなかれ、体験を糧に感動、感激を通じて人間のあるべき姿を説く師匠(=人師)になれ、と説く。

また、教師は、独楽の軸のようなしっかりとした情緒(=歴史、文化的存在)を基軸として、縦軸に天地、横軸に東西南北、の円を回転し情報を集めよ、とも説く。

独楽の軸に「論理」を持ってこなかったのが、寶田さんらしい。

寶田さんが最も大切にする姿勢は、視線は常に「下座視」であれ、ということである。

「下座視」の「下座」とは、広辞苑によれば、①座を降りて平伏すること、②しもての座、末座という言葉であるが、寶田さん流に言うと、「常に立場の弱い一般庶民と同じ目線であれ」という事である。それでなければ感じ取ることができないものが、世の中、数多く存在する。

「新宿公園や墨田川にビニール・シートに住まう人々とも、どんなに地位のある人、著名な人とも対等に話すことのできる人間となれ」

これが寶田さんの目指す究極の人間像である。

寶田さんは師である故安岡正篤氏から「市井の中に埋もれた人々を掘りおこし光をあてる活動」である郷学研究会を起こすように言われたとき、厳命されたのは「ただし、自身は無名のままでおやりなさい」と言うことであった。

私はその「無名性」、つまりあくまでも主人公は参加する人であり、活動の発起人は名を残す名誉さえも捨て去って活動に没頭する、という無私の境地に在るところに感銘を受ける。


DVDでは「THINK JAPAN」の大塚さんも同席されていたが、名利にこだわることなくして誰とでも平等に語り合うことのできる好漢、これは私が寶田氏、大塚氏から感じる人物像そのものである。

私はいつも寶田さんと語ると、自分の出発点である行動規範について考えさせられる。

「読書の姿勢」からしてそうである。

寶田氏のメールを引用させていただくと、

>
>読書も「古教照心」ではなく「照心古教」でなくてはならない。
>明治以降の官制学校歴カリキュラムのマニュアルから脱却しない限り、「我ナニビト」が判明しない。
>つまり自己実現のための表現と、自己を認知したものの表現では結論さえ逆になってしまうということで
>す。
>

小生も当ブログの読者数が予想外に増加していくにつれ、「自分の書きたいものを書く(=自己の中で疑問が生じ、そこを出発点として書く)」ことから「読者に飽きられないように書く(=自己の中では疑問が生じていないのに、読者の為、アクセス数を維持するために書く)」という姿勢に変わってしまったような気がします。

「手段と目的の逆転現象」

大いに反省すべき点です。

Friday, April 20, 2007

「イタリア、韓国にみる民主主義の萌芽と日本の危機」、『ひきこもりの国』より(マイケル・ジーレンガー)(下)

ある英会話学校で英国籍の黒人の女性に言われました。

「あなたは、NPOがこれからの日本では大事である、というけれども日本は平和だし、裕福でそんな社会活動が必要とは思えないは」

その時、とっさに反論する言葉が出ず、沈黙してしまいましたが、後でこころの中で、

(あなたたち外国人には理解できないでしょうけれども、日本には、表面からは見えない人々のこころのエネルギーが不足している、という社会問題があるんです)

と思いました。

本書で紹介されているのは、こころの鎖国を続けている日本と対照的に民主化に成功をおさめた例として、北イタリアと韓国を挙げています。

ロバート・D・パトナム教授が発見した、「ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)」という概念。その中で、「信頼」は重要な構成要素となる。

教授は、未知の人間と信頼関係を築く能力こそが、北イタリア人を豊かにしていると発見した。

市民が参加し、市民意識のあるコミュニティや住民が「お互い公正にふるまい、法を守り、公平・平等の原則を守り、水平的な組織形態をとる」
こうした「市民コミュニティ」は連帯、市民参加、誠実を重んじ、民主主義を機能させる、としている。

ノーベル平和賞を受けたバングラディシュのムハンマド・ユヌス氏のグラミン銀行は、貧困層に少額融資をおこなっていますが、その融資の条件は土地ではなく、「仲間からの信頼」であるといいます。

融資を受ける側が事業計画書を作成し、仲間がその計画をチェックする。その信頼性で融資を決めるといいます。

この無担保で、貧困層に融資する仕組みは「マイクロクレジット」と呼ばれ、アフリカやラテン・アメリカに広がっています。

「人からの信頼」という無形ものが「ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)」、重要な資産となるのです。

