Tuesday, March 27, 2007

「人格なき社会を憂ふ」 「文化的資本」=「教養」=「人格」論 (下)

「ヨーロッパ語においては、教養イコール文化であり、教養というものは、文化的存在としてその人の全人格的なあらわれそのものである」といいます。

やはり、「教養」=「文化的資本の蓄積」=「人格」であると思わざるを得ません。

おそらく、私はこの人は損な人生を歩んでいるな、とか、不運な人だな、と思われるに違いありません。

しかし、私はむしろ幸運であったし意義の有る人生だった、と言うことが出来ます。そう言う事が出来るのは、さまざまな会社での苦い経験を差し引いても余りある豊かな精神世界を持てたということです。

私はさいわいにして高い教養のある人に巡りあうことが出来ました。

時には打ちのめされますが、そのことに触発され、その人の住む広い世界を知ることによって私の精神世界が広がったことに対して感謝にたえないのです。

私は教養人ではありませんが、その方々とたまに会って、すぐに特定の分野について共通の基盤に基づいてコミュニケーションできるという快感は何物にも変えがたいものです。

最近、
「学校で教えることが何の価値があるのか」

という子供が増えているそうですが、彼らは学校という学びの場で学習した共通言語、そしてその場で経験した友情、喧嘩、恋愛、苦悩、試練など人生の諸体験が、その後のコミュニケーションの形成の基盤となることを知りません。

外国語が堪能になれば、その国の人と精神世界を分かち合うことができます。数学が得意になれば数学の言葉で数学の世界を分かち合うことができます。豪華な食事をしなくても、立派な車に乗らなくても、お互いの世界観が通じ合えばそれで幸せを感じることが出来ます。

コミュニケーションの基盤が脆弱であれば脆弱であればこそ、コミュニケーションが通じる相手の数が少なくなり、やがてその人は自らの貧弱なコミュニケーションしか通じない世界に閉じこもるか、孤立してしまうことでしょう。

ましてや、日本は経済的な合理性を優先してきたため、地縁共同体も血縁共同体、宗教共同体などもほとんど壊滅状態です。こういった状況の中、義務教育による共通の基盤を大切にして守ってゆくことが大切な生命線であるのに、と思わざるを得ません。

私は日本における最後のセーフティーネットの砦は、こういった共通の体験に基づく相互のコミュニケーションであると思います。

ですから、これからの若い人たちには、読書やインターネットを通してさまざまな世界を知り、その人の他の何者にも代えがたい自我、人格を高めていっていただきたいのです。

「人格なき社会を憂ふ」 「文化的資本」=「教養」=「人格」論 (上)

「爽秋の春風駘蕩ならざる日々」の来訪者がお陰様で5,000人を超えました。

毎回、1,000人を超えるたびに、ウイットのきいた(つもりの)ジョークを掲載してきたのですが、あまり読者受がよくありませんでした。

また、私が感動した本の文章をそのままの引用しているだけの記事へのアクセス数も少ないことに気が付きました。

案外、読者の方々は真面目な私一個人としての視点なり、意見を尊重して読んでくれているのではないか、という錯誤に基づいて今回は意見を述べさせていただきます。


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皆さんの中で、集団の中でひとりだけ疎外感を覚えたとか、仲間との距離を感じたという体験はありませんか?

村上春樹さんがプリンストン大学の客員教授として招かれた時に書いたエッセイの中にこういう面白い体験があります。

(以下、引用)

でも、僕の知っているプリンストン大学の関係者は、みんな毎日『NYタイムス』を取っている。『トレントン・タイムズ』(ローカル・ペーパー、その地域でしか読まれていない)をとっているような人はいないし、僕がとっているというと、あれっというような奇妙な顔をする。『NYタイムス』を取っていないというと、もっと変な顔をする。そしてすぐに話題を変えてしまう。

とくに『NYタイムス』を週末だけ取って、毎日『トレントン・タイムス』を読んでいるなどというのはここではかなり不思議な生活態度とみなされる。もっと極端に言えば、姿勢としてコレクト(正しきこと)ではないのだ。

ビールについても言える。プリンストンの大学関係者はだいたいにおいて輸入ビールを好んで飲むようである。ハイネケンか、ギネスか、ベックか、そのあたりを飲んでいれば「正しきこと」とみなされる。

ある教授と会ったときに世間話のついでに「僕はアメリカン・ビールの中ではバド・ドライが好きでよく飲んでますよ」と言ったら、その人は首を振ってひどく悲しい顔をした。「僕もミルウォーキー出身だからアメリカのビールを褒めてもらえるのは嬉しいけど、しかしね・・・・」
と言って、あとは口を濁してしまった。

要するにバドとかミラーといったようなテレビでばんばん広告をうっているようなビールは主として労働者階級向けのものであって、大学人、学究の徒というのはもっとクラシックでインタレクチュアルなビールを飲まなくてはならないのだ。

ここでは何がコレクトで何がインコレクトなのかという区分がかなり明確である。

(『やがて哀しき外国語』(村上春樹著;講談社文庫))

この文章から読みとれるのは、プリンストン村の中には深い伝統に根ざした独自の文化があり、客員教授として招聘された村上氏でさえ乗り越えられない壁が存在する、という話である。

人間とはこういった些細なことからも疎外感を感じてしまう動物である。

この例は些細な生活習慣上の違いですから、マイナーな事として片付けられますが、言語が同じであるのに、相互に文化的基盤が違いコミュニケーション出来ないという事態に至った場合はさらに悲惨な感じがします。

五木寛之さんの作品に『黄金時代』という短編があります。

五木さんの実体験から書かれた小説だと思いますが、戦後の焼け跡の中から東京に出てきた五木さんが、金がないため、神社の境内で寝泊りし、血を売って生活していた頃の話である。

売血所の女の子とようやくデートにこぎつけ、その女の子と一緒に喫茶店にいた主人公。やがて、偶然一緒の喫茶店にやってきた同じ早稲田の金持ちのカップルと同席することになります。

3人が文学やクラッシックの話で盛り上がる中、痺れを切らした売血所の女の子が会話の輪の中に加わろうと、採血の仕方や消毒の話をしはじめる。

どう反応してよいか困って困惑する金持ちカップル。「よせよそんな話」と恋人にいう主人公。

その場の雰囲気にいたたまれずに「私、帰ります」と席をたった女の子。何もせず見送る主人公。

悲しいかな、売血所にいた女の子は、高等学校を卒業するや否や、採血場に入り労働していたため、大学生の語るような形而上的な知識を身につけることなく世の中に出てしまったのでしょう。

しかしながら、彼女はけなげにも職場で覚えた知識を話すことによって、3人と共通のコミュニケーションをしたいと願ったのですが、その話は3人の文化的基盤とは大きく離れてしまったため、座は白け、彼女は人格的に否定されたようないたたまれない気持ちになってとびだしてしまった。

こんな経験、ありませんか?

