Tuesday, April 17, 2007

松田優作さんを偲ぶ

大阪の本町駅を歩いていたら、大きな赤いリュックサックを背負った外人さんが、

「チョット、スミマセン」


と声をかけてきた。

「ウメダヘ、イクミチガワカリマセン」

というので一緒に御堂筋線に乗った。「どこの国から来たのか」と聞くと、

「オーストラリアデス」と答えた。よく外国人の人が「アナタ、カミヲシンジマスカ?」と聞くので、逆に聞いてみようと聞いてみたら、

「アングリカン・チャーチ(イギリス国教会)」と胸を張って答えた。

「オウ、ブリティシュ・エンパイアーズ・・・・・」

ということで、わずかな間だけれども、イギリスの話をした。イギリスの英語教育機関ブリティシュ・カウンシルに入ったけれども、開口一番スコットランド独立の英雄マイケル・コリンズを尊敬しているといったら、IRAと勘違いされたのか、非常に冷ややかな態度でした、と言ったら、「ワッハッハッハ」と笑ってくれた。

彼は日本人のお嫁さんを持ち、大阪をこよなく愛してくれているとのことである。

そういえば、大阪は「ブレード・ランナー」をつくった巨匠、リドリー・スコット監督の映画の舞台にもなったんですよ、と言ったら、「オウ、ブラック・レイン」と言葉が返ってきて、「ユウサク・マツダ」という名前も出た。

そして、久しく忘れていた松田優作さんの「ブラック・レイン」出演にともなう欧米メディアの高い評価を思い出した。

今はグローバリゼーションの時代、渡辺謙さんが「LAST SAMURAI」で高い評価を得たのをはじめ、真田広之さん、役所広司さん、松平健さんと、国際映画界で活躍している。

しかしながら、当時は国際舞台への道は狭く、欧米メディアに評価されるなど夢に等しかった。

この作品で高い評価を得た松田優作氏はロバート・デ・ニーロと競演する予定であったが、「ブラック・レイン」出演中に進行中であった癌が悪化し、「ブラック・レイン」封切り後にあっけなく死亡した。

死を悟った松田優作が、入院中であることをひた隠しにして出演した番組がある。

「おしゃれ30-30」という番組である。

アシスタントのジャズ歌手、阿川泰子さんと劇団で同期であったために出演したそうなのだ。

松田さんが死の間際であるということを知らない司会の古舘伊知郎氏と阿川泰子さんは「松田優作がトーク番組に出演するのは珍しい」と大喜びで出迎えた。

松田優作さんといえば「太陽にほえろ」のジーパン刑事。その時のVTRが流れた。

犯人の銃弾を集中的に浴びて白いシャツが赤く染まったジャーパン刑事は、

「なんじゃこりゃ。血だ、血だ。俺は死にたくねえよー。俺は死にたくねえよー」

と絶叫する。

松田さんの病状を知らない古舘さんはVTRをみて、

「どう思われます? 自分の若い頃の姿を見て?」

と問うと、松田氏はしばらく考えたあと、

「頑張ってたねぇ」

とボツリと言った。

その放送から間もなく松田優作氏が死亡したというニュースを聞いた私は本当に驚愕した。テレビをつけると、葬式に参列していた古舘伊知郎さんは悲痛な顔をして、親友の阿川泰子さんにいたっては号泣していた。

松田さんは癌の進行を知っており、「ブラック・レイン」に出演すれば自分が確実に死ぬのはわかっていた。それでも国際舞台に出るチャンスはこれしかないと考えた松田優作は生きることをあきらめて演技をとった。

この姿は私の人生に大きな影響を与えた。

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