Friday, December 03, 2021

『サリンジャーを追いかけて』(ポール・アレクサンダー:DHC出版)

大学院で社会学を専攻していた友人が村上春樹を趣味と実益を兼ねて熱心に読んでいた。この種の人がたどる一定のコースとして「失われた10年」の時代に活躍したサリンジャーとフィッツジェラルドを読み出して今では原書で「ナイン・ストーリーズ」を読むようになった。しかし、私がサリンジャーの生い立ちや謎の隠遁生活について書かれた『サリンジャーを追いかけて』を薦めたのだが、このような伝記については関心を持てないらしく(小説の価値だけに興味があるらしい)その申し出は断られた。サリンジャーは、地位と富を意味するアッパー・イーストサイド住む商業的な成功をおさめた両親の元に生れた。無名の軍学校を卒業し、ニューヨーク大学に進学するも中途退学し、父の仕事を継ぐべくポーランドのハム工場で働くもこれも続かず、アーサイナス大学というあまり知られていない大学に進学する。ここも「創作をもっと専門的に教えてくれる、分析的な教え方」を求めて、コロンビア大学の聴講生となりウイリアム・バーネットの講座に顔を出すようになる。ここで彼の作品は「作品は洗練され、スマートで凝ったところさえあり、経験の浅い作家としては出色の出来だった」と評価されバーネットの主宰する<ストーリー>誌に掲載されることになり原稿料として25ドルをもらい作家としてデビューする。「マディソン街はずれのささやかな反乱」は<ニューヨーカー>のクリスマス号に掲載する予定になるなど徐々に流行作家の仲間入りにとしての頭角をあらわしはじめた。その後、軍隊生活をおくった後、10年もの間、構想を温めてきた「ライ麦畑でつかまえて」を完成させ、ニューヨーク・タイムスのベストセラー・リストに30週間もとどまり続ける等、驚異的な売れ行きを記録した。やがてベストセラー作家となるにつれ、その喧騒に疲れたサリンジャーはニューヨークを離れ、ニューハンプシャーのコーニックに居を移した。ここから彼の隠遁生活と、出版社との版権や構成に関する激しい争いが起こる。この本を読んで一番思ったのは、もし彼がコロンビア大学のウィリアム・バーネットの講座を受けず、彼の眼にとまらずその献身的な指導を受けなかったのなら、アメリカのその後に続く文学や映画のうねりも生まれなかっただろうし、その前にサリンジャー自身の運命はどうなっていただろうと思うとゾッとしてしまった。(免責事項)このブログは一般図書の一部を抜粋要約し、筆者の独断と偏見に基づき改編したものです。このブログで当該分野にご興味をもたれた方は図書館で借りる、ないしは書店にて本をお買い求めになり、全文を精読されることをお薦めします。

Thursday, November 25, 2021

『地獄の思想』(梅原猛:中公文庫)

梅原猛と親交のあった哲学者やすいゆたかさんの推薦により読んでみた。この本は梅原氏初の書き下ろしで、この本を出版するにあたってはためらいもあったようで「はじめに」にその心理的葛藤が綴られている。「私の母胎は一冊の本を生み出すほど成熟していないのではないか(略)もう一年、あるいは三年、あるいは十年、私の胎内において、じゅうぶん養分を吸収して世にでるべきではなかったか」と綴っている。 私が感服したのは、日本の思想を流れるのは、生命の思想(自然崇拝)心の思想(感覚的意識)、地獄の思想(人間の苦悩を内省する哲学)と三つの原理ではないか、と仮説を立て、平安時代まで有力であった仏教宗派を、神道と密教は生命の思想、唯識は心の思想、天台は地獄の思想と区分し、さらに鎌倉以降の仏教も日蓮宗は生命の思想、禅宗を心の思想、浄土宗を地獄の思想というように大胆に区分してみせたことである。また、仏教の六道十界に至るまでの思想の変遷(釈迦は小乗仏教であったため、後の編纂者が大乗仏教を説き天台智顗が大乗を選びとったとしている。念仏往生を批判した日蓮は本質が書かれた「法華経」くらい読めと大喝した。親鸞は己自身が地獄にいるので、地獄の証明は不要であった等)を読み解いている。第二部は仏教的視点から見た古典及び現代文学の解釈をおこなっており、「源氏物語」では仏教的影響を否定した本居宣長の読み誤りを指摘し、仏教的観点からみた「源氏物語」を語っている。その他、「平家物語」「能」「近松心中物」「宮沢賢治」「太宰治」の底流にながれる仏教思想を例示してみせた。(免責事項)このブログは一般図書の一部を抜粋要約し、筆者の独断と偏見に基づき改編したものです。このブログで当該分野に興味をもたれた方は図書館で借りる、ないしは書店にて本をお買い求めになり、全文を精読されることをお薦めいたします。