私も年上の女性とデートした時に解消できない壁があって悔しい思いをしたことも、知識人との会話にまったくついてゆけず、無言のまま3時間過ごした、という悔しい思いでもあります。

そんなときに必ず感じるのは彼我の差と、人格的なあつみの違いです。

Sunday, March 25, 2007

追悼・城山三郎氏

城山三郎氏が亡くなった。まさに「昭和の巨星墜つ」といった感じである。
(http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20070322NT002Y16622032007.html)

司馬遼太郎、松本清張、城山三郎といえば、「昭和大衆文学の3大巨頭」である。

戦前の国粋主義に陥れた歴史観を変えるため、客観的なデータをもとに日本の歴史を綴った司馬遼太郎氏。人間のこころの奥底にひそむ暗部を描いた推理小説や戦後の混乱期に起こった事件の真相をえぐりだした松本清張氏。そして、戦前から戦後の経済人の活躍を描いた城山三郎氏。

追悼の意として、城山三郎氏の印象に残った随筆をここに記します。

(以下、引用)

「ざっくばらんの強み」

 東大などの一流校を出て、中央官庁に就職したエリート中のエリートの自殺が、ときどき伝えられる。
 
 不満があったり、挫折があったりしたところで、前途洋々の身である。少し辛抱さえしていれば、天下の大道を歩いてゆけるのに-と思うのだが、やはり死を思いつめる他なくなるのであろう。

 なぜ、そうなってしまうのか。

 ひとつは、彼等の育ってきた環境による。つまり、子供のころから、友人を選び、学校を、師を選んで、その他のつき合いをしない。

 知的に劣ると思った友達も、つき合ってみれば、思いがけない魅力がある。教育、とくに受験教育には練達とはいえない教師にも、人間としてすばらしいよさがあったりする。

 どんな人間にも深く付き合えばよさがあるのだが、深く付き合うとか、つき合いに耐えるという習慣を身に付けないまま、大人になってしまった。

 就職してみると、同僚も上役も、自分で選んだ人間ではない。内心、知的に劣ると思った人たちが居ても、じっと耐えて行かなければならない。そのことがやりきれなくなる。

 次に、エリート中のエリートであるだけに、自分の仕事に完全を期待する。ノン・キャリアのベテランに教われば簡単にわかることまで、自分ひとりで解決しようとする。

 人間は万能ではなく、いくらエリートでも大学で習わなかった官庁事務については、ただ考えてわかるわけではない。

 だが、エリートの誇りが、助けを求めることを許さない。

 とにかくひとりで抱えこみ、ひとりで悩み続ける。そのうち、
「この程度のことも、自分にはできないのか」

 と、誇りや自信が打ち砕かれる。そこで助けを求めればいいのに、とにかく自分でやってしまうと、その成果について完全主義者だけに採点がきびしく、自らに絶望してしまうという構図である。

「なまじっか学校に行っていると、裸になって人に聞けない。そこで無理をする。人に聞けばすぐにつかめるものが、なかなかつかめない。こんな不経済なことはない」

と、本田宗一郎さんはその初期の著書『ざっくばらん』でいっている。

「僕の特徴は、ざっくばらんに人に聞くことができるということではないかと思う」

とも。

本田さんは、聴講はしたけれども、正式には学校を出ていないということでかえって、だれに対しても、こだわらずに、ざっくばらんに聞くことができ、ひとつにはそのおかげで今日があるというのである。

打たれ強くなるための工夫以前の工夫のひとつであろう。


(出典:『打たれ強く生きる』(城山三郎著;新潮文庫)

Friday, March 23, 2007

嵐山光三郎氏が語る、中原中也&萩原朔太郎

中原中也

「(中略;嵐山氏談)それからもうひとつ。これは生前の大岡昇平に教えられたことなのだが、中也の顔として知られている黒帽子の美少年像は、肖像写真が複写されつづけてレタッチされた結果、本物の中也とは、まるで別人になってしまったことである。三十歳の中也は「皺が多いどこにでもいるオトッツアン顔だよ」と大岡氏は語っていた。私は大岡氏の指示通り、「中原中也の顔写真変遷史」のグラビア記事を作ったことがある」

(感想)中原中也は教科書に出てくるような美少年ではなかった。小林秀雄に女優長谷川泰子を盗られたのも、「目の前の相手を、一語一語、肺腑をつくように正確に攻撃する」罵倒癖に原因あり。初対面の中村光夫の頭をビールびんで殴ったらしい。


萩原朔太郎

「(中略;嵐山氏談)前橋市医界の重鎮である父密蔵は、朔太郎に「なにもしなくていいから、羽織ゴロだけにはなるな」と命令した。羽織ゴロとは小説家・詩人のことである。市の雑役夫になりたいという朔太郎の申し出も認めようとしなかった。朔太郎は、よく言えばデビューまでの思索期間が長いということになるが、現実には無為の時間をもてあまし、退屈の焦燥から、意味もなくひたすら町を歩き回る生活無能力者であった。朔太郎はそのことを恥じ、現実から逃避しつつ異界をまさぐった」

(感想)萩原朔太郎は「だるい牙と青光りする陰影の詩で一世を風靡し、冴えた言葉使いは芥川龍之介を脅えさせるほどの力があった(嵐山氏談)」。思索者は現実社会と乖離し易い。悲しい性。

種田山頭火

最後に私の好きな、種田山頭火の日記より引用

「(中略;嵐山氏談)犬から貰う―この夜どこからともなくついて来た犬、その犬が大きい餅をくわえて居った、犬から餅の御馳走になった。/ワン公よ有難う」

分け入っても分け入っても青い山

(引用)『文人悪食』(嵐山光三郎著;新潮文庫)

Wednesday, March 21, 2007

相互理解と人徳が売物、人が人をよぶ都会のサーチ・ファーム

本日は1999年からのお付き会いのある虎ノ門駅1分(住所は霞が関)にあるサーチ・ファーム 株式会社エイドウィズを訪れた。経営者は、竹氏彰さんというのだが、この人も影響を受けたビジネスマンの一人である。

3度目の転職の際は竹氏さんに相談には載ってもらっていたが、直接紹介されお世話になった分けではないが「お前の骨は拾ってやるからな!」と言って送り出してくださったのだから、心強いことこの上ない。

15年前、外資系IT企業の社長に39才で就任。

その後、親会社の業績不振により、親会社は買収され、それを受けて竹氏さんは自動的にいきなり解雇の憂き目をみる。妻には知らせたが、子供には何も言わず、カバンを持って無言で家を出てゆく日々が続いた。

やがて2度目の外資系IT企業の社長に就任。米国人の創業者に可愛がられ、ビジネスも順調に推移したが、創業者の退任に伴ってのポリティックス渦の中でもまれ、その後1年がかりで退職に追い込まれる。

2度もご自身の能力や成績ではなく、不可抗力による退陣に、2度あることは3度あるという諺のように、3回目のIT系社長のオファーを断りサーチの世界へ入る。

今までの経験や知識、人間関係、その他何一つ失うことなくそれらが生かせて、それでいて自分の足で立てる仕事を真剣に探した結果、それがサーチ業界だった。わずか1週間の結論だった。実に腹のくくりがいい。

 「他人の影響で自分の貴重な人生を曲げられたくない。自身の能力、才覚でダメなら公園で生活しても良い。」と言った考えでサーチ業界に飛び込んだ。

当時はまだまだ、外資系企業の採用がほとんどで日本企業での中途採用はほとんどなかったが、竹氏さんは人並み外れたエネルギーで、今までのサーチのやり方を学び、そこに今まで培ったビジネスセンスを入れ、現在のエイドウィズ理念の原型を1-2年で作り上げていく。

この業界に入っても決して平坦な道ではなかった。人の人生を預かり、新しい職場を紹介し、そこで成功してもらうことの難しさと売上を上げることのバランスはかなり難しい事であった。

すなわち、竹氏さんの持つ「WIN&WINの理念」を実行するためには、それなりの能力とボランティア精神が必要で、多くのコンサルタントは自分の売上を上げるために、大げさに言えば、キャンディデイトの人生を犠牲にしてしまいがちである。

竹氏さんの理念を同僚や仲間が一人でも破るとこの信頼のビジネスは回らなくなる。

こんな事から、竹氏さんは1度目の会社を自ら退き、2度目の会社も手放し、そして3度目の正直として100%自己資金で創業。今はご自身の理念を真正面から貫いておられる。

