Saturday, September 19, 2009

「雁と胡椒」(埴谷雄高著:未来社)

 戦後の焼け跡のなかから、本多秋五氏、荒正人氏、平野謙氏らとともに「近代文学」を創設した埴谷雄高氏の透明感あふれる随筆集。


 武田泰淳氏の作品に対する論評が素晴らしいのですが、戦時中に陸軍参謀本部跡にある情報局検閲官としていかがわしい学生同人誌に対しても紳士的かつ人道的な姿勢を保つつづけたというエピソード(安岡章太郎氏談)のある平野謙氏にまつわる随筆を引用してみました。




敏感な直覚者


この一年半ばかりのあいだに、武田泰淳、竹内好、そして、平野謙と最も親しい友達をつづけて永劫の国へ送り出すことになって、遠からずひきつづいて夜明けもないそこを訪れることになる私達は、その何処かに永劫に話しあえる場所でもあらかじめつくっておいてもらうより仕方がないのである。

 嘗て、『「近代文学」創刊まで』という文章で、私はこう書いたことがある。
「『近代文学』の発足後半年ほどたったとき、皆で熱海へ旅行したことがあるが、そのとき、宮本百合子に触れた平野謙の文章がきっかけになって、各人の性格を時代別に規定したことがある。各人の特徴はお互い解っているので、論議もなく忽ち決定したのが、次のようであった。古代人―本多秋五、中世人―平野謙、現代人―荒正人、未来人―埴谷雄高。

これなお注釈すると、古代人には動かざること山のごとき男性的要素が含まれていて、しかもその男性的態度は古武士的、家父長的である。中世人はこれに対照的で、女々しく、優柔不断で、絶えず動揺しながら末世からの離脱を希求している。現代人は極めて合理的でスピードを愛し、未来人はそのビックリ箱から何が現出してくるかとうてい解らぬといった具合である。

それはよくこれほど異えられたといえるような組合せで、しかも、それが、全体としてうまく作用していた。つまり、私達の車輪の輪廻は、本多秋五の決して磨滅することもなく狂いもせぬ堅実無比の軸と、荒正人のあれよあれよとはたものが吹き倒れるような突風と爆音をともなったジェット・エンジン的推進力と、平野謙の絶えず往きつ戻りするペシミスティクなブレーキとの組合せによって、ちょうど適当と思われる経済速度と均衡と方向をもち得たのであった。

この最後の平野謙のペシミスティクなブレーキが運営に役立つというのは、一見、奇妙なことに思われる。女性のようにこまかなことに気がつき、予見し、悶え、そして力及ばすと観念し・・・・・そして、そして、ついに消極的な物自体として化して何もしなくなってしまう平野謙が、全体としてみて、前進に役立っているということは、たしかに奇怪なことのように思われる。だが、絶えず足踏みしてブレーキをかけ、面倒なことを彼ひとりで起こしているように見えるすべてが、想いかえしてみると、誰も感じないときに、いち早く鳴りはじめるベルの信号の敏感さをもっているのであって、殊に『近代文学』の初期には彼の動揺性そのものが却ってある種の清潔な時代への先行性をもたらしめたのである・・・・・・。」(中略)その「ものぐさ」同人の彼がつねにいち早く困難な事態を、いわばトロイのカッサンドラのごとく、予見したのである。




回想の平野謙
 

埴谷雄高です。(中略)平野君は、明治・大正・昭和と自分の生身で実感できる時代の文学だけを扱いました。分際をわきまえる、とか、柄にもないことはしない、と彼はつねにいいました。自分にわからない世界には決して深くは入らない、それが平野謙の一貫した姿勢でありました。もちろん明治以降は、ヨーロッパ文化の輸入の時代でありますから、吾国のなかには、西欧的な多くのものがいわばひしめきあって入っております。けれども、平野君は、西欧的な観念も、イデオロギーも、そのままでは決して受けいれも信じもしなかったのでした。

 日本人の心と身体のなかに入ってきたところのヒューマニズムとかマルクシズムにせよ、日本で取った形、取らざるを得なかった形、日本人の心と身体のなかにおける独特の受け取り方、そういう屈折と陰翳なしには、平野君はそれらに触れ、それらを表現するということは、はじめからおわりまでしませんでした。そうした平野君の精神の姿勢からすると、後年問題になりました、外国文学を勉強している若い助教授達の直輸入的文学理論が、気にいらぬことろの表現、「若い批評家ばら」という言葉が出てくることにも必然さがあります。できあいの観念で人間を裁けない、これが平野君の終生の信念でありました。

 中世、古代の文学にも関わりをもたない、これも一貫しておりました。自分がこの生身の実感としてわかることだけをひたすら追求しつづけたのでした。
 



(引用抜粋:「雁と胡椒」 埴谷雄高著著:未来社)



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