また、1998年、国ごと金融破綻した韓国を再生させる原動力として、市民間の相互信頼を形成するのに宗教の力が大きく作用した例を本書は挙げています。

いまや韓国はIMFに対する債務を4年で完済し、GDP成長率は七パーセント、国内の財閥は解体され、外国資本が韓国の有力な企業の所有者となっている。

韓国は日本よりはやく、資本のコズモポリタニズム化を達成したのである。

政治経済の分野において、「368世代」という1990年に大学を卒業した世代が活躍し、若者は活力に満ちあふれている。

韓国社会は家族や地域、学校や財閥企業の階級的序列にしばられていた。その呪縛を解いたのが、キリスト教の

「普遍主義―神の目に映る人はすべて平等である―や個人主義―一人ひとりの人間は神からそれぞれ固有の才能をあたえられているのだから、その才能をよい方法で表現する義務がある」

という教えで、この意識が韓国の人々の間に強固な信頼のネットワークを築いた。

余談であるが、筆者も、

「人は本性のまま自由に可能性を伸ばす天賦の権利を持っており、そののびやかに生きようとする可能性を侵害することは非常に罪深いことである」

という考えを持っており、図らずも本書でこの考え方は、偶然、西洋の普遍主義と似ているということに気が付き、喜びを覚えた。

最後に著者、マイケル・ジーレンガー氏は、「ひきこもりの国(日本)と面倒見のいいおじさんの国(アメリカ)」という表現で、日本の危機について語っている。

教育についても複雑な論法を用いて問題を分析したり、蓄えた知識を現実世界の状況に応用するなど、グローバル・テクノロージーにそくしたものに変えるべきだと提言している。

最後に、筆者の意見をいわせてもらうと、マイケル・ジーレンガー氏の言う「日本の意識改革」は案外簡単なことから出来るかもしれないと言うことです。

日本の子弟教育は、完璧な子供、弟子あるいは部下をつくりあげようと、80点を採っていても残りの20点についてだけ、厳しく叱責する。90点採れていても残りの10点についてだけ厳しく叱責すると言った、堀場雅夫氏のいうところの、「引き算の採点法」である。

子供、弟子あるいは部下は「これだけ頑張ったのに、この評価か」とがっくりし、伸ばし引っ張りすぎた輪ゴムのように、最終的にゲンナリとたるんでしまい、本来の用途に耐えられなくなってしまう。

私のブログにコメントをいただいた、ほめ屋さんと私の共通項は「他人の長所だけみて、そこをたたえる」ことが出来るということです。

人が他人と異なることを恐れず、人と違う得意分野を持つこと、異なる人をとがめず、そして人の長所をみつけては褒め、伸ばしてやること。

これが一般化し社会に広まるだけでも、世の中は変わるのではないでしょうか。

日本は一度、「こころの洗濯」をするべきです。


(後日譚)
「マイクロ・クレジットという試み」(http://www.cafeglobe.com/news/gramin/index1.html)。おそらくこれは、アジア各地の産業をぐるりとみわたして、その土地に適した産業を国際開発基構のような団体が伝授して始めたのではないでしょうか。

Thursday, April 19, 2007

「個人主義とコジンシュギの違い」、『ひきこもりの国』(マイケル・ジーレンガー)(中)

まず、本書で紹介されている五木寛之さんの言葉を紹介します。

「これは国の危機であり、心の危機である。人々は自分の命を軽く見ている。自分の命を尊重しない日本人はお互いのことも尊重しない。自殺率が高いのは人々が心に神を持っていないからだ」

これは、世界に冠たる自殺大国として名をはせる日本の現状、そして責任のとりかたとして自殺を美徳とする社会の風潮に警鐘を鳴らす言葉です。

「人々は自分の命を軽く見ている。自分の命を尊重しない日本人は、お互いのことも尊重しない」

とあるのは、統計の数字にも表れている。

本書によると、日本は民族的、文化的に強い絆で結ばれているというが、アメリカで「他人を信用できる」という質問にアメリカ人が四十七パーセント、日本人は二十六パーセントが信用できると答えた。

また、「世の中に利他的な人が多いと思うか」という問いに対しては「思う」が、アメリカ人が四十七パーセント、日本人は十九パーセント。これほどまでに人間不信が強いというのはちょっと驚きである、と書いてある。

日本人は同じ民族でも他の人を信用できない、信用できないからお互いを尊重しない、というさみしい民族になってしまったのである。

「人々が心に神を持っていないからだ」

と、あるのは個人主義についても言えます。

河合隼雄さんは、

「欧米の個人主義はキリスト教に根ざした考え方で、いつも天からあなたを見下ろし、どんな好き勝手なことをしていても、なんらかの評価を下す神の存在をかたときも忘れなることはないでしょう」