一言で言うと「ゆっくりした歩みだが王道を歩んでいる」

今年の4月で5年目を迎える。エイドウィズのHP(皆様の声)には140人ぐらいキャンディデイトから寄せられた感謝の声が載っている。

基本的に竹氏さんは「ビジネスマンのセラピスト」を自らもって任じており、キャンディデイトの成功をファーストプライオリティにしており、利益に対しては恬淡としたスタンスをとっている。

クライアントとキャンディデイトの信頼のネットワークが既に構築され、コンサルティングフィーも高めだが、信頼感が増してくるとそれもクライアントからの引き合いで少し上昇している珍しい会社と言える。

それも、HPの転職アドバイス(コラム)に書いてあるようにキャンディデイトに対する親切かつ懇切丁寧なコンサルテーション、ヘッドハンターとして正直かつ誠実であること、キャンディデイトのニーズと合致する比率の高い企業を厳選して選び抜く能力が大きいと考える。

ニッセイ基礎研究所によると人材紹介業は、1997年の規制緩和による紹介職種の拡大および初期投資が軽微であること、厚生労働省の許認可のハードルがほとんどないぐらい低く、誰でも人材紹介業が始められることから、新規参入が後を絶たず、モラルのない、能力のない、、、、いろいろな人材紹介業者が、雨後の竹の子の如く乱立している。

 人材紹介会社の中には、十分なスキルを測ることもせずに、仲介手数料欲しさに誇大宣伝をキャンディデイトにおこなう悪徳業者も多いという。あるいはキャンデイデイトの無知に付け込んで問題企業を紹介する紹介会社も後を絶たない。その中で当社は極めて良心的と言えるのではないだろうか。

 人材紹介会社の人の中には、紹介した先の人がどうなったのか、ほとんど気にしない会社、コンサルタントがかなり多いそうだ。

もちろん、追跡調査をしているところは皆無に近いとのこと。 自分の売上を上げることしか考えていないケースがほとんどだという。

上場している人材紹介企業ですら、新入社員の時は良く分からないけど、5-6年ぐらいこの仕事をやっていると、「自分の売上の為に人の人生を敢えて曲げているのでは?」との罪悪感のあまり、仕事を辞めてしまうのがこの業界では結構多いという。

竹氏さんは「まるで利益を上げるために建築士が耐震強度の弱い建築物を造って、その建物に寄り付かないのと同じだ」と言う。

もちろん竹氏さんはこういった歪んだ業界に「まともな会社もあるんだ!」といった一石を投じたいと考え、日々彼の理念を実践している人であることは言うまでもない。

 人材紹介業は、登録をベースに紹介する一般紹介型(大手企業はほとんどこれ)、クライアントのニーズに合った人を探して紹介するエグゼクティブサーチ型、企業を早期退職した人を1時的に預かり再就職のコンサルティングをするアウトプレースメント型の3つに大別されるが、竹氏さんの経営する株式会社エイドウィズは、エグゼクティブサーチ型である。

エグゼクティブと冠が付いているからと言って、皆さんがイメージするお年寄りの人ばかりを意図しない。

コラムの「第19話 “エグゼクティブ”って何?」にも書いてあるが、年齢ではなく将来のエグゼクティブ候補になりえる人を支えてくれる。キャンディデイトが真剣であればあるほど情熱を持って支援してくれるのが特徴である。(であるからして私も竹氏さんに支えていただいているのである)

終身雇用制度が崩れ、今までのような滅私奉公では自分の将来が構築できないことを発見した一流企業の優秀な人材がどんどん流動している。最近は優秀な若手ほど辞める時期が早まっているようだ。

もちろん、年収の高い外資系企業に就職してしまうケースもあるが、ベンチャーに行ったり、自分で会社を立ち上げたりと言う人も出始めている。

独立する人にも竹氏さんはボランティアでコンサルティングを実施し、何人も独立支援をしてきた。

 ご自分の人生について真剣に考えてみたい方、転職はしたいが”ろくなコンサルタントがいない!”と嘆いている方は、一度、以下のエイドウィズHPの転職アドバイス(コラム:現時点で32話ある)を読んで見てはいかがでしょうか?

太平洋で遭難しかかっている人生のヨットの帆を立て直す羅針盤になるかも知れません。


株式会社エイドウィズ
Aidwiz HP Column;http://www.aidwiz.co.jp/contents/column/column.html


(追伸)

第48回 「相互理解と人徳が売物、人が人をよぶ都会のサーチ・ファーム」(https://www.so-net.ne.jp/blog/entry/edit/2007-03-21)株式会社エイドウィズが「週刊現代」に掲載されました!

 1月21日発売の「週刊現代」

(2008年2月2日号 講談社)にて掲載中!

30代~40代サラリーマンに急増中!「幸福のヘッドハンティング」される中間管理職の条件(P.168)

■竹氏社長は、道路工事のアルバイトをしながら学費を稼ぎ、工学部、大学院を出られた苦労人。だからこそサラリーマンの悩みに真摯に対応されます。業界ではサラリーマンのセラピストとして有名です。 (http://www.aidwiz.co.jp/index.html)(http://www.aidwiz.co.jp/shukangendai0202.pdf)

Thursday, March 15, 2007

日米比較 人材の流動化とフリーランサーの登場

例によって、深夜の濫読をしていると、『政策形成の日米比較』(小池洋次;中公新書)という本に非常に興味深いことが書いてあった。

(以下、引用)

故山本七平氏の日本人論によれば、人間誰しも組織に帰属することで、自分のアイデンティティー(自己の存在)を確認しようとする。

「帰属意識」がキーワードなのである。日本の社会に地縁共同体も血縁共同体も崩壊し、いま日本人が自分の帰属を確認し、自分の存在に安心するのは会社や役所という共同体になる。

だから、会社や役所の規範が最も重要になる。

常識で考えれば間違いとわかることを真面目な役人やサラリーマンがやってしまうのも、彼らの帰属する共同体が会社や役所しかなく、そしてそこでの規範を守ることが国の法律やモラルを守ることよりも優先するからだ。

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 この話を読んでいて、私はある都市銀行マンが老夫婦の預金を流用したことが会社に発覚することを恐れて、その老夫婦を殺害してしまったというエピソードを思い出した。

 法律よりも強い強迫観念を抱かせる会社の規範。そこには共同体から離れることが、イコール社会的抹殺という恐ろしいイメージがあったのではないか。

欧米とアジアの人権意識は大きく異なると聞いたことがある。

集団や組織の論理で個人を犠牲にすることやむなしとするアジアと、個人主義の発達した欧米と異なると。

それならば、欧米の役人やサラリーマンが何を規範にして行動しているかといえば、それは、本書によれば、国の憲法であり法律であり、そこには中世から近世に至るまでの市民か築き上げた「個の確立」と「普遍的な価値観」に基づく行動規範によるという。

 つまりは、西欧においては、夏目漱石以来、日本人が悩んできた「個人主義」がしっかりと確立しており、日本では死滅した地縁共同体も血縁共同体、宗教共同体が存在し社会のモラル確立に充分生かされている、という訳である。

 また、私は次のような記述に目を奪われた。

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(以下、引用)

官民の間に限らず、米国では職業移動が頻繁である。米国の友人たちはいとも簡単に職を替え、またいつも、よりよい職を求めている。
複数の職を持つ人も少なくない。シンクタンクに勤務する友人はこういった。

「むしろ同じポストにいるほうが珍しい。同じポストにいるということは、他の仕事ができないとみなされる。いわば無能の証明なのです。だいたい3年もいれば、その次を考えるのが普通」

