Monday, August 27, 2007

真面目な文学部唯野教授 「第2講 新批評」

1920年代に貴族的な批評に反対して、ケンブリッジ大学にスクリューティニー(吟味)派という派閥が生まれました。

リーダーはリーヴィス(イギリス批評家)を中心とする地方のプチ・ブルジョア、つまり中産階級の人が多く参加して文学運動を始めました。1932年には『スクルーティニー』という批評誌もできました。

このスクリューティニー派は文学作品を解剖するのは人間のからだを切り刻むのと同じ行為だからというこれまでの禁忌(タブー)を破壊して、チョーサー(イギリス詩人)、シェイクスピア(イギリス劇作家・詩人)、ワーズワース(イギリス詩人)の作品を綿密に分析しはじめました。

同じケンブリッジで哲学を教えていたヴィトゲンシュタイン(オーストリア哲学)が「君ね、君のやっている文学批評ね、あれ、やめなさい。すぐ、やめなさい」と言ったという逸話があります。

この派閥は美学理論中心の閉鎖的な批評に反対して、歴史や心理学や文化人類学などを交えて分析を始めました。やがてその活動は資本主義を否定し経済共産主義を肯定するなど急進的(ラディカル)なものになり、英文学が学問の中で最も至上なものである、という認識に達しました。

「何故、文学を読むのか」という問いに対して、リービスは「本を読むといい人間になれる」という主張をしました。

彼らが支持した文学作品は炭鉱夫の息子であったD・H・ロレンス(イギリス作家詩人)の『チャタレイ夫人の恋人』等、階級意識と調和して創り出された『生(ライフ)』(=この派閥の造語)が見えるものです。

しかしながら、この批評は「小説のここだけ注意を向けなさい」と読者に限定を促したり、肝心な『生(ライフ)』の定義が曖昧であった、という欠点がありました。

結果、このリービスはケンブリッジの英文学批評とアメリカの新批評(ニュークリティシズム)の橋わたしをしました。

リービスが批評を思想にしたのと対照的に、リチャーズ(イギリス批評家)は数字で計ることのできる行動心理学を持ち込んで批評を科学にしました。

この手法がアメリカに伝播すると南部の伝統主義者、ジョン・クロウ・ランサム(アメリカ批評家詩人)が詩こそが文学の世界をあるがままに受け入れる姿勢をわれわれにおしえてくれる、と主張しました。

なぜならば、詩は文学作品ほど長くなく詳細に分析しやすいからです。

「緊張」「矛盾」「両価性(アンビバレンス)」などの言葉を用いて科学的合理主義の真似事をしはじめたわけです。

こうした事によって英文学は既存の学問(アカデミズム)の体系の中に組み込むことが可能になりました。

しかしながら、新批評(ニュークリティシズム)は詩を作者からも読者からも解き放つなどといって、現実の社会や歴史からも切り離してしまいました。

文学は否応なく人間に背負わされた国家や人類や民族、いわゆる種を失うことなしには成立しません。しかるに、新批評(ニュークリティシズム)はそういったものを抜きにして科学的に普遍化してしまった、という反省があるでしょう。

(『文学部唯野教授』(筒井康隆著:岩波書店)より要約抜粋、一部改悪)

次回は「第3講 ロシア・フォルマリズム」

Saturday, August 25, 2007

ゆっくりいこうよ

「ゆっくりいこうよ」というキャッチ・コピーが高度成長期がはじまる頃に大流行したことが有ります。

 このキャッチ・フレーズを考えたコピーライターは一躍、時の人となり、広告代理店などからもキャッチ・コピーの大家として一目置かれる存在となりました。

 しかし、当人にとってはそれは喜ばしいことではなく、高度成長期が本格化するにつれ、その人は苦悩し遂には自殺してしまったということです。

 「ゆっくりいこうよ」というキャッチ・コピーは、商業的な意味で考えたのではなく、そのコピーライターの方の時代に抗する魂の叫びであったのではないか、そんな気がします。

Friday, August 24, 2007

近代資本主義に関する箴言(2)

では、どのようにすれば閉塞化しがちな資本主義社会を打ち破ることができるかと言うと、アントレプレナーによる創造的破壊によるたゆまざる「革新」(イノベーション)が必要だとシューペンターは論じます。