という西欧人も(まあ、日本にも、お天道さまがみているよ、といって天地自然に手を合わす習慣はありますが)と日本のメディアからみて吸収して会得したつもりになっているコジンシュギは異なると厳しく峻別します。

日本のコジンシュギは、一家団欒がなく家族旅行もしない、自分の仕事ばかりを大切にする西欧の個人主義よりもさらにコジンシュギだ、と揶揄されるそうです。

私はなんとなく「愛」という言葉をきいただけで、背中がムズ痒くなるというか、愛されたいし、愛したいのだけれども、それを表沙汰にするのが恥ずかしいという、そんな感覚が根本にあります。

こういう感覚を持つ人は日本人に多くいると思います。そんな日本人の気質が、日本人の男性を家族愛やキリスト教の「愛」という精神から遠ざけているのではないか、と私は考察します。

欧米人には、国の憲法や法律、中世から近世に至るまでの市民か築き上げた「個人主義」が確立しており、歴史によって積み上げられた「普遍的価値基準」に基づく行動規範が存在しているという。

では、最終的に「個人主義」がなく「コジンシュギ」がある日本人の拠りどころとするのは何かというと、堺屋太一さんは、


「日本人はこのような相対主義的な信仰システムがあるため、絶対不可侵の神聖な教えとか、倫理原則の確固たる「指針」というものがない」

と言う。

「日本人にとって道徳的に正しいということは、きょうの日本人の大多数が正しいと考えていることなのです」

と言い、さらに

「日本人のよりどころになるものは相対的で、人間中心で、実際的だ。ある時代、ある局面で権力を握っている者が「よい」と考えているものだ、という。時の最高権力者は通常、多数派に属しているので、彼がよいと考えるものは他の者がよいと考えるものと合致している。会社の従業員を支配している者にとってよいことは、会社全体にとってもよいことなのである」

と結論づける。

これでは困るではないか、善悪の判断、社会的正義の執行といった行動をとるために一体われわれは何を規範とすればよいのか、ということである。

無宗教と名乗る人が(まあ、そういう人も密やかに仏教やキリスト教を信じているのだが)おおい日本人は法律を拠りどころとするしかないのか、という問題にぶち当たります。

また本論がらズレますが、日本人は信仰心がありながらも、自らの宗教を明らかにせず、何故、無宗教と名乗るのか、そこら辺も不可解なところです。

中江兆民は、学校教育に必要なのは徳性の涵養であるとし、いかに外国語を教えても、人格が高くならなくては教育とはいえない、西洋ではキリスト教をもって徳育の根本としている、日本としては孔孟の教えを教えるべきと、文部省に掛け合ったそうです。

今後、何を日本の「普遍的価値基準」にするかが大きな問題となるでしょう。

「何故、青年は社会的ストライキを起こすのか」、『ひきこもりの国』(マイケル・ジーレンガー)(上)

この本は日本国全体が「ひきこもり」である、と指摘する衝撃の本だった。

小泉改革で、日本はアメリカの「年次改革要望書」通り、開国し開かれた国になった、と思いきや、著者のマイケル・ジーレンガー氏によると日本はいまだ鎖国状態であるという。

『ひきこもりの国』という本を読みながら、私が感じたのは日本の社会システムは人間システム(ヒューマンウェア、特に35歳以下の若者層)に合わなくなっているのではないかという疑問です。

そこでその点をブログ仲間であるほめ屋さんに述べたところ、以下のような返信があった。

>この点は、私も同意します。
>国民国家というシステムが私たちに合わなくなってきているのではないかと思います。
>
>より踏み込んで言えば、OSの絶えざる更新が必要なのではないでしょうか。旧時代のOSの上に最新のア>プリケーションを載せているような言論が多くて、目も覆うばかりです。
>

OSとはコンピュータのインフラであり、ユーザーの都合によって変更を加えることが出来るが、アプリケーションの変更のように容易に取り替え可能というものではない。

しかしながら、社会システムがあって人間のシステムがあるのではなく、人間あっての社会システムである、と発想を逆にすると、社会のインフラである憲法以外のはじめさまざまな法制度や人々のパラダイムといったものを、これからの社会を担う若者向けに変えてゆかねばならぬ、という論法も成り立つ。

この本の著者(マイケル・ジーレンガー氏)はまず、社会にストライキを起こしている、ひきこもりの青年の実態を把握することで現在日本の抱える病理の根本が分かるのではないかと、リサーチしている。

ひきこもりは日本にしか存在しない現象である。

何故、ひきこもりが発生したかを著者は、朱子学の影響を受けた日本の社会が、恭順、規律、自制、集団の和が極度に強調される社会であるため、その集団の和から疎外された者、プレッシャーに耐え切れない者が逃避しはじめた結果であるという。