年功序列の日本から来ると、まず驚かされるのが、この点である。日本ではまったく逆で、職を替える人は「失格者」とみなされることが多く、中途採用側は「前の職場で何かあったのではないか」と勘繰られるのが落ちである。

一つの組織で上り詰める人が評価される社会が日本であり、組織を渡り歩きながら「会社」ではなく「社会」を上り詰める人が評価されるのが米国である。

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日本でもこういう人たちが増えてきている。

昔は「企業の寿命は三十年」と言われていました。今は「企業の寿命は十年」といいます。

いつまでも古い体質の組織を墨守するだけでは、企業は生き残れません。そのためには、会社は個々人の能力や創造力を駆使して変幻自在な鵺のような存在である必要があると思います。

変幻自在に変わりゆく組織に適応するために、社員も変わらなくてはならない。その適応行動としてさまざまな組織をわたり歩いて行く人も多いと考える。

脳生理学者の養老先生はよく「人間は変わるものだ」という。そして、「変わらない自己がある」なんてまやかしだという。

大人からは我慢を知らない、自己中心的な行動と非難されるが、もしかすれば、激動の失われた十年を自分なりに変わりながら、それでいながら確固たる行動規範を持って生きてきた人なのかもしれない。

経営者としても社員を囲い込むよりも、時代時代に応じて人材を確保していったほうが都合が良いのではないか。終身雇用制度をとるから退職給付の将来給付を見積もらざるをえなくなり、企業業績も落ちる。

またこういった人たちの中から、有能な人は個人で法人格を取得し、会社という枠を超えてさまざまな方面から仕事を受託して報酬を受け取るというフリーランサーも出現している。

ビジネスは米国流になりつつある。雇用関係も同様に、私も含め、こういったJob-Hopperたちにも寛容な世の中になって欲しいものである。


(後日譚)
我々の世代では「スリーストライク・アウト」という企業内の不文律が有り、サラリーマンでも3度しか転職は許されないという原則がありました。世の中、平穏な時代に入りました。私が言うのもなんですが、「ここを戦土と心得て」不遇でも耐えてください。おかしな要求が会社からだされた場合には、労働基準局などしかるべき公的機関に相談し会社と交渉してください。

Monday, March 12, 2007

異文化との遭遇

「爽秋の春風駘蕩ならざる日々」、来訪者が4,000人を超えようとしています。

 年末の休みに、何気なく、昔かいた文章をアップして、ブログにしてみたのですが、何の宣伝もなく10日間で1,000人の人々が読んでくださったことに非常に感動しました。

 最近は、読者の期待に応えようと、無理をしてむかし書いたものをリバイスしてアップすることが多くなって来ました。これからは、なるべく最近見聞きしたこと、最近のトピックを中心に書き綴ってゆきたいと思います。

  あまり、不真面目な文章は読者受けが良くないのですが、アクセス増は喜ばしいことなので、一席設けさせていただきます。

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英会話スクールに通っていた頃、イギリス国籍の黒人の女性が懇切丁寧に英語を教えてくれました。

大学ではホメロスを専攻していたという非常に教養ある女性だったが、何日か通った後、授業中に仕事からの緊張感から解放された喜びからか、ついつい笑いが止まらなくなってしまった。

"What's funny?"

と黒人の女性が尋ねてきたので、答えようがないので、

”This smile deeply rooted in Orientalizm"

と答えた。

私が思春期の頃は、日本人異質論がはびこっており、日本人はなぜか意味もないのにニコニコして気味が悪いというということが流布されていたので、そう答えたのであるが、おそらく彼女にその真意は伝わらなかったであろう。

”You are funny guy. Funny"

と言われたので

”Oh, Yes. I'm funny guy. Exactly"

と笑いが止まらなくなった。

おそらく相手は、こころの中で、

”He is crazy. Definitly."

と思った事だろう。



(説明) 仕事に熱中しているとその長時間にわたり緊張し空気がピーンと張りつめます。そして、ついつい私的な時間にその緊張感から解放され、公的な場で意味のない笑いが込み上げてきます。私的に英会話学校に通うのは私的な行為でしょうが、ついついその公的な場で私的な笑いが込み上げてきます。公的な場で私的な笑いをあげた私は狂人そのものです。

何のために書くか、

(以下、引用)

何のために書くかということは作家にとって大問題であるが、たとえば日本の純文学では、金や名誉のためでなく自己のために書くことがよいこととされる。

(中略)

宮沢賢治の数ある童話の中でもとりわけ名作の一つである「なめとこ山の熊」は熊を殺して生計を立てている淵沢小十郎という猟師が、その罪を感じてわが身を熊に捧げるという話であるが、小十郎は「法華経」にある、自分の身を殺して他人のために捧げるという薬王菩薩であるといってよかろう。

また賢治は多くの詩のなかでもっともポピュラーな「雨ニモマケズ」という詩は、同じように「法華経」にある、人に馬鹿にされながらも、人を愛し、人のために尽くすという常不軽菩薩の生き方を自己の生活の理想として歌ったものであろう。

(『梅原猛、日本仏教をゆく』(梅原猛;朝日新聞社)より引用)

私は薬王菩薩でも、常不軽菩薩でもありません。

本日の私は憤怒の嵐の中の仁王といったところです。

資本主義の修羅の巷に、罪無くとも、その身を捧げよという不条理が堂々とまかり通る。

罪なき身に更なる悪罵と嘲笑と理不尽なレッテルが貼りつけられる。

げに、世の中に嫉妬ほど怖いものなし。

『国際会計基準戦争』(磯山友幸著:日経BP社)と”Intergenerational Equity”

『拒否できない日本の』姉妹編のような本。

会計分野であるためか何故かあまり売れていない。

会計士2次試験合格者は、大蔵省から会計士の賞状を授与されます。

昔、この言葉に違和感をおぼえたことがあります。

独立不羈、公正不偏がモットーの会計士が、キャリア官僚からうやうやしく表彰されて喜ぶとは!!

会計士になっても行政府の管轄下に入らざるを得ないのかと、職業専門家という言葉に憧れていた私は少し失望した。

それだけに、本書に書いてある「会計士の独立宣言」とも言える、2000年1月18日の中地宏会長によるスピーチは感激した。

「今日、特に、会計基準の設定、ならびに監査基準の設定の民営化へと時代の強い要請を受けております。それゆえに、民間団体を主体として力強い組織への道を粛々と、かつ力強く歩むことが、国際社会における日本の勝利につながると言えましょう」

「行政府からも、立法府からも、そして司法府からも頼られる公認会計士を目指す」

しかしながら、喜んでばかりもいられません。

グローバルスタンダードに乗り遅れた日本の経済的損失は甚大で、そのツケは大きすぎるほど大きかったことが本書を読むとわかります。

本書は日本の行政府つまり公会計の遅れにも警鐘を鳴らしている。この分野の改革を急がねば、海外での国債や地方債の信頼性が損なわれ、我々はまた国際社会から取り残されるであろう。

There is no time to waste.

小生は早急に、公会計の分野に「世代間の公平(Intergenerational Equity)」という概念が入ることを望みます。

世代間の公平(Intergenerational Equity)とは、自分たち世代が納付すべき税金を、将来の納税者に負担させてはならない、ということを意味します。

As indicated in Concepts Statement No. 1 (GASB 1987, para. 60), intergenerational equity implies that "the current generation of citizens should not be able to shift the burden of paying for current-year services to future-year taxpayers."