そういうと、

「堂々巡りじゃないか。結局は成功したアントレプレナーは大企業化して官僚的専門家を雇うか、巨大企業に吸収合併されて活力を失ってしまう」

と反論されることでしょう。

そこでもう一つ、シューペンターの、「二重統治の理論」所謂「階級的共棲の理論」というものが出てきます。

これは、資本主義の支配者は資本家でも経営者でもない、資本主義より前から存在する「貴族」である、という理論です。

 貴族といっても本物の貴族ではなく、貴族や準貴族以下につらなるジェントリー(郷紳、地主)やヨーマン(独立自営農民)という中産的生産者で質素な生活をおくる貴族の最下層と自営の農民、「庶民」(Commons)と呼ばれた、辛うじて選挙権を持つに至ったという身分の人たちです。

その貴族たちに共通する性質は、

「天下や国家のために身を挺して努めるという責任感とプライド」

そして、

「行動的禁欲」とよばれる地位や名誉、金銭に対する欲望をすべて抑えて、目標達成のために全身全霊を捧げ(デディケート)、注ぎ込むことが出来るという性質です。

精神的な貴族と言った方が早いかもしれません。

シューペンターは、このような精神的な貴族がいたからこそ国を統べることができ、資本主義は健全な発展を遂げる事ができた、と言うのです。

 日本の幕末も同じようなものです。

小室先生の記述をそのままぬきだしますと、

「「官僚化した中級武士や上級武士も然り。彼らは自らの立場や特権に胡坐をかき、すっかり怠け者になって仕舞っていた。欲得の権化と化し、ノブレス・オブリュージュも、向学心も、行動的禁欲も持ち合わせていなかった」

「禄高百石以下の下級武士と言うが、革新の担い手となったのは下級も下級、最下級の武士達である。生活は貧しかったが、彼らにはブライドが在った。自分達が国家の柱石であるというプライド。我が事として国の行く末を案じ、いざとなれば総てを投げ打って心身を奉ずるという高い志。加えて彼らには教養が在った」

高齢化社会にともない、人生8掛け(年齢に0.8を掛けると、人生50年の時代の年齢に相応する)の時代と言われます(注1)「痩せ馬の先走り」」(憐れむべし痩馬の史。白首誰が為にか雄んなる)という諺もあります、ロングランの人生、あきらめずに歩んでいきたいものです。


われわれは物質的に貧しくとも、ヨーロッパのジェントリーやヨーマンに負けないよう精神的な貴族になるべく傘貼り仕事をしながらでも日本人としての矜持を失わないようにしたいものです。


(注1.浅田次郎氏「週刊文春」コラムより



(免責事項)
このブログは一般図書の一部を抜粋要約し、筆者の独断と偏見に基づき改編したものです。このブログで当該分野にご興味をもたれた方は図書館で借りる、ないしは書店にて本をお買い求めになり、全文を精読されることをお薦めします。

近代資本主義に関する箴言(1)

先日、本ブログに経済哲学についてコメントがあったため、自分の書いたコメントに誤りがないか確かめるために、急いで『経済学をめぐる巨匠』(小室直樹著:ダイヤモンド社)という本を読みました。

その中に興味深い理論がありましたので紹介させていただきます。

シュンペーターの「資本主義はその成功故に滅びる」という言葉です。

近代資本主義は「私有財産制」と「自由契約制」という前提によって成り立ち、絶え間ない革新によって発達してゆきます。

しかしながら、アントレプレナーが大企業の官僚的経営者に変り、巨大企業の所有者が単なる株券の所有者になってしまうことによって

「当事者意識がどんどん希薄になってゆく」

という現象が起こるのです。

元来、企業家というものは、

「自分の工場およびその支配のために、経済的、肉体的、あるいは政治的にたたかい、必要とあらばそれを枕に討ち死にしようとするほどの意志」(シュンペーター『資本主義・社会主義・民主主義』東洋経済新報社ニニ一頁)

がなければ務まらない仕事なのです。

官僚的経営者は、事業に対する欲求よりもステイタスにひかれて経営を受託し、自分は法律にのっとって会社の所有者から経営を委託されている代理人に過ぎない、と割り切って企業の利害と個人的な利害とを天秤にかけて行動します(=革新性の欠如)

