Monday, May 31, 2021

『後藤田正晴における責任のとりかた』(野坂昭如:毎日新聞社)

野坂昭如氏による十六歳年上の後藤田正晴氏とのロング・インタビュー。 後藤田正晴氏は、日本のジョセフ・フーシエと称され、その情報収集力は政界において、おおいに怖れられた。昭和三十八年、警察官警備局長、警察庁次長、警察庁長官、田中内閣官房副長官、宮沢内閣副総理をつとめた。平成5年、自民党支配が崩れた時は、後藤田首相待望論が巻き起こったこともある。 野坂氏は昭和ヒトケタとして、つぎのような憤りをもっている。「敗戦によってそれまでの習慣を捨て、制度を改め、考え方を形の上であたらしくしたのは昭和ヒトケタより上の連中だ」、GHQによる内務省の消滅、警察の制度改革「当方の文化伝統慣習いっさい考慮せぬ「改革」をめったやたらと行い、これが今も尾をひいている」と考えている。 アメリカの都合による、規制緩和、市場開放、金融ビックバンによる日本の衰退「日本はアメリカの属国、植民地」と野坂氏がいうと、後藤田は「そうですよ、日本はアメリカの植民地だね」と答えた。「植民地」のまま放置の責任は後藤田の世代にある。 野坂氏は後藤田氏の現状を「(中略)所詮、アメリカの掌の上で右往左往するだけのこと、なまじの異議はかえって有害。行政、警察、税務がほどほどに機能していれば大丈夫と、見きわめているように思える」と、とらえていると見なした。 (免責事項)  このブログは一般図書の一部を抜粋要約し、筆者の独断と偏見に基づき改編したものです。このブログで当該分野にご興味をもたれた方は図書館で借りる、ないしは書店にて本をお買い求めになり、全文を精読されることをお薦めします。

Tuesday, May 25, 2021

『赫奕たる逆光~私説・三島由紀夫~』(野坂昭如:文藝春秋)

三島由紀夫が非業の死を遂げて50年が経ちます。書店にも三島の特設コーナーが設けられ、今も衰えぬ人気がしのばれます。この三島フィーバーの要因はなんであるかと考えると、東大を出て大蔵省という経歴もさることながら、陸上自衛隊の市ヶ谷駐屯地での衝撃的な死を遂げた謎が、人々の俗物的な好奇心をそそるということもあるのだと思います。私もご多分に漏れず三島作品は『豊穣の海』4巻を読んだだけですが、三島に関する評伝は5冊ほど読みました。 父親の視点から三島の誕生から自決までを綴った『伜・三島由紀夫』(平岡梓)。『楡家の人々』の推薦文を書いてもらうなど三島の恩恵を受けた北杜夫氏の語る『人間とマンボウ』(北杜夫)。平岡定太郎、平岡梓、平岡公威と三代の官僚の血脈を語ることで三島の全体像に迫った『ペルソナ~三島由紀夫伝~』(猪瀬直樹)。『豊穣の海』を中心に新たな視点から三島文学をとらえた『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』(橋本治)。 野坂昭如氏の『赫奕たる逆光~私説・三島由紀夫~』は、野坂家にかかってきた三島の日記を買わないかという一本の電話から始まります。 偶然にも、三島氏と同じような境遇(共に父の学歴が同じ)、家庭環境(三島はなつの養子で先祖は兵庫県印南郡の出身、野坂は張満谷家の養子で加古川出身)で生き、同時代を生きてきた野坂氏は自らの生い立ちを三島氏と交錯させ同時並行的に語っている。 野坂氏と三島氏が初めに出会ったのはブランズウィックというバーで、客と店員という関係であった。 「何日目かに、三人連れの三島がカウンターに座った。煙草をくわえ、ライターをしきりに鳴らすがつかない、ぼくがマッチの火を近づけると「ありがとう」明瞭な発音でいった」 (免責事項)  このブログは一般図書の一部を抜粋要約し、筆者の独断と偏見に基づき改編したものです。このブログで当該分野にご興味をもたれた方は図書館で借りる、ないしは書店にて本をお買い求めになり、全文を精読されることをお薦めします。

Friday, May 21, 2021

『遺作・死にたくない!』(川上宗薫著:サンケイ出版)

2004年度版のベスト・エッセイ集を読んでいると、佐藤愛子が川上宗薫を追想する「我が歎き」というエッセイがあった。 一瞬、川上宗薫は今もご存命中なのかと思った。 中学一年生の時、新聞を見ていると川上宗薫氏の『遺作・死にたくない!』という題名の本の広告が眼にとびこんできた。「こんな豊かな社会に死ぬなんてなんて運の悪い人なのだろう。よっぽど死にたくなかったのだろうな」と思った。 川上宗薫は芥川賞候補に五回あがるも受賞できず、官能小説家に転身し、長者番付に名前がのるくらいの流行作家になった。作風は細密で巧緻なディテール描写で、川端康成は川上作品の愛読者だった。 佐藤愛子のエッセイには、宗薫の気の弱さ、臆病さが具体的に綴られている。 銀座を歩いていた時、向こうから五、六人の男がずらりと一列横隊になってやって来ると、「愛子さん、あの連中を見ちゃいけないよ、見るなよ、見るなよ」と囁き、通り過ぎて行くのを待つ。川上氏の夢は巨大犬を飼うことで、理由は「大きな犬を連れて歩いていると、強くなったような気分になるからだ」と言う。 『遺作・死にたくない!』は、川上宗薫が自らのガン体験を綴った壮絶な闘病記である。食堂潰瘍の手術、リンパ節のガン、放射線科のレントゲン、CTスキャン、日蓮宗への傾倒、コバルトと抗がん剤、藁にすがる思いではじめた民間療法など試行錯誤々の日々が淡々と記されています。 最後に川上宗薫はこう述べた。 「理屈なしに生きたいのだ。それは恥も外聞も ない気持ちだった。ガンの苦痛が今後ないという保障があれば、自分のペニスを引き換えにしても、いいとさえ、本気で思った」 (参考文献)『人生の落第坊主』(日本エッセイスト・クラブ編:文芸春秋) (免責事項)  このブログは一般図書の一部を抜粋要約し、筆者の独断と偏見に基づき改編したものです。このブログで当該分野にご興味をもたれた方は図書館で借りる、ないしは書店にて本をお買い求めになり、全文を精読されることをお薦めします。