詳しくは以下のホームページで、
http://www.icgfm.org/c5.htm

川端康成と巫女

私が3年前、越後湯沢の川端康成記念館を訪れた際、最も心惹かれたのは川端氏の書斎に常に掛けられていたという巫女を描いた小さな日本画である。

灰色にぬりつぶされた背景に溶け込むように、黒い烏帽子をかぶり白衣に赤袴といういでたちの少女が笹を手に不安げにたたずんでいる。これから来るであろう、大きく抗いがたい神威に身を捧げざるをえない少女の諦念が、灰色の背景とあいまってその日本画をより陰鬱なものにしている。

年端もゆかない巫女はかっと見開いた川端氏の眼と対峙しながら神々のご神託が川端氏の万年筆に降るように夜な夜な祈り、舞い、踊っていたのではなかろうか。

その日本画をみて、優れた作家というものは畢竟巫女のような存在ではないかと思った。

彼らは筆によって時の声をつたえる。時代の精神と情操を言葉で汲み取り、未来を洞察しながら、人々の在り方に警鐘を鳴らす作家という種族は、人並みはずれて無意識と言おうか第六感が発達した動物ではなかろうか。

 自然の動物は地震などの天災が起こる前、本能によってその予兆を知覚することが出来るが、人間だけが発達するにしたがってこのような天変地異を予知できる動物的な本能が失われてしまった。

 しかしながら、作家という特殊な生き物だけはその本能が失われることなく、たくさんの生命体とつながった膨大な無意識の共同体のなかから、敏感に時代の変化の予兆を感じているのではないか。そんなことを思い出しながらゾクッと背筋が寒くなった。

自由化の時代に敢えて規制を唱える

関岡英之氏の『拒否できない日本』(文春新書)に触発されて、5年前に書いた雑文を公表する気になりました。

よろしければご一読下さい。


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  当初、日本人はグローバリゼーションという現象を、好意的に受け止めていたのではないだろうか。当時、日本経済停滞の要因は、閉鎖的な日本特有の経済システムにあるのではないか、と考えられていた。

株式市場の規制を緩和し、会計基準を国際化すれば、国際的な日本の会計不信を払拭することができ、対日直接投資も増加するだろう、と誰もが信じていた。外国企業との自由な競争は、日本企業に高コスト体質の改善や国際競争力の向上など、さまざまな副次的な効果をもたらすだろうとも考えられていた。そして、当時のサラリーマンはみな、この激しい経済戦争を耐えぬけば、再び以前のような繁栄が約束されている、信じていた。

 だが、グローバリゼーションは、日本人の経験則で予測できるような代物ではなかった。グローバリゼーションは、徐々にその恐ろしい牙を民衆に対してむき出すようになる。

ビジネスマンは、以前と比べて、より多くの業務をこなし、より大きな責任を負い、より激しい競争にさらされだした。そのうえ不安定化した雇用環境のもと、給料は下がり、、恒常的に重いストレスにさいなまれるようになった。人間らしい豊かな生活をおくる人々が大幅に減少し、経済システムから外れた人々には貧困ではなく、社会からの排除が待ちうける時代にかわった。

 統計によれば、最も豊かな国と最も貧しい国の経済格差は、1820年には3対1であったのが、1973年には44対1に、1992年には72対1に拡がったという。また、世界で最も豊かな国の中においても、富裕層と貧困層の所得格差が先進国の中で、最も大きいという。国が豊かになっても、ひとにぎりの人々しかその恩恵にあずかることができないというグローバル経済の矛盾が、この数字から浮かび上がってくる。  それにも関わらず、なぜ人々は未だにグローバリゼーションの掲げる、自由市場主義や規制緩和といったスローガンを信じているのであろうか。

米国社会におけるエスタブリシュメントでありながら、アメリカ型の開発を否定し、民衆中心の経済開発を唱える、ディビット・コーテンの指摘によれば、それは無限の資源がねむるフロンティアがひろがる時代に成功した理論を、そのまま現代に当てはめているからであるという。

たしかに、フロンティアの存在する時代であれば、人々が富を求めて自由に競争すれば、それは社会全体の利益となった。しかしながら、現代はもはや昔のように西部の開拓地や植民地のようなフロンティアが存在する時代ではない。人々は限られた資源をお互いに奪い合うしかなくなり、そのために多大なエネルギーを費やすこととなった。

 しかしながら、われわれが富をめぐる激しい攻防をおこなっても、豊かで明るい未来どころか、地盤沈下してゆく国際社会の姿しかみえないのは、なぜであろうか。

一般的に「国際経済」は国家ならびに諸国間の国際組織に規制された貿易や投資、「世界経済」は国家ならびに国家間の組織的な権力の及ばない越境的ネットワークにおいて行使される生産や金融組織に関わるもの、と区分して定義されているが、グローバリゼーションの進展に伴い、「世界経済」が占める割合は大幅に増加していると考えられる。

わたしは、その中でも、国家間の権力が及ばない世界経済の領域において、瞬時に富を収奪してゆく巨額な金融取引がおこなわれる世界金融市場の影響によるところが大きいと考える。   『貨幣の死』を著したダニエル・カーツマンは自著の中で、世界の金融市場における巨額の資金は、コンピューター・プログラムの中に書き込まれたある一定の条件に従って動いているのであって、株式や債券の国籍や銘柄のよしあしを人間が判断して投資しているのではないと語っている。

つまり、世界経済で最も影響力をもつ投機家にとって最も関心のあることは、国家や企業のおこなう有為な事業の発展ではなく、ただ貨幣という数字が増加しているという証拠だけなのである。

 金融の信用創造機能によって生み出されるグローバル・マネーの量は、生産部門を経由する資金の20倍とも50倍ともいわれる。市場化や規制緩和によって自由に国境を越えて活動しはじめた巨大なグローバル・マネーは生産経済を侵食しはじめた。

このような現象に危機感をいだいた一部の機関は、自由な金融取引を規制する方向に動きだしている。

 グローバル・マネーの急激かつ不安定な移動により、東アジアの金融危機が起こったことを問題として、国連貿易開発会議(UNCTAD)が「貿易開発報告書」の中で、途上国の経済を投機的攻撃から守る「金融セーフガード機構」の創設を提唱したのを契機に、世界の金融市場における巨額取引を規制する気運が盛り上がりはじめた。

 また1999年、カナダは、世界で初めてトービン税という投機目的の資金移動を抑止する税制を「早期に導入すべき」との決議を採択した。

2001年にフランス下院は、欧州連合諸国が足並みをそろえることを前提にトービン税の導入を法制化した。トービン税とは、アメリカの経済学者、ジェームズ・トービンによって考案された国際税制で、投機目的の世界金融取引に課税して、グローバル・マネーの暴走を抑えると共に、その税収を先進国の大量生産や大量消費の犠牲となっている開発途上国の貧困や環境破壊の対策資金にあてようという、南北の所得再配分方式である。トービン税は、通貨危機を未然に防ぎ、途上国の貧困脱出に活用できるものとして、関心をあつめている。

  さらに、投機家として名高いジョージ・ソロスまでが自著の中で、金融市場の崩壊を懸念し国際決済銀行(BIS)によるデリバティブ取引の規制や一部禁止を主張していることも、注目に値する。

 古代アステカ文明を視察した丸紅の鳥海元社長は古代の遺跡を前にしてこう言った。

「ああ、わかった。アステカ文明は文明を複雑にしすぎたんだ。だから滅びたんだ」

私はデリバティブなど高度な数学を使い、合理的な経済人にも理解が容易でない金融商品は、文字を複雑にしたがゆえに滅びたアステカ文明と同じように、高度に発達した経済社会を滅ぼすのではないのかとかねがね思ってた。(*1)