Wednesday, November 10, 2021

『夏の末』(川上宗薫:広済堂出版)

この本は川上宗薫氏の独特な文体で始まる。「原子爆弾が投下されて戦争が終り、翌年、紀彦は大学に入った。けれども、ひどい下宿難から、長崎に帰っていた。勉学心も乏しかったので、紀彦は、そういう事態をよろこんでいたといってもよい。」この本は容易には察せられない男女のこころの中の機微を、執拗で細微な筆で描いている。主人公の紀彦は牧師の息子に生れ、十分な配給を受けており、文化協会で知り合った、乏しい配給しか与えらない冴子にメリケン粉を分けてやっている。そこから冴子との交際が始まるのだが、なかなか発展しない。著者が男女の恋愛の機微に通じているのは次のくだりでもわかる。「近づきたがっている男女が時としてお互いに無関心を装いがちなのは、不自然なまでに過敏であるためで、だから、彼らは、ちょっとした自然な外見を帯びたきっかけさえあれば、もうその自然さにすっかり安心してしまい、こんどは平気で不自然な接近を目論見はじめるのだ」冴子には高い矜持があり、紀彦が好きでも、メリケン粉を分けてもらったといううしろめたい気持ちがあり、メリケン粉のために体を許したといようなことは絶対に嫌だと思っている。そこに冴子に惚れた駒井という男が金を冴子に与えて交際を迫る、といった作品です。川上宗薫氏はのちに官能小説の大家となりますが、初期の純文学として書かれたこの作品は、恋愛という行為はこれほどの忍耐や歳月が必要でこころを狂わせ消耗させるものか、と改めて感心させられました。(免責事項)このブログは一般図書の一部を抜粋要約し、筆者の独断と偏見に基づき改編したものです。このブログで当該分野にご興味をもたれた方は図書館で借りる、ないしは書店にて本をお買い求めになり、全文を精読されることをお薦めします。

Sunday, November 07, 2021

『五番町夕霧楼』(水上勉:新潮文庫)

京都駅で土産を買い求めていると、「夕子の八つ橋」という商品が並んでいた。その説明書きを読んでみると「水上勉氏の小説、五番町夕霧楼の主人公夕子にちなんで命名しました」と書いてあった。その後、家の本棚を漁っていると、はからずも「五番町夕霧楼」が本棚から転げ落ちてきたので読んでみることにした。夕子は与謝半島の突端にある樽泊に生れ十九になるころに、西陣の遊郭に売られてきた女性である。遊郭の女主人にかわいがられ、西陣の織元の大旦那に水揚げされる。ところが、女主人のしらないところで、同じ郷里の名刹鳳閣寺の僧である青年を楼にあげ通じていた。青年は吃音で同じ寺の学僧に執拗な嫌がらせを受け、また僧としての将来にも絶望し、鳳閣寺と心中するつもりで鳳閣寺を燃やしてしまう。かいがいしく吃音の青年の身の回りのことをしていた母親は事件が発覚すると、列車のデッキから保津川に飛び降り自殺してしまう。そして夕子も樽泊に戻り服毒自殺してしまう。読後感は「救いがない小説だ」と思った。夏目漱石の「坑夫」に出てくる華奢な都会の青年も最後は肉体労働ではなく帳面をつける仕事をあてがわれたではないか。「善人なおもって往生を遂ぐ悪人をや」という言葉があるように、マスコミの完膚なきまでの青年僧やその親族に対する暴露や非難はあまりにも哀れに思った。(免責事項)このブログは一般図書の一部を抜粋要約し、筆者の独断と偏見に基づき改編したものです。このブログで当該分野にご興味をもたれた方は図書館で借りる、ないしは書店にて本をお買い求めになり、全文を精読されることをお薦めします。