また、官僚的経営者は、創業者が会社の財産の増減に自己の財産の増減と同じように一喜一憂するといった感覚、事業イコール自分自身の投影といったかたちでの心理的な興奮や快感をおぼえることはないでしょう(=事業の私有財産権に対する心理的な関与の希薄化)

会社の契約も自分がマイホームのローンを締結するように主体的かつ自主的に判断し締結することは、ありえません。会社の経営者から出される命令とそれまでの慣習にしたがって締結されます(=契約者の主体性の欠如と制限および束縛)

会社の所有者たる株主も、株券の価値が上がるか否かに関心があるのであって、個人の利害を超えてまで会社にコミットメントすることはあり得ないでしょう(評論家の関岡英之氏は吉川元忠氏との対談『国富消尽』の中で「会社の所有者は株主である」というのは法律上の誤謬である、とまで断じています)

つまり、会社が公的なものになるにつれて、参加者個人の当事者意識が希薄化し、公(おほやけ)のモノという意識が、責任の所在をかえって曖昧模糊なものとし、結局、大規模な事業体のおこなったことに対して誰も責任をとらないという、構造になる訳です。

小室直樹先生は以下のように嘆じられています。

「このように近代資本主義の後期時代には、セイの法則(=市場に供給した商品はすべて消化される)が機能を止め、レッセ・フェール(自由放任)が資源の最適配分を停止する事に依って、所有権に対する意識も根本的に変わる。
それと共に、私的所有権の絶対性と抽象性も、契約絶対性の思想も意味を大きく変化する事にならざるを得ない」

これは、ケインズ政策(=政府が市場に介入し需要を創出する)の台頭によって近代資本主義の前提である私有財産制度が急速に失われつつあることに注意を喚起されたものです。

サッチャー政権もレーガン政権も共に「古典派」(=アダム・スミスを始祖とする自由放任の理論)はじめとする理論に基づき経済政策をおこないましたが大失敗、結局「ケインズ政策」によって経済状況が劇的に改善しました。

イギリスの首相、ロイド・ジョージに絶賛されたヒトラーのアウトバーン建設や、ルーズベルトのニューディール政策もケインズ経済学に基づいておこなわれました。

ルーズベルトのニューディール政策に伴う諸法案などは、経済活動の自由、私有財産の絶対性に抵触するということで、連邦最高裁によって片っ端から違憲とされた、という逸話があります。

小室先生は、近代資本主義の前提である「私有財産制度」を再考することが今後の資本主義の貴重な出発点になるであろう、という言葉を残して本稿を終えられています。

(免責事項)
このブログは一般図書の一部を抜粋要約し、筆者の独断と偏見に基づき改編したものです。このブログで当該分野にご興味をもたれた方は図書館で借りる、ないしは書店にて本をお買い求めになり、全文を精読されることをお薦めします。

Thursday, August 23, 2007

少子化は大人のエゴに問題あり  「竹村衒一のああいっぺん言うてみたかった」

これも過去の雑文集からの抜粋です。

脳学者、茂木健一郎氏の「クオリア日記」にトラックバックを貼らせていただいたこの記事です。

この記事を掲載したブログは既に廃止しております。再掲いたしますのでよろしければ、ご一読ください。

========================================================
だいたいやね。少子化、少子化いうけれども、国土面積に比べて人口の過剰な日本にはエエことかもしれないと思っとるわけですわ。

これはエライ旧い資料やけれども、2001年のParis Times Squareに掲載されとる論文やけれども、「現在、日本では世帯数が4千4百万に対して住宅数は5千万戸ある」ゆうわけやね。

つまりは住宅の数が世帯数を上回っているので、どんな家か選ばなければ誰でも家に住むことができるわけやね。住宅需要が減り、土地や家の値段が下がって誰もが安くマイホームが手に入るようになるわけやね。

次に厳しい受験勉強をしなくても、多くの人が希望の学校に入ることができる。これも、少し問題があるけれども、まあエエことや。

最後に一人っ子同士が結婚したら、夫婦は両方の親から遺産を相続できるわけやね。遺産欲しさに高齢者を毒殺するような馬鹿者が出てくるかもしれんけれども、まあ今の希望を失なっとる青年に「お金の心配はせんでエエよ」いえるからまあエエことや。

ただ、問題なのは女性の社会進出に伴って「子供はいらん」いう夫婦があるとか、仕事が忙しゅうて嫁さんを選んどる暇がない、適当に相手を選んだら性格が会わへんかったゆうて離婚する夫婦が増えとることですわ。