このような規制は、経済社会を守る上でも当然ではないかと思う。

 また、関岡氏の著書によると、自由市場経済の権化であるミルトン・フリードマンの言動をシカゴ大学内部で目撃した経済学者、宇沢弘文氏は、

「人間の尊厳を否定して自分たちだけがもうける自由を主張するというものです。・・・・・つまり彼らの考え方は、結局そのときどきの最も経済的な強者、あるいは大企業に利益を追求することを認めよ、ということです。これがかれらのいうデレギュレーション(規制緩和)の本音なのです」

  自由は行き過ぎると無秩序な状態に入る。

わたしは、グローバリゼーションの全てが悪いとは考えない。しかしながら、市場主義経済のもたらす弊害に対して、国際社会は自由化の推進のみならず、より積極的に規制の枠組みを構築する必要があるのではないかと考える。



(参考文献)「グローバリゼーションとは何か」(伊豫谷登土翁著;平凡社新書)
       「グローバル経済という怪物」(デビット・コーテン著;シュプリンガー・フェアラーク東京)
       「ソロス・オン・ソロス」 (ジョージ・ソロス著;七賢出版)


(*1)
デリヴァティブとは、貿易立国である日本国において輸出入食物および諸々のものを天秤にかけて計る、商品経済交換システムのことではないかと考えます。




(参考WEB)http://iisd1.iisd.ca/pcdf/
        http://www.globalissues.org/about.asp

『拒否できない日本』(関岡英之著:文春新書)

この本を読了して心底思ったのは、「ああ、日本は明治期にドイツとフランスの法体系の流れを汲む大陸法を採用してよかった」ということである。

日本の法律家は日本の法律がヨーロッパの法を受け継いだことから、ローマ法に由来し、イタリア、フランスやスペインやドイツの法律家と、ラテン語で書かれた法律用語で相互理解が容易であるそうである。

法律を既習の方には当たり前のことかもしれないが、アングロ・サクソン系の流れを汲むコモン・ロー、つまり判例主義を採用するイギリスには素人でも調べられるような六法全書のようなものがないそうである。

これでは一般の人々は何をもとに自己の正当性を訴えればよいのか、その端緒さえわからないではないか、と思った。

したがって、裁判官や弁護士が、ひとつの裁判を担当すると膨大な判例の中から人海戦術で似たようなケースをさがして、弁護方法や判決を考えるのだという。本書によると狡猾な弁護士は、恣意的に自分の案件に有利な過去の判例解釈をひろいだしてきて裁判に勝つそうである。

また、英米法には「エクイティ」という「超法規的」な法の伝統もあるそうである。関岡氏はアメリカはこの法理によって「法律的判断」と「道徳的判断」を混同しているのだと言う。これは由々しき事態である。

「法は倫理の最低限」とイェーリングというドイツの法学者が言ったそうだが、法律がその枠組みを超えて、アローワンスの広い道徳的な領域までその足を踏み入れるとは容易ならざることである。司法の判断に容易に善悪決めがたいモラルの問題が加わる。そのような事態が近いうちに到来するであろう。

ただ、私は市民がいたずらに六法全書をふりまわして何でも訴えるというような社会を望んでいたわけではない。

私は塩野七生さんの『ローマ人物語』を読んで、ローマ人が前5世紀半に成文法をつくるまで、ローマに法がなく、ローマの民衆の意識の中に善悪の明確な基準が共有され社会が運営されていたという事実に感銘をおぼえた。

そして私は日本人がなるべく法律に頼らず、これまで各個人の良識に従って穏便に話し合いによって問題を解決してきたことに誇りに思っていたので、今回の司法改革で、アメリカなみの何でも司法に訴えるなどという事態だけはなるべく避けてほしいものだと思っていた。

ところが、『アメリカの法文化』(藤倉皓一郎著;日本国際問題研究所)によると、アメリカ人は日本人がどうして司法に頼ることなく秩序を維持し利害を調整しながら、経済大国になりえたのが不思議でならず、「司法に頼ることなくして社会的公正が保てるはずがない」と常々疑惑の眼を向けられてきたのだという。

アメリカは「年次改革要望書」によって、強引に司法の分野も改革しようとしている。大陸法中心につくられた日本の法体系をアングロ・サクソン流、英米法に変えようとしているのだという。

司法が一般人に身近なものになるのはよいことだが、反対に考えれば、これはそれだけ人のこころがあれてきた証拠ではないか。

そして、この現象は関岡氏の唱える、個人主義を徹底させ弱肉強食の社会を作り出すグローバリゼーションの波が、徐々に日本社会にも浸透してきたことに起因すると筆者も考える。

この事実を前に、私は法律に関しては全くの門外漢であるが、大陸法と英米法の混合した法体系をもつ日本の司法がグローバルスタンダードの波に飲み込まれず、日本人の良識に基づいたあたらな地平線を切り拓いていってもらいたいものである。

山口と郷土史家内田伸氏の記憶

 東京十二社池の下のマンションの引越しにおわれていると、ある段ボールの中から内田伸著『大村益次郎写真集』が出てきた。

そういえば、小学生の頃にこんな本をいただいたことがあったなあと、少年の日のある思い出を回想した。

 父が岩国支店にいた頃である。


私は夏休みを利用して、父が単身赴任している岩国のマンションに遊びに出掛けた。


が、しばらくすると、岩国名物の錦帯橋や吉川広家が築城した岩国城、巌流佐々木小次郎が「燕返し」をあみだすきっかけになった河畔の柳など、岩国の風物に見飽きてしまい、一人で山口市に出掛けることにした。


当時は沢口靖子主演のNHK朝の連続ドラマ「澪つくし」が評判で、バスに乗ると沢口靖子の相手役川野太郎氏が岩国高校の野球部出身であったことから、「祝・川野太郎君、NHK澪つくし出演」などと書かれた横断幕が至るところで掲げられていた。


小学校の高学年になったとはいえ、見ず知らずの土地に少年が一人で足を踏み入れるというのはなかなか勇気のいることであった。途上、山口歴史民族資料館に立ち寄ろうとすると土曜日なので今日は休館日だという。


あきらめて帰ろうとすると、職員の方が出てきて、館長がわざわざきてくださったのだから、開館してくれるという。少年がとぼとぼと帰る後ろ姿をみて哀れに思ったのだろうか、館内をみると館長とおぼしき白髪の紳士で眼鏡をかけた人物が硝子越しにみえた。


 やがて薄暗い照明の灯った館内を私は一人でいそいそと見てまわった。国木田独歩の古い原稿や新村出の「広辞苑」の編纂までの苦労談、長州の民族芸能を再現してみせたものなどが微かに印象に残っている。


最後に「うちの館長の著書ですが、よろしければどうぞ」と、差し渡された冊子の著者名をみて少し驚いた。「内田伸」とあった。ああ、あの白髪の紳士が司馬遼太郎の「大楽源太郎の生死」に出てくる郷土史研究家の内田伸氏であったか、と少年ながらにこころが高揚したのを覚えている。


その後、司馬遼太郎の大村益次郎の疾風怒涛の生涯を描いた『花神』と「大楽源太郎の生死」を読みかえしてみると、内田氏は大村益次郎と同じ鋳銭司村の出身で、旧制中学時代には大村旧子爵邸にも寄寓していたと書いてあった。

私はその夏の間、内田氏からいただいた『大村益次郎写真集』を丁寧に扱い、その偶然性を母や兄に説明してみせたが、よく理解されなかった。


果たして、内田伸氏とはどのようなお方であったのかと、東京を去る前日、国立国会図書館を訪ねて、端末をたたいてみると、たちまち15あまりの著作がリストアップされた。


 主だったものを挙げてみると、中原中也没後50年にあわせて発行された『中原中也写真集』、大村益次郎のありとあらゆる書簡を苦心惨憺の末に集め編纂した『大村益次郎文書』(450部しか限定発売されていない。国会図書館にあるのは368番目の出版物)、『大楽源太郎』である。