Saturday, June 05, 2021

『文壇』(野坂昭如:文藝春秋)

かつて永井荷風が「面白いものを読みたければ、俺の日記をそのまま小説にすればいい」と言ったそうだが、本編はあたかも野坂氏が無名の頃から流行作家になるまでの詳細で刻銘な記録を読んでいるかの印象を受けた作品。 色川大吉の授賞式にきた、文壇の大御所丹羽文雄、舟橋聖一を筆頭とする綺羅星のように集まった作家たち。それを取り巻く多士済々の出版業界やテレビの関係者。さまざまなバーに夜ごと出没し、お互い酒を痛飲しながら文学談議にあけくれる、そんな文学関係者の生態が活写されています。 雑文書きの野坂に中央公論社から「エロ事師」という題名で小説を書いてくれないかという依頼がくる。下品な題名に憤慨しつつも、何も浮かばないし、浮かんでも空々しい内容。何とか仕上がった「エロ事師」が「文芸」で吉行淳之介が、「新潮」で三島由紀夫が見開き二頁の左一頁をさいて賞められた。 作家の旺盛な文章力は自分にはない、と苦悩した野坂氏であるが「アメリカひじき」「火垂の墓」(古語で火垂る、火が垂れる、つまり空襲、すぐ「墓」とつづいた)で直木賞を受賞し、野坂氏は文壇の檜舞台に駆け上がることとなる。 (免責事項)  このブログは一般図書の一部を抜粋要約し、筆者の独断と偏見に基づき改編したものです。このブログで当該分野にご興味をもたれた方は図書館で借りる、ないしは書店にて本をお買い求めになり、全文を精読されることをお薦めします。

Monday, May 31, 2021

『後藤田正晴における責任のとりかた』(野坂昭如:毎日新聞社)

野坂昭如氏による十六歳年上の後藤田正晴氏とのロング・インタビュー。 後藤田正晴氏は、日本のジョセフ・フーシエと称され、その情報収集力は政界において、おおいに怖れられた。昭和三十八年、警察官警備局長、警察庁次長、警察庁長官、田中内閣官房副長官、宮沢内閣副総理をつとめた。平成5年、自民党支配が崩れた時は、後藤田首相待望論が巻き起こったこともある。 野坂氏は昭和ヒトケタとして、つぎのような憤りをもっている。「敗戦によってそれまでの習慣を捨て、制度を改め、考え方を形の上であたらしくしたのは昭和ヒトケタより上の連中だ」、GHQによる内務省の消滅、警察の制度改革「当方の文化伝統慣習いっさい考慮せぬ「改革」をめったやたらと行い、これが今も尾をひいている」と考えている。 アメリカの都合による、規制緩和、市場開放、金融ビックバンによる日本の衰退「日本はアメリカの属国、植民地」と野坂氏がいうと、後藤田は「そうですよ、日本はアメリカの植民地だね」と答えた。「植民地」のまま放置の責任は後藤田の世代にある。 野坂氏は後藤田氏の現状を「(中略)所詮、アメリカの掌の上で右往左往するだけのこと、なまじの異議はかえって有害。行政、警察、税務がほどほどに機能していれば大丈夫と、見きわめているように思える」と、とらえていると見なした。 (免責事項)  このブログは一般図書の一部を抜粋要約し、筆者の独断と偏見に基づき改編したものです。このブログで当該分野にご興味をもたれた方は図書館で借りる、ないしは書店にて本をお買い求めになり、全文を精読されることをお薦めします。

Tuesday, May 25, 2021

『赫奕たる逆光~私説・三島由紀夫~』(野坂昭如:文藝春秋)