東京都に至っては全国で一番低い1.03ゆう出生率なわけやね。

まあ、エリート層(まあ、職場から必要とされて引っ張りダコの人やね)の出生率が低いゆうのは、どこの国でもあることで、19世紀のアメリカでは、WASP女性の解放が進み、離婚率上昇と出生率低下が顕在化し、統計によると、1870年代のハーヴァード卒業生40~50代の3分の1が独身、セヴン・シスターズ・カレッジ(WASPの有名女子大学)卒業生の内、既婚者は40パーセントだったそうなんです。

現代の少子化問題に相通じる問題ですわ。

私がいいたいのはこういう人たちに、

「あいつは俺よりもはよ出世したから頑張らんぁあかんとか、隣はエエ暮らししとるから共稼ぎしてもっと贅沢なエエ暮らししたいとか、そんな自分のエゴを捨てて、脈々と続いてきたご先祖さまに感謝して、自分の遺伝子を次世代に運ぶことに力を入れなさい」

いうことやね。

自分の出世が多少遅れても、自分らは自転車に乗ってお買い物でも「自分には自分のポリシーがある」ゆうて信念を貫くことですわ。

ある先生(長田高校の社会科の先生やけれども)と話しとったんやけれども10代のこどもの時間は30代の大人の3倍重要やゆう意見で一致した。

ほんまに大事な訳ですわ。

日本は村社会の名残があって、あいつが出世したら俺もならばなあかんとか、お隣が立派な家具を購入したからウチも購入したいとかそんな横並び意識があるわけやね。そんな人には、

欲望は際限がないのやから「足るを知る」いう言葉を奉げたい。

結婚相手にも過剰な期待をしないことやね。

夫婦ゆうのは長い時間かけて共有した時間が大切なんですわ。お互い違う価値観をもっとるゆうのは当たり前で、徐々に時間をかけて夫婦間でアジャストしていくわけですわ。

アインシュタインが、

「結婚とは恋愛という一時的な感情を長く持続させようとする努力である」

ゆうとるわけやけれども、僕は「モーレツ」「デリーシャス」に続いて“Lifestlyle Superpower“(生活大国)目指して、

「ビューティフォー」(感嘆詞、その人の生き方に感嘆して発する言葉)

いう言葉を提唱したいね。
(2006年4月23日記)

Saturday, August 11, 2007

NHK 大河ドラマ「武蔵」について考える

 これも過去の雑文集からの抜粋です。

かつて大河ドラマは、NHKのプロデューサーが時代状況を読んで、その時代に適したメッセージをおくるものだ、という幻想を抱いていた事があります。

 そんな幻想を抱いていた時に書いた一文です。

==========================================================

○ 異質テーマの大河ドラマ

 ’80年代の後半、NHKの人気アナウンサーであった鈴木健二氏の著書、「気くばりのすすめ」が未曾有のベストセラーになったことがあります。

アメリカのレーガン政権が「双子の赤字」に苦しむのを横目に、日本経済が快進撃を続けていた頃の話である。

当時の日本は、年功序列、終身雇用、系列システムといった企業の組織的な結束力の強さを武器に、国際経済競争に打ち勝っていました。
 
 鈴木氏の著書がベストセラーになったのも、「集団組織による相互協力こそ最高の美徳」といった価値観に対する関心の高さの表れではなかったろうか。

NHKの大河ドラマは、「徳川家康」や「武田信玄」を放映し、一人の卓越した人物を神輿にすえて、部下は耐えがたきを耐え忍びがたきをしのび組織一丸となって頑張ろう、といった集団主義を礼賛するメッセージが背景にあったように思われる。

 しかしながら、日本経済が不況で企業業績は悪化し、リストラを余儀なくされると、主君の仇を志を同じくする集団で討つ赤穂浪士を描いた「元禄繚乱」や一族で骨肉の争いを繰り広げた「北条時宗」など、「組織内闘争のすすめ」に、

あるいは、戦国の下克上の時代を抜け目なく生き抜いた「毛利元就」や「前田利家」をとりあげ、「目くばりのすすめ」的なメッセージに変容していった。

 そして、今回の大河ドラマの主人公は、孤高の剣術士である宮本武蔵である。

とうとう集団主義のすきな日本人も、先の見通しのたたない長期の経済不況には全くのお手上げ状態で、もはや組織を当てにしないで各々おもいおもいに生きてくれという、「個人主義のすすめ」というメッセージを発したような気がする。