次に、河合隼雄さんの提唱する「イエと家」の概念が引用され、戦前のイエ社会の変形版である企業社会の「個々人の人権より、集団の利益優先」という体質についていけなくなった若者たちの姿がある、という。

河合さんによると、昔からずっと、日本人は個人のアイデンティティの追及よりも家系の存続が優先されてきたのだという。

戦後GHQがアメリカ人からみて人道的な制度とはみなされなかった戦前の家族法を撤廃し、日本に個人主義が根付くであろうと思ったところ、日本人はイエに変わるものとして企業社会にその存在意義を見出し、そこに支配―従属的な関係を築きあげ、滅私奉公しだしたというのだ。

現代の青年は、イエの存続ならば自分を犠牲にするという、個人の人権よりも集団の利益を重んじ、イエのためなら個人を犠牲にしてもやむなし、とする社会に出ることを拒否する。

そのような社会の中で、自己表現できないことに不満をおぼえからだ。

また、欧米からのメディアなどの影響で個人の自主性や自己表現といった手法をおぼえてしまったかれらは、日本社会の集団的抑圧にアレルギーを示す。

本書では、

「多くのひきこもり青年たちが自分の本音を捨てられないのは「実社会」で必要とされる処世術と、自分の純粋な気持ちとの矛盾を受け入れることが彼らにとっては苦痛で困難だから」

と述べる。

しかしながら、いまや日本の人口の5分の1が60歳以上という時代である。

昔はある仕事を任せるにも、「かれ。かれが駄目なら、こいつ。こいつが駄目なら、あいつ。あいつが駄目なら、あそこにいる奴」と取り替え可能な人材が大量に存在したが、現在は若い労働力が減少しており、「もはや君しかいない」という状態なのである。

防波堤を守る防人よろしく、若者一人が欠ければ、その防波堤ラインに穴があくほど人手不足の時代が到来しているのである。

さまざまな異質なものをもとりこむ、度量のあるアローワンスの広い社会を構築してゆく必要性があるのではなでしょうか。

小泉内閣でジェンダーの公正推進を訴える坂東真理子さんはこう言った。

「フリーの評論家だったら、私はこう訴えるでしょう。私たち日本人は社会を再構築すべきだ。年寄りたちは、不満と失意のなかにある若者たちにももっとチャンスをあたえるべきだ。危険を覚悟で若者たちの挑戦を許し、新しい夢を持つべきだと」

Wednesday, April 18, 2007

冬の長距離マラソン

中学生になると、必ず冬に長距離マラソンが実施される。

10Kmに満たないくらいの距離だっただろうが、長距離を走らされるというのは走りなれていない陸上部以外の者には恐怖そのものであった。

まず、自分が何位に入賞できるのかが、自分の誇りにかけて、重要であった。間違っても最下位でゴール・インして憐憫の拍手などもらいたくないものだ、と思った。

次に、果たして10Kmもの距離を走りぬけるだろうか、という体力面の不安もある。途中で、棄権などしたら、それこそ一生の恥である。

やがてその朝が来て、吐く息が白く、異常な緊張感がみなぎる中、同級生の男子250名余りは、卵子に突入する精子の群れよろしく、凄まじい勢いと闘争心と功名心をもって走り出す。

長距離マラソンの3分の2を走り終えた頃だろうか、私は急に気分が悪くなり道路の植え込みの街路樹に向かって嘔吐した。

一緒に走っていた周囲のランナーは、この異様な出来事を無言で避けて通るか、露骨に「ワッ、きたねえ」という罵声を浴びせて、わたしをおいてどんどん先に先にいってしまう。