三島由紀夫が非業の死を遂げて50年が経ちます。書店にも三島の特設コーナーが設けられ、今も衰えぬ人気がしのばれます。この三島フィーバーの要因はなんであるかと考えると、東大を出て大蔵省という経歴もさることながら、陸上自衛隊の市ヶ谷駐屯地での衝撃的な死を遂げた謎が、人々の俗物的な好奇心をそそるということもあるのだと思います。私もご多分に漏れず三島作品は『豊穣の海』4巻を読んだだけですが、三島に関する評伝は5冊ほど読みました。 父親の視点から三島の誕生から自決までを綴った『伜・三島由紀夫』(平岡梓)。『楡家の人々』の推薦文を書いてもらうなど三島の恩恵を受けた北杜夫氏の語る『人間とマンボウ』(北杜夫)。平岡定太郎、平岡梓、平岡公威と三代の官僚の血脈を語ることで三島の全体像に迫った『ペルソナ~三島由紀夫伝~』(猪瀬直樹)。『豊穣の海』を中心に新たな視点から三島文学をとらえた『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』(橋本治)。 野坂昭如氏の『赫奕たる逆光~私説・三島由紀夫~』は、野坂家にかかってきた三島の日記を買わないかという一本の電話から始まります。 偶然にも、三島氏と同じような境遇(共に父の学歴が同じ)、家庭環境(三島はなつの養子で先祖は兵庫県印南郡の出身、野坂は張満谷家の養子で加古川出身)で生き、同時代を生きてきた野坂氏は自らの生い立ちを三島氏と交錯させ同時並行的に語っている。 野坂氏と三島氏が初めに出会ったのはブランズウィックというバーで、客と店員という関係であった。 「何日目かに、三人連れの三島がカウンターに座った。煙草をくわえ、ライターをしきりに鳴らすがつかない、ぼくがマッチの火を近づけると「ありがとう」明瞭な発音でいった」 (免責事項)  このブログは一般図書の一部を抜粋要約し、筆者の独断と偏見に基づき改編したものです。このブログで当該分野にご興味をもたれた方は図書館で借りる、ないしは書店にて本をお買い求めになり、全文を精読されることをお薦めします。

Friday, May 21, 2021

『遺作・死にたくない!』(川上宗薫著:サンケイ出版)

2004年度版のベスト・エッセイ集を読んでいると、佐藤愛子が川上宗薫を追想する「我が歎き」というエッセイがあった。 一瞬、川上宗薫は今もご存命中なのかと思った。 中学一年生の時、新聞を見ていると川上宗薫氏の『遺作・死にたくない!』という題名の本の広告が眼にとびこんできた。「こんな豊かな社会に死ぬなんてなんて運の悪い人なのだろう。よっぽど死にたくなかったのだろうな」と思った。 川上宗薫は芥川賞候補に五回あがるも受賞できず、官能小説家に転身し、長者番付に名前がのるくらいの流行作家になった。作風は細密で巧緻なディテール描写で、川端康成は川上作品の愛読者だった。 佐藤愛子のエッセイには、宗薫の気の弱さ、臆病さが具体的に綴られている。 銀座を歩いていた時、向こうから五、六人の男がずらりと一列横隊になってやって来ると、「愛子さん、あの連中を見ちゃいけないよ、見るなよ、見るなよ」と囁き、通り過ぎて行くのを待つ。川上氏の夢は巨大犬を飼うことで、理由は「大きな犬を連れて歩いていると、強くなったような気分になるからだ」と言う。 『遺作・死にたくない!』は、川上宗薫が自らのガン体験を綴った壮絶な闘病記である。食堂潰瘍の手術、リンパ節のガン、放射線科のレントゲン、CTスキャン、日蓮宗への傾倒、コバルトと抗がん剤、藁にすがる思いではじめた民間療法など試行錯誤々の日々が淡々と記されています。 最後に川上宗薫はこう述べた。 「理屈なしに生きたいのだ。それは恥も外聞も ない気持ちだった。ガンの苦痛が今後ないという保障があれば、自分のペニスを引き換えにしても、いいとさえ、本気で思った」 (参考文献)『人生の落第坊主』(日本エッセイスト・クラブ編:文芸春秋) (免責事項)  このブログは一般図書の一部を抜粋要約し、筆者の独断と偏見に基づき改編したものです。このブログで当該分野にご興味をもたれた方は図書館で借りる、ないしは書店にて本をお買い求めになり、全文を精読されることをお薦めします。