 大河ドラマとしては、やや異質なメッセージなのではないだろうか。


○ 武蔵の「国際性」と「野生の思考」

 「宮本武蔵」は戦前・戦中に活躍した大衆文学の大家、吉川英治の代表作である。

 当初、新聞の連載小説として始まった「宮本武蔵」はたちまち評判となり、「武蔵」を読むためだけに新聞を購読する人が殺到するなど、一大国民的ブームを巻き起こした。

小説「武蔵」の魅力は、何といっても剣術だけでなく、本阿弥光悦や烏丸光広など風流人との交流や禅の道を希求する瞑想的な哲学者として沢庵和尚や愚堂禅師との問答など、人生の永遠の求道者としての姿である。

一介の漂泊の剣士にすぎない武蔵は、広い精神世界とその人格に対する畏敬の念から、さまざまな人々を引き付ける。

 当時、将棋に行き詰まり自殺まで考えた升田九段が『宮本武蔵』を読んで自殺を思い止まった、というエピソードもあるそうです。

 「武蔵」人気は国内だけにとどまらない。

 小説「宮本武蔵」は、当時、経済大国として台頭してきた「日の出づる国」に対する関心もあいまってアメリカで初版2万部を売り切ったのを皮切りに、英語圏内の諸国、フランス、フィンランド、ドイツで翻訳され出版された。

 特にフランスでは、上巻「石と刀」と下巻「円明」合わせて13万部も売れているという。吉川英治はユゴー、デュマ、バルザックといった大作家と対比されて論じられ、武蔵はダルタニアンになぞらえているそうである。

ミッテラン大統領も、サミットに同席した橋本元首相に「武蔵は右利きだったのか、左利きだったのか」と尋ねた、というエピソードもあるほどである。

 思えば、戦後の日本経済は、個人の異質性の排除とともに発展してきました。 

 日本は戦後経済の奇跡的な高度成長によって、国民に将来予測が可能で、計画的に生きることのできる安定した社会システムを供与してきました。

そして、われわれは経済的安定という切符と引き換えに、無機的でからっぽの日常をおくることを何の疑いもなく受け入れてきました。

戦前の日本人が国民総動員法によって軍国主義に全面的に協力してきたのと同様に、戦後の日本人は明日の勝利を信じて、日本株式会社に何の疑いもなく全エネルギーを投入してきたともいえます。

しかしながら、人間とは本来武蔵のように、先の見通しのきかない霧の中で、ただ明日の糧のために、今日を必死に生きるという生き物ではなかっただろうか。やや異質な大河ドラマをみつつそう思った。
(2003年5月3日記)

(参考文献:『NHKドラマ・ガイド 宮本武蔵』(昭和五十九年四月十日 第一刷発行:編集・発行人藤井根和夫:発行所 日本放送出版協会)


(後日譚)
サラリーマンは日曜日の夜に大河ドラマを観て月曜日出勤するのだから、大河ドラマを前日みた人は多かれ少なかれ、その影響を受けてしまうものです。

今回の大河ドラマ、井上靖原作の『風林火山』ほど、組織の人々を疑心暗鬼に陥らせるものはないのでないか。

なんとなく、日本はホッブスの言う、自然状態、「万人の万人に対する闘争」に入っているのではないか、と思わず勘ぐってしまいます。

普段はお荷物扱いされている窓際族と称される老人がじつは隠れて人事評価をおこなっているのではないか、とか、途中転職してきたが信頼してつかってきた部下が、じつはライバル会社のスパイとしておくりこまれてきたのではないか、とか誤った謀略視点に基づいてサラリーマンが行動してしまうのではないか。

そんな面白い幻想を抱いてしまいました。

山本勘助のような人物が戦国に現実に存在していたのなら、あっという間に殺されてしまった事でしょう。

私が推測するに「山本勘助」という名前は、武田方からがはなたれた交渉人が必ず名乗る「デス・マスク的名称」ではないかと思いますが、如何でしょうか。

人々がこれ以上、疑心暗鬼に陥らないよう「これはあくまでもお芝居です」、というエンド・クレジットを入れるべきではないだろうか。

Friday, August 10, 2007

哲学者ジョージ・ソロスとクォンタムファンド ~ 「再帰性理論」 ~ (後)