 私が不思議に思ったのは、内田氏が大村益次郎殺害の首謀者と疑われた大楽源太郎について詳細な伝記を編纂されていることである。


 大楽源太郎は幕末維新の尊攘の志士として一時は指導的立場にあり、口の悪いことで定評のあった勝海舟が「大楽はよさそうな男だったよ。長州人にしちゃ話せる人物だよ」と褒めるほどの人物だった。しかしながら、その後不首尾があったため、司馬さんの小説ではあまり評価されず、維新後中央政府に出ていった長州の人材に比べると目立たない人物である。


 内田氏はその大楽を天賦の文才とさわやかな弁舌、西山塾を開き朝野の名士を輩出させた功績に鑑み、大楽の名を幕末維新の志士として永久に忘れるべきではないと説いた。


「明治四十三年は明治百年といわれて、その記念行事も各地で行われた。しかし百年記念の脚光は維新の元勲や功臣、いわゆる日のあたる場所を歩いてきた人たちにあてられるだけで、歴史の谷間にかくれてしまった不遇な志士たちは、やはり日のあたらぬままであった」


あえて中央に出るという野心を捨てて、郷里ために働かれた内田氏らしい優しさであると思った。
国立国会図書館の資料によると、内田伸氏はまだご健在であるようだ。ご存命ならば、1922年生まれの内田氏は今年で御齢84歳になられる筈である。


私のこのささやかなコラムが山口の内田老先生の眼に少年の頃の感謝の情とともにふれられんことを願い、筆を置かせていただきます。


(後日譚)この文章を自棄で山口市役所の掲示板に貼り付けたところ、市役所の方が内田氏のご子息(陽三氏)にご連絡をしてくださり、内田伸氏と二十数年ぶりの交信が出来ました。親切な山口市役所の方に感謝します。

参考文献 ;『木曜島の夜会』 (司馬遼太郎著 ;文春文庫)
        『花神(上)(中)(下)』 (司馬遼太郎著 ;新潮文庫)
        『大村益次郎写真集』 (内田伸著 ;鋳銭司郷土館 ;国立国会図書館蔵)
        『中原中也写真集』 (内田伸著 ;山口歴史民族資料館 ;国立国会図書館蔵)
        『大村益次郎文書』 (内田伸著 ;マツノ書店 ;国立国会図書館蔵)
        『大楽源太郎』 (内田伸著 ;風説社 ;国立国会図書館蔵)

ニート諸葛亮孔明

三国志の時代、劉備玄徳の軍師、徐庶は蜀を去るにあたって、

「襄陽に住まう伏竜(=臥竜)と鳳雛、この二人のうち一人でも得ることができれば、天下をとれる」

と言い残した。

そこまで評された諸葛亮孔明であるが、その雅号の通り寝て本ばかり読んでいて、隠者のように晴耕雨読を楽しんでいる。兄の諸葛均は呉の孫権に仕え、真面目に公のために働いているというのに、弟の孔明は一向に仕官する気配がない。

今で言う「ニート」である。

その諸葛亮孔明も、とうとう劉備玄徳の「三顧の礼」でようやく目覚めて蜀に仕官するのである。

一方の鳳雛こと、龐統は呉の孫権とアドバイザリー契約を結んだが仕官はせず、敵の曹操の陣を訪問したりしている。

才人の好きな曹操は天下の名士の来訪に喜んで、赤壁の戦いに備える自慢の水軍を見せて、龐統に助言をこうた。

孫権、劉備連合軍に勝たせたい龐統は、

「水軍には病者が多く出るがこれを治療する法があります。船をつなぎ、イカダのようにして潮の動揺をなくすことです」

と、孫権、劉備連合軍が火責めの計略にしやすいように、船をイカダのようにつなぐことを進言した。

曹操は喜んで船をイカダのようにつないだが、曹操の陣にその計略を見抜いた名士はいた。母を人質にとられ劉備の元を去った徐庶(単福)である。

意気揚々と曹操の陣を去ろうとした龐統であったが、徐庶(単福)に計略を見破られ顔面蒼白になった。しかしながら、母をなくしもはや曹操に忠誠を尽くす気のなくなっていた徐庶(単福)は龐統を才人同士の同情というのだろうか、憐憫の情であえて見逃した。

かくて赤壁の戦いは始まるが、曹操もバカではない。北西からしか風が吹かないことを知っていて、火攻めにあわないようにイカダ船団を北西に置いた。

孫権、劉備連合軍、危うし。

そこで、蜀の大軍師諸葛亮孔明の登場である。祈祷壇をきずき、呪法によって東南の大風を吹かせて、曹操を打ち負かすのである。

歴史は偶然の積み重ねによってつくられる。赤壁の戦のような壮大なスケールの大きい合戦は古今東西みあたらない。

(参考;『読み忘れ三国志』(荒俣宏;小学館))

サラリーマン・コント

もうすぐ「爽秋の春風駘蕩ならざる日々」の来訪者が3,000人を超えようとしています。

一介のサラリーマンの雑文をこれほどの方々が読んでくれるとは望外の喜びです。また、文章を書くことで、土曜・日曜が非常に充実いたしました。二箇月あまりの間にご来訪いただいた皆様に感謝し御礼を申し上げます。

今回は3,000人来訪記念として、コントをお送りします。
題して、「疲れたサラリーマン」

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サラリーマンは疲れていると意識が朦朧として周囲で起こっている奇妙なことに気がつかない事があります。

そのことをネタにコントを一つ。

よれよれのスーツを着たサラリーマン。今日も仕事で疲れて朦朧とした意識の中、地下鉄を歩いています。

すると向こうから来る、スーツを着たサラリーマンの軍団の中に消防士が一人混じっている。
疲れたサラリーマンは何も関心を示さず通り過ぎます。

すると今度はアメリカの軍服を着た兵隊が3・4人、英語で何か 話しながら歩いてくる。

またも、疲れたサラリーマンは関心を示さず素通り。

今度はマラソンのゼッケンをつけた黒人のランナーが向こうから走ってきます。

疲れたサラリーマン素通り。

そして家にたどり着いて、妻に一言。

「あー疲れた。今日も何もなかった」

「敬天愛人」 西郷南洲の言葉

(以下、『代表的日本人』(内村鑑三著;岩波文庫)から抜粋)

「敬天愛人」という言葉が西郷の人生観をよく要約しています。

それはまさに知の最高極致であり、反対の無知は自己愛であります。

西郷が「天」をどのようなものとして把握していたか、それを「知」とみたか「人格」とみたか、日頃の実践は別として「天」をどのように把握したか、いずれも確認するすべはありません。

しかし、西郷が、「天」は全能であり、不変であり、きわめて慈悲深い存在であり、「天」の法は、だれもの守るべき、堅固にしてきわめて恵み深いものであると理解していたことは、その言動により十分に知ることができます。

「天はあらゆる人を同一に愛する。ゆえに我々も自分を愛するように人を愛さなければならない」

「天」には真心をこめて接しなければならず、さもなければ、その道について知ることができません。

西郷は人間の智恵を嫌い、すべての智恵は、人の心と志の誠によって得られると得られるとみました。

心が清く志が高ければ、たとえ議場でも戦場でも、必要に応じて道は手近に得られるのです。常に策動をはかるものは危機が迫るとき無策です。

「誠の世界は密室である。そのなかで強い人はどこにあっても強い」

不誠実とその肥大児である利己心は、人生の失敗の大きな理由であります。

西郷は語ります。

「人の成功は自分に克にあり、失敗は自分を愛するにある。八分どおり成功していながら、残り二分のところで失敗することが多いのはなぜか。それは成功がみえるとともに自己愛が生じ、つつしみが消え、楽を望み、仕事を厭うから、失敗するのである」