残りの3分の1を無事走り終える事ができるだろうかと、不安がよぎり、最悪のリタイアまでも考えた。

その時、後続集団にいた前の学年で仲のよかった大森君が、

「タダシ、大丈夫か。俺は先にいくぜ」

とポンと肩を叩いて、先に行った。彼の励ましに、再び走る気力を見出した私は気をとりなおして走り始めた。

するとさっき励ましてくれた大森君が、植え込みに向かってゲーゲーやっている。

「K、大丈夫か」

と声を掛けると、K君は、

「タダシ、俺に構うな、先に行ってくれ」

という。仕方なくK君を置いて、先に走っていった。

そして運動場に入り、あと運動場一周でゴールというところまで来て、250名のうちで真ん中あたりだったので、まずまずかなという安堵感とともに走っていると、後ろから、

「うおーおー、タダシ」

という異様な叫び声が聞こえてきた。はるか後続にいる筈のK君が猛烈な勢いで私を追い抜かんばかりの速度で走ってくるではないか。

私は負けまいと最後の力をふりしぼり必死に走る。K君も私に負けまいと必死に走る。ゴール間近の運動場をほとんど二人併走、という状態で走りこんでいた。

表彰されるトップのランナーたちが決まり、一時の興奮から静まりかえっていた会場は中盤に起こった思わぬデットヒートに注目し歓声を上げた。

そしてK君と私はほとんど同着でゴールした。

後先を決めかねた先生が、私にK君より先着の札を与えた。私が、

「K、お前のおかげで走りなおすことが出来たんだから、お前が先でいいよ」

といって札を渡そうとすると、K君は苦しい息の中、いらん、いらんと手を振った。

「まあ、どうでもいいか」

私は言った。

Tuesday, April 17, 2007

松田優作さんを偲ぶ

大阪の本町駅を歩いていたら、大きな赤いリュックサックを背負った外人さんが、

「チョット、スミマセン」


と声をかけてきた。

「ウメダヘ、イクミチガワカリマセン」

というので一緒に御堂筋線に乗った。「どこの国から来たのか」と聞くと、

「オーストラリアデス」と答えた。よく外国人の人が「アナタ、カミヲシンジマスカ?」と聞くので、逆に聞いてみようと聞いてみたら、

「アングリカン・チャーチ(イギリス国教会)」と胸を張って答えた。

「オウ、ブリティシュ・エンパイアーズ・・・・・」

ということで、わずかな間だけれども、イギリスの話をした。イギリスの英語教育機関ブリティシュ・カウンシルに入ったけれども、開口一番スコットランド独立の英雄マイケル・コリンズを尊敬しているといったら、IRAと勘違いされたのか、非常に冷ややかな態度でした、と言ったら、「ワッハッハッハ」と笑ってくれた。

彼は日本人のお嫁さんを持ち、大阪をこよなく愛してくれているとのことである。

そういえば、大阪は「ブレード・ランナー」をつくった巨匠、リドリー・スコット監督の映画の舞台にもなったんですよ、と言ったら、「オウ、ブラック・レイン」と言葉が返ってきて、「ユウサク・マツダ」という名前も出た。

そして、久しく忘れていた松田優作さんの「ブラック・レイン」出演にともなう欧米メディアの高い評価を思い出した。

今はグローバリゼーションの時代、渡辺謙さんが「LAST SAMURAI」で高い評価を得たのをはじめ、真田広之さん、役所広司さん、松平健さんと、国際映画界で活躍している。

しかしながら、当時は国際舞台への道は狭く、欧米メディアに評価されるなど夢に等しかった。

この作品で高い評価を得た松田優作氏はロバート・デ・ニーロと競演する予定であったが、「ブラック・レイン」出演中に進行中であった癌が悪化し、「ブラック・レイン」封切り後にあっけなく死亡した。

死を悟った松田優作が、入院中であることをひた隠しにして出演した番組がある。

「おしゃれ30-30」という番組である。

アシスタントのジャズ歌手、阿川泰子さんと劇団で同期であったために出演したそうなのだ。

松田さんが死の間際であるということを知らない司会の古舘伊知郎氏と阿川泰子さんは「松田優作がトーク番組に出演するのは珍しい」と大喜びで出迎えた。

松田優作さんといえば「太陽にほえろ」のジーパン刑事。その時のVTRが流れた。

犯人の銃弾を集中的に浴びて白いシャツが赤く染まったジャーパン刑事は、

「なんじゃこりゃ。血だ、血だ。俺は死にたくねえよー。俺は死にたくねえよー」

と絶叫する。

松田さんの病状を知らない古舘さんはVTRをみて、

「どう思われます? 自分の若い頃の姿を見て?」

と問うと、松田氏はしばらく考えたあと、

「頑張ってたねぇ」

とボツリと言った。

その放送から間もなく松田優作氏が死亡したというニュースを聞いた私は本当に驚愕した。テレビをつけると、葬式に参列していた古舘伊知郎さんは悲痛な顔をして、親友の阿川泰子さんにいたっては号泣していた。

松田さんは癌の進行を知っており、「ブラック・レイン」に出演すれば自分が確実に死ぬのはわかっていた。それでも国際舞台に出るチャンスはこれしかないと考えた松田優作は生きることをあきらめて演技をとった。

この姿は私の人生に大きな影響を与えた。

Wednesday, April 11, 2007

俺たちは歩いてゆこう

また、新たな人生を歩むことになりました。

友人には「あいつは、いつも同じところをグルグルとまわっている」と笑われるでしょうが、私にとっては「日々面目新たなり」の心境で、新しい環境に立ち向かってゆく所存です。