哲学者ジョージ・ソロスの挫折

 ソロス氏は、ロンドン・スクール・オブ・エコノミックスを卒業後、装身具メーカーに見習社員として入社、その後、シティの金融街に転じるも会計係、金の裁定相場を扱う部署、本社の事務要員を転々とし、業績もパッとしなかったソロス氏はニューヨークのウオール街に活躍の場を移します。

ウォール街で国際裁定取引を任されたソロス氏は、欧州向けの石油関連株の販売で頭角をあらわし、やがて外国証券アナリストとして絶頂期を迎えました。

 しかしながら、ニューヨークでの幸福な時期も長続きせず、東京海上のADR証券の販売時期の認識をめぐって役員と対立し、やがて仕事の裁量権を縮小されたソロス氏は、3年もの間ビジネスそっちのけで、ロンドン大学時代に齧った認識哲学の学位論文の執筆に没頭してしまったそうです。

 その後、会社を移籍し本来のビジネスの世界に戻ってきたソロス氏は小さなアメリカ株の投資ファンドの運用を始め、軌道にのりはじめた7年後にクォンタムファンドという自ら独立した会社でファンドの運用を始めることになります。


ソロス氏の哲学理論
 
以前、価値研究家のH氏とお話したところ、「株式相場とは結局、人々の意識の塊の総和を数値化したものではないか」という意見で一致しました。

人間が、風説やデマ、人々の根拠のない期待等の誤った情報に基づいて投資をおこなえば、株式市場は「歪んだ意識の流れの塊」を形成し、競馬の馬券と同じような博打にちかい、不健全なものとなります。

また、堀江貴文氏のように突然あらわれた時代の寵児が、あたかも名伯楽のように崇められ、氏が思いつきで発言したことがマスコミ等の媒体を通じ大衆に伝えられ、その影響が市場に甚大な影響を与えるとすれば、これ以上危険なものはありません。


(日本の株式相場はその意味で欧米に比べまだ未成熟ではないか、という処でもH氏と意見が一致しました)

一方、株式投資をおこなうものがみな、正しい情報を与えられ、企業業績をきちんと読みこなして投資をおこなえば、株式相場は「企業活動を適切に反映した意識の塊」となり、適切なところに資金が流れ、不適切なところの水は枯れる、ことになります。

しかしながら、人間、神でもない限り完全な情報を与えられ、それに基づいて適切な投資が出来るとは考えられません。それが、投資するもの全員が、となれば、なおさら難しいことです。

そういった環境の中、ソロス氏の投資哲学の根幹をなすのは「私は誤りを犯しやすい」という認識である。

彼は自らの投資スタンスを過信しない。彼は、常に自らのスタンスが間違えているのではないか、という不安を持ちつづけているがゆえに、市場の状況に敏感でいられ、かつ自らの投資判断のミスを他人よりもいち早く気が付くことができるといいます。

 そして、ソロス哲学のもうひとつの一翼を担うのが「再帰性」という概念です。

この「再帰性」の理論を筆者なりの見解で述べさせていただければ、「再帰性」とはいわば「木霊(反響:エコー)」のようなものではないかと考えました。

人は山頂に登って並びゆく山脈に向かって「ヤッホー」と叫ぶ。しかしながら、跳ね返ってくるその声はその人の発した声には違いないが、山々の反響によって微妙にもとの音とは異なる。

つまり、現実社会が変わることによって、人々は自らの認識する世界観を変えます。与えられた原始情報に何らかの偏りが加わり、原始情報がさまざまなメディアの意図によって歪められる。こういった現象が三重、四重になってかえって実像を覆い隠してしまう。こういった現象によって、「事実」と「人々が認識する事実」とは徐々に乖離してゆくのではないかと思います。

「人々が認識している現実は必ずしも、本当の現実とは一致していない」

また人間には、

「人々は自分が認識している現実に固執し続ける癖があり、そのため現実に起こっている事象に対して素直に対応できない」

という性質もあるようです。

このように「人々が認識している現実」と「現実」とのあいだに大きな乖離が生じてしまうことになり、日本のバブル崩壊の時ように、その僅かな株式相場に関する人々の認識の時間差を利用して、大きな利潤を得たのが、ジョージ・ソロス率いるクォンタム・ファンドであったといえます。