それゆえ私どもは、命懸けで人生のあらゆる危機に臨まなくてはなりません。

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私はこの言葉を受けて、以下のように考えます。

仏教には存在の原理をあらわす言葉として「無常」という言葉ともう一つ「無我」という言葉があります。

これは我(自分)が無いという意味ではなく、「ものはそれだけでは存立できないがゆえに色々なものが寄り集まって出来ている」という意味なのですが、これは人間社会にもあてはまることではないでしょうか。

最近、ある動作を人がやっていると、その動作をみて他人の脳細胞が興奮する、ということが発見されました。これをミラーニューロンというのですが、一種のモノマネ現象が人間の神経細胞にあり、人は他人のやっていることに相互に意識下で影響しあっているということが確認されました。

この発見を拡大解釈して人間社会にあてはめてみれば、人間社会はどこかで相互に意識下で結びついており、西郷は志が「誠」であればその志は必ず見ず知らずの人々にも通づると直感的にわかっていたのではないかと思います。

また、アメリカの詩人エマソンは、

「我々は『大霊』の部分となり分子となって生きているが『全体の魂』が我々の内部に宿っている」

と述べ主観と客観が一体であることを表していますが、西郷の世界観もこれに近いものがあったのではないでしょうか。

ゆえに西郷は、自我を殺し、利己心を捨て、極力他人を愛し、その志は必ず見ず知らずの大衆にも伝わると信じて、倒幕運動に殉じたのではないかと思います。

偉大なる大西郷に改めて敬服。

キンゼイ博士、「自由と倫理」の狭間で

休日なので歌舞伎町を歩いていたら、どういう嗅覚が働いたのか、シネマスクエア東急で「愛についてのキンゼイ・レポート」という映画の看板を見つけた。

「正しい愛のかたちを知らなければならない」と思った私は早速映画館に入館した。

キンゼイ博士と言えば性の科学的な分析により、倫理的に正しい性知識を欧米人に伝授した人というイメージを持っていたのだが、事実は全く逆。

むしろ厳格なキリスト教に基づく倫理的な性道徳から人々を解放した「性の解放者」とでも言うべき人。

厳格なキリスト教徒は自慰行為を禁止している。したがって親は性道徳に正しい人間という仮面をかぶって、子供に対してマスターベーションを厳禁する命令を下す(実際には親も幼年期に自慰行為をやっているのだが)子供は肉体的な欲望と倫理の狭間で葛藤する。

また婚前交渉を禁じて宗教的な理由から誰も性知識を与えないので、夫婦間の性交渉がうまくいかない。

そこでキンゼイ博士は、アメリカ人のあらゆる性生活を聞き取り、人間は誰でも幼年期に自慰行為をおこなうことを公表し、性行為の上手なやり方を大学で講義する。(昔の日本では地域共同体が円滑に機能していたので、乳母や近所のお婆さんがそう言う事をちゃんと伝承していた)

挙句の果ては、キンゼイ博士自ら同僚と同性愛に陥り、奥さんと息子が一緒のベットの上でじゃれあうことを許可する。獣姦の体験を語る被験者の話を不快そうに聞き取るが、研究材料にしてしまう。

ここまで来ると、キンゼイ博士は性の科学処理マシンである。

全米で大問題となり、ロックフェラー財団が資金援助を引き上げたのも納得できる。

しかしキンゼイ博士が多くの人々を性の誤った知識や悩みから救ったことは否定できない。

「自由と倫理」のバランスを考えさせられた映画である。

(後日譚)
何故か、「キンゼイ博士、自由と倫理の狭間で」のアクセス数がダントツ。2位の「世界は村上春樹をどう読むか」を大きく引き離している。

私は性の専門家ではないし、とりたてて好色な訳ではない。

ただ凄いと思うのは、もともとタマ蜂の研究家であったキンゼイ博士の生物学的な樹系図的知識欲である。

養老孟司先生が昆虫を採集し、昆虫の種の壮大な宇宙的な樹系図を築く(昆虫は1年に新種が驚くほど出てくるという)ことに執念を燃やす。

同様に、人間の性行為を樹系図的に峻別していったとなると、なんとなくその相撲七十七手ならぬ、その性行為の宇宙的な広がりに興味がわかないわけではない。

川上宗薫さんという官能小説家がいたが、癌に侵された後『死にたくない!!』という壮絶な本を出版した。

今、何故かその本が記憶に残り、読みたくてたまらない。

これは私に性ならぬ生の執着があらわれた証拠だろうか。

こればかりは理由が分からない。

『日本はどう報じられているか』(石澤靖治編;新潮新書)

先日、国際平和協会主催、銀座で開催された「アジアの意思ぱーと3」で国際平和協会主任研究員の園田義明氏とNakano Associates代表の中野有氏とお話する機会を得た。

僭越ながら、私と園田氏、中野氏は萬晩報通信員として、たびたび「萬晩報」(http://www.yorozubp.com/)に寄稿している仲間である。

講談社現代新書から『最新アメリカの政治地図』を出版した園田氏は日本人の国際情勢への関心の薄さを嘆き、

「もうこれ以上、読者のパイは増えないでしょう。僕は絶望しているんです。日本人は日本の国内に起こった事件にしか関心を示さない」

一方『国際フリーター世界を翔る』という著書があるシンクタンカー中野氏はそれを受けて、

「ほほう、日本モンロー主義ですか。それはよくないことだなあ。僕が気になっているのは、僕のコラムに対する読者の反応の無さね。一つのコラムにつき20,000部を発信して、返ってくる反応がたったメール2~3通。僕は日本人の情報発信能力の低下に警鐘を鳴らしたいね」

とおっしゃった。

さて、閑話休題。

『日本はどう報じられているか』であるが、2004年1月に発行され筆者が購入した2006年9月版は14刷。この種の新書にしては息が長く売れているほうであると思う。園田氏は日本人は世界情勢に関心が薄い(「世界を見ること」)と分析されたが、私は逆のべクトル、即ち、「世界に見られること」世界の人々が日本の事象をどう見ているかには日本人は大いに関心があると思うのである。

本書は、イギリス・フランス・ドイツ・アメリカ・アラブ世界・中国・韓国の7カ国の駐在特派員が、駐在国の日本に対する報道をまとめた本である。

私は全体的な印象として、強大な2大陸に挟まれ日本と似た島国であるイギリスは日本に対してやや感情的な報道を、フランスは非常に好意的な報道を、敗戦から驚異的な経済復興を遂げ、よく日本と比較されるドイツは日本の経済面だけに関心を示し最近の日本の不況をことさら否定的に報道しているという印象を受けた。

この中で最も筆者を安心させたのは、Wカップの共催以来、韓国のジャーナリズムが「反日」一辺倒ではなく、好意的な報道が増えてきたという報告である。

最後に問題を感じたのは、外国の通信局の支局の人数が少ないため、記者の個性が偏ったニュースを発信する危険性を秘めていることである。

その例として本書は「日本女性が読む野蛮な漫画」「簡素な学校の制服に欲情することが流行」「異文化が衝突したとき、エチケットが消える」などをあげている。

これからは我々が各国の特派員になりかわり、英語、フランス語そしてイスラム語で日本の現状をきちんと説明してゆかねばならない。

インターネットというツールを獲得したわれわれは、中野氏が言うように「世界に発信する情報発信力」を誰もがもっている、という事を忘れてはならない。