この随筆は、先日お亡くなりになられた城山三郎さんの随筆で大好きなものの一つです。

私の友人は「あ、これ読んだことがある」、と思うでしょうが、今どうしても再掲したいのでご勘弁を。


打たれた男が友人の言葉によって慰められたという劇的な一例がある。

そのとき男は三十二歳。地方の私鉄をとりしきる常務であったが、過労につぐ過労がたたって、失明してしまった。

会社は倒産寸前の危機に在った。

文字どおり杖とも柱ともなるべき妻は、乳呑児を残して、家出してしまった。

打ちひしがれたこの男を慰めようと、一度、仲間が集まってきてくれた。

会が終わって、飲み歩き、さてバスに乗って帰ろうとすると、まだ車の普及していない時期だったため、多数の客が待っていて、バスが来ると、いっせいに殺到し、大混乱になった。

にわかに盲目となったこの男は突きとばされ、転倒するところだったが、仲間の中でも兄貴分というか親分格の友人に助けられた。

その友人は、

「おれたちは歩こう」

といい、腕をとって歩き出した。続いて、次のようなことをいいながら。

「いま日本中の者が乗り遅れまいと先を争ってバスに乗っとる。無理して乗るほどのこともあるまい。おれたちは歩こう。君もだんだん目が悪くなっているようだが万一のことがあっても、決して乗りおくれまいと焦ってはならんぞ」

情のこもったまことにいい言葉である。それもそのはず、この友人とは、いまは亡き火野葦平氏。

(『打たれ強く生きる』(城山三郎著;新潮文庫)

火野葦平 (1907年1月25日~1960年1月24日)
火野葦平は『糞尿譚』で第六回芥川賞を受けた。火野はこのとき36歳で中国杭州で従軍中だった。文藝春秋社が派遣した小林秀雄の手から、“戦場の授賞式”で時計と副賞五百円を直接贈られている。
火野は沖仲士を業とする家の跡取りであったが、入隊し、中国戦線の経験から『麦と兵隊』などを書いて戦時中のベストセラー作家となった。戦後も新聞小説なので評判作を発表、一般には安定した作家活動を展開中と思われていたが、1960年1月24日自殺。庶民の善意・誠実が社会の巨大な力で翻弄され、打ちのめされていく彼の作中人物の姿は、作者そのものであったかもしれない。

Thursday, April 05, 2007

優雅な団塊貴族はモノいう株主に

団塊とは「堆積岩中に存在する、周囲より硬いかたまり(大辞泉)」のこと。

通商産業省の鉱山石炭局に勤務していた堺屋太一さんが、この鉱業の用語から「団塊の世代」と名付けたそうです。

私は証券会社のまわし者でもなんでもないのですが、ドラッカーの予言した「世界の資本主義市場の行き着く先を“年金ファンド型社会主義”」といった言葉を日本で実現するのは、今年から会社をリタイアする団塊の世代ではないかと思いました。

イギリスの大学に留学していた大学の恩師が、

「イギリスの貴族は、資産を株で運用して、ポロをやりながら、株で儲けた部分を生活費にあてて暮らしているんだ」

と聞いて驚いたことがあります。

まず、社会の範たるべき貴族が遊んで暮らしていること。

「労働こそ善」と信じていた私にとっては大きなショックでした。

次に、資産を株で運用していること。

昔、「住友マンは浮利を追わず」などという格言があったくらいで、株で資産を運用して着実な利益が得られるのか?

という疑問でした。

しかしながら、外国の株式市場の本を読んで、退職金が入ってきて第三の人生を歩む団塊の世代こそが、個人投資家の利益を代表する団体の代表になってくれるのではないかと思いました。

まず、団塊の世代の方々が同僚と話し合って、退職した会社の株式を株主提案権(総株主の100分の1の株式を保有する、または300個以上の議決権をもつ)が得られるくらい保有する。

そして、送られてくる決算書を見て、OBからの眼から見て会社の運営面でおかしいなとか、こうしたら利益が上がるのではないか、という建設的な意見を株主総会で提案して、期間内での回答を求める。

会社からみれば、うるさい株主が増えると思うかもしれないが、元社員からみた指摘や改善策は、経営陣の盲点を突く貴重な意見となり、事故が起こる前の転ばぬ先の杖となるかもしれない。

また、会社のOBに大量の株式を持ってもらえれば、外資の銀行やら証券会社から身を守る防御策にもなるかもしれない。

団塊の世代は、モノいう株主として社会を再活性化する役割を果たすのです。

団塊の世代の命名者である堺屋太一さんは、これから大量退職を迎える団塊の世代に対して、

「これまで、団塊の世代はへたに社会のために、と考えてきたから逆に失敗したんです。これからは、社会のためとか考えずに、ひたすら自分のことだけを考えて行動すればいいんです」

とおっしゃっていました。

自分が買った株の価値が下がって損をしたという憤りから、会社の決算書や経営者の見通しを知り、それについて制度に則ったかたちで提言する。

しかし、個人では出来ることが限られている。そこで、昔、同じ釜の飯を喰った仲間同士で会社に対する改善書を書いてみる。

そういった横断的な組織をつくることが出来るのは、団塊の世代しかいないと思いますが、如何でしょうか?