かつての「土地神話」のように、万人が万人当たり前だと思っている理論的枠組み(=パラダイム)や前提、を疑い、時代の変化を読み取る臭覚が、ジョージ・ソロス氏は格段に優れていたといえましょう。
(2001年6月9日記)


(後日譚) 
最近の企業の投資ファンドの目論見書をみると、従来の債権・株式だけでなく、コモディテイという商品も組み入れられていました。

コモディティとは、商品相場らしく鉱物資源や、大豆、砂糖、綿花等、個々の商品の需給関係に基づいて相場が形成されていくものらしいのですが、そんな沢山の指標があるなかで一般の人々が適切な情報を得ることができ、適切な投資ができうるのでしょうか?

また、地球温暖化に伴い、途上国の二酸化炭素排出する権利を、先進国が買いとるというビジネスが国際的に起こりつつあるそうです。

株式相場をする人はいろいろな手段で24時間、あらゆる国際情報を収集し、吟味しなければなりません。

私は証券投資をしません。そういった時間が無駄のように感じるからです。

哲学者ジョージ・ソロスとクォンタムファンド ~ 「開かれた社会」 ~ (前)

小生は夏季休暇中で特に何も書こうと思っていないのですが、何故かアクセス数だけが大幅に増加しています。 

 特に、前回の「ジャパン・ナッシングの到来?」や「キングダム・オブ・ヘブン」等は、小生の感覚からすると失敗作で、ブログの履歴から削除したいような衝動に駆られるものですが、何故かアクセス数が高いのです(?) 
 
 読者の要望に答えるのが、ブロガーの責務であると考えますので、過去の雑文を掘り起こして再び掲載させていただきます。
 
10年前、八木博氏が連載されていた「週刊シリコンバレー情報」の主筆休暇中に寄稿(紙面を汚させていただいた、と言った方が妥当ではないかと思います)、『ジョージ・ソロス』』(七賢出版)についての書評を掲載させていただきます。

=====================================

「ソロス・オン・ソロス」

1995年、ポンド危機に「イングランド銀行を破綻させた男」、アジア通貨危機にはマハティールに「禿げ鷹」と呼ばれたソロス氏が「ソロス・オン・ソロス」という著書を刊行しました。

その際、多くの日本人はこの本に対して、「利殖のノウハウを知ることのできる本」、あるいは「世界的投資家がデマゴーグに用いようとしている本」等といった単純な誤解、あるいはネガティブな評価をこの本にくだしていました。

  しかしながら、筆者が読んだところ、この著書はソロス氏の投資理論よりむしろ、その思想が形成されていったソロス氏の人生背景ならびに青春期の人格形成、人生哲学、そして東欧社会に対する「開かれた社会」のための社会貢献活動に関する記述を中心に構成されており、前出の日本人のとらえ方とは全く異なる、投資家とは離れたジョージ・ソロスの人物像がくっきり浮かび上がります。

 本稿は彼の国際的投資家というより、むしろ知られざるソロス氏の哲学理論や、彼の究極的な目標である「開かれた社会」を構築するための社会貢献活動に焦点を当てて述べさせていただきたいと思います。



国際的慈善家、ジョージ・ソロス

 「ソロス・オン・ソロス」を開いてみて、まず驚くのはソロス氏の略歴です。

まず冒頭に、「国際的慈善活動家」とある。そして、自らの財団による社会貢献活動の実績が列記され、最後の4分の1がソロス氏の「国際投資家」としての顔、すなわちクォンタム・ファンドの実績が記述されています。

われわれがソロス氏に対して抱いているイメージとはおおよそ掛け離れたソロス氏の顔がみえてきます。



ソロス氏の父親と人格形成

 ソロス氏の父親はユダヤ系のハンガリー人で弁護士。第一次大戦に参戦し、中尉にまで昇進するも、ロシア戦線で捕虜となりシベリアの収容所に送られます。

その後、収容キャンプの捕虜の代表となったが、脱走した捕虜の見せしめに代表が射殺されるのをみて、大工や医師、コックなどの技術者を募って収容所を脱出。まずは筏をくんで北極海沿いに、その後は大陸を横断して、苦心惨憺の末にハンガリーに舞い戻ります。