Tuesday, April 03, 2007

東京アジア金融センター論(下)

もし東京に公平、開放的、透明度の高い国際的な金融市場をつくるのならば、この本に書いてあることを実践しなくてはならないだろう。

『ウォール街の大罪』(日本経済新聞社)の著者アーサー・レビット氏は、1993年から2001年までクリントン大統領の下、SEC委員長をつとめた人物である。

投資家のウオーレン・バフェット氏をして「小口の投資家の最良の友にして、揺るぎない信念をもって投資家の利益に奉仕する市場を目指した人」と言わしめた人物である。

 アーサー・レビット氏は16年間ウォール街の証券会社で働き、社長まで上りつめた人である。

日本人なら当然、このような証券業界にいた人が本当に自分がかって在籍した業界の反対を押し切って、立場の弱い個人投資家の利益のために働くことができるのか、過去に自分の在籍した業界の為に働いてしまうのではないか、と言う疑問を持ってしまう。

 しかしながら、SEC委員長という役目柄、公共への奉仕という使命感で、一部の業界人だけが儲けることのできる不公正な市場を健全なものとするため、また、まったく議会に対して何の働きかけができない個人投資家の利益のために敢然と、証券業界、議会、公認会計士業界を敵にして戦うのである。レビット氏の奮闘振りには感心させられた。

 まず、業界内の癒着を断ち切るには業界を知悉し、それでいながら自分の在籍した業界と完全に決別できる人物でなければならない、と思った。

レビット氏の改革は、まず有名無実となっていた投資銀行業務と調査部門を隔てるチャイニーズ・ウオールを完全にシャットダウンすることを業界内に勧告し違反者には罰則を課すこととし、次に「公平情報開示規則(Regulation FD)」という、企業の重要情報はある一定期間まで絶対に開示してはならないという規則を設け、企業幹部が重要な情報を証券関係者にうっかり漏らすという悪しき慣習を断ち切ることができた。

これによって、一般投資家よりも先に企業情報を手に入れて利益を得ていたアナリスト、仲介業者や機関投資家は、同じスタート・ライン上で一般投資家と競わなくてはならなくなった。

そして、レビット氏の次なる改革は一般投資家がもっともよりどころする決算書を監査する公認会計士協会にも及んだ。

ストック・オプションの費用化を渋るハイテク業界と会計基準を設定するFASBを説得し、コンサルティング契約(企業を健全化し適正な決算をつくるために助言する業務)と監査(企業が健全かどうか審査する業務)という相反する目的を持つ業務を受託していた監査法人にこういった慣行を止めさせるように勧告した。

 また、ハイテク業界内でおこなわれていた合併にともなう営業権を仕掛り研究開発商品として一気に減損償却して、来期以降の利益を過大にみせるといった決算書上のカラクリを非難し、もっと透明度の高い会計基準を設定するように注意する。

 さらにレビット氏はコーポレート・ガバナンスにもメスを入れた。監査委員の全員が社外取締役でなくてはならないという規則を法制化し、形骸化していた社外取締役に財務報告書の妥当性を検証させるという責任を負わせた。

 ものすごい改革をやってのけたレビット氏だが、この改革には経済界、会計士協会、投資信託協会などから送り込まれたロビイストの凄まじい反発があった。

その中でレビット氏は「個人投資家の利益を守り、公正で透明性の高い市場を構築する」という目標の下、アメリカの消費者連合や消費者同盟、AFL-CIO(米国労働総同盟産別会議)、AARP(全米退職者協会)など、消費者や組合労働者、高齢者などの個人を代表する団体の支持を得て改革に成功した。

 レビット氏の改革への情熱もさることながら、その背後には個人の利益を代表するさまざまな団体が市場の健全化を願って株式の運用者を注意深く監視していたという事実も見逃せない。

 前述した『日本の選択』を書いエモット氏やタスカ氏は、日本はいまだ企業主体の経済体制であって、「前川レポート」にあったような消費者主体の経済を確立していないという。

 健全な株式市場をつくろうと思えば、株式市場というスタジアムを運営するプレイヤーが健全であるだけでなく、観客である投資する側も同様に眼が肥える必要がある、と考えさせらた一冊でした。

東京アジア金融センター論(上)

知日家であるイギリスのエコノミストの対談、『日本の選択』(ビル・エモット、ピーター・タスカ著;講談社インターナショナル)を読んで、最も印象に残った箇所である。
 
「やはり、日本はアジアの国際金融センターにならないと、国際社会でのプレゼンスを保てないのか」

とため息混じりに思った。

しかしながら、タスカ氏の日本の最悪のシナリオである、

もし、アメリカがこう言いだしたらどうなるでしょう。「中東の混乱を収拾するには中国の力が必要だ。中国はイランを始めとする中東の産油国に大きな影響力を持っている。われわれには中国の力がどうしても必要だ。悪いが日本は独自の道を歩んでもらいたい」

という文章を読んで、改めて日米関係は日本が外交上、魅力的なカードを提示し続けない限り存続し得ないのだ、という現実に気が付かされた。

エモット氏によると、金融は日本の得意分野であるという。

日本人の平均的感覚からすると、農耕民族の日本人は狩猟民族の流れをくむアングロ・サクソンと比較して金融の能力に劣ると思っていたのだが、どうもそうでもないらしい。

タスカ氏は日本の東京はイギリスのシティのようになるべきだ、という。

規制をゆるやかにして、外国人の納税義務を出来るだけ軽くし、厳しい規制を逃れてきた海外の投資家を大量に受け入れ、東京だけを特別な都市に仕立て上げるべきだと論じる。

更には、イギリスで他国籍の人間がイギリスの企業を所有するといった“ウィンブルドン現象”に学ぶべきだと説く。企業の所有者が日本人でなくなっても拒否反応を起こさず、経営能力が優れていれば積極的に外国人に会社の運営を委託すべきだという。

私はここまで読み終えて、日本も一時のライブドア騒動や村上ファンド問題の頃のような弱肉強食の金融資本主義の仲間入りをしなければならないのか、と嘆息しましたが、近代金融資本主義というものは必ずしもそういうものではないと述べられています。

本書でも述べられているように、ドラッカーは世界の資本主義市場の行き着く先を“年金ファンド型社会主義”と規定しています。

エモット氏の意見を抜粋すると、

資本主義やM&Aは、汗をかかずに私腹を肥やすホリエモンのような個々のベンチャー・キャピタリストのためだけにあるのではありません。たとえば、投資家であると同時に、慈善家でもあるウォーレン・バフェットのように、人々の尊敬と崇拝の対象になる人もいます。

それでは、公平かつ開放的で、透明性の高いグローバルな市場を東京につくるにはどうしたらいいかと考えると、やはり株式市場で一歩先をゆく、アメリカを範にしたいと思います。

私はこの本の後に、SECの委員長として、株式市場の公平性と透明性を勝ち得たアーサー・レピット氏の体験を綴った『ウォール街の大罪』(日本経済新聞社)を読みました。

そこで、次回は「東京アジア金融センター論(下)」で、アメリカの証券市場の透明性を高め、個人投資家の利益を守った、レピット氏の株式市場におけるさまざまな改革の方策を紹介して、それを他山の石としたいと思います。

Monday, April 02, 2007

日米比較 Discussionする日本人

 某金融機関に勤務する川本女史が言った。

「どうして日本人は議論しないんでしょう。議論しなきゃ何も始まらないのにね」

まさにその通りだと思った。

昔、読んだ深田祐介さんの『新西洋事情』(新潮文庫)に、西洋人は会議では、口に唾しながら激しく議論し、時には激昂したりもするが、会議が終わると一変、喧嘩をしていた二人が何事もなかったかのようにニコニコしながら握手を交わして食事を一緒にとる、といった光景を見て驚いた、とその本に書いてあった。

西洋人にとって議論は、その場限りのものであり、プライベートな交流には何も影響を及ぼさない、と書いてあった。

おそらく西洋人は議論を情報交換の場と心得ており、お互いの立場を主張し理解してもらうことに議論の意義を見出しているのだろう、と考える。

これは、日本人にはなかなか出来ない芸当である。日本人が議論したならば、お互いその傷を後々まで引きずってしまうのではないだろうか。

「和をもって貴し」となす日本人が生来、議論を嫌うのはわかるが、おそらく日本人は議論下手なのではないか。

いまだに、外資系の会社でも議論することはタブーだという。

お互いの優劣を競う議論ではなく、建設的な情報交換をおこなう議論ならば、大いにするべきだと思いますが、如何でしょうか。