 その後、第二次大戦に入りドイツ軍によるハンガリー占領が起こります。

その際、ソロス氏の父親は、この状況下で法律に従う習慣は危険だと判断し、実行に移しました。

ドイツ軍がハンガリーを占領する前に、家財道具を売り払い、家族のために偽造の身分証明書を作成し、隠れ家を用意し、周囲の何十人という人間の命を救った。

この難局を無事に乗りきったソロス氏の父親は、「俺の財産(Capital)は、頭(ラテン語で Capital)の中にある」といいました。

 時にソロス氏は14歳。後にソロス氏はホロコーストのこの時期を、「私の人生で一番エキサイティングで幸福な時期」と語っています。 
                                                    
   
東欧社会に対する貢献活動

 ソロス氏はロンドン・スクール・オブ・エコノミックス時代に、哲学者カール・ポパーの「閉ざされた社会と開かれた社会」という思想の薫陶を受けていました。

 そして、その思想を具現化すべく、クォンタム・ファンドが軌道に乗り出した1980年、「閉ざされた社会」を開き「開かれた社会」を活性化する目的で、ソロス財団(オープン・ソサエティ・ファンド)を設立しました。
 
設立当初、オープン・ソサエティ・ファンドは「開かれた社会」のために命を賭けて戦っている、ポーランドの「連帯」、チェコソロバキアの「憲章77」、サハロフ博士の反体制運動など東欧の反体制勢力と呼ばれる団体に、複写機を提供するという活動を開始しました。

 やがて複写機の普及によって、「開かれた社会」という共産党のイデオロギーと反する、もう一つの概念が存在することに気が付いた東欧の人々のあいだに民主主義の概念が燎原の火の如く広がり、やがてその活動が東欧革命となります。

また、オープン・ソサエティ・ファンドは政治活動のみならず、教育活動にも力を入れており、1990年にはブタペスト、プラハ、ワルシャワなどの東欧の都市に大学院レベルの教育課程を備えたセントラル・ヨーロピアン大学を創設しています。


 「最高の価値が無価値になるということ。目標が欠けている。「何ゆえに生きるという」ことに対する答えが欠けている」、ニヒリズムの時代にあって、

筆者はソロス氏にとって「金儲け(錬金術)」は、「開かれた社会」という目的のための手段であって、本人にとっての「何ゆえに」への答えは「開かれた社会への貢献」なのではないか、と考えるのであるが、いかがなものであろうか。


(2001年5月27日記)

Thursday, August 09, 2007

ジャパン・ナッシングの到来? 日本は米中の実験国に成り下がるしかないのか

 竹村健一氏の主宰する、「ワールド・ワイド竹村」「視点」(2007.08.08.刊 )、「日本の未来を担うリーダー」を読んで驚愕した。 (http://ww-takemura.com/fr_siten_1_t.html)

アメリカの大学で博士号を取得する学生の数が「日本80人に対して中国は2000人」だと云う。

考えるにこの差は、

(1. 中国人にとって英語は吸収しやすい言語である 

  中国語と英語は語順が一緒で、日本人が最も苦手とする発音にかけても中国人は日本人よりも長けている

  よって、中国人は英語に対して親和性が高く、日本人よりも吸収力が高く、英語の学習能力について一日の長がある

(2. 日本人のハングリー精神の欠如 (=知識欲の欠乏)

  戦時中は書物の携帯は厳罰ものだったため、教室から駆り出された学徒たちは動員先の工場で、最前線の特攻機地の片隅で、ひそかに忍ばせた文庫本が寸暇を惜しんでむさぼり読んだそうである。
また戦後、河上肇氏が『貧乏物語』を発刊した頃、発刊を待ちきれない労働者をはじめとする民衆が列をなしてその本を買い求めようとしたといいます。

  活字に飢えて知識欲旺盛だった時代に比べ、今の若者は必要最小限度の知識欲しか持ち合わせていないように思います

(3. 日本はこれまで博士号取得者を上手に活用できなかった
  
   よって「博士号取得者といっても社会で役に立たないじゃないか」との批判が巻き起こり、公費が出なくなり、私費学生が多くなった 

が原因として挙げられます。

アメリカは国籍がどこであれ、優秀な人材が集えば、

「そこがアメリカの素晴らしいところなのだ」

と胸を張って、優秀な人材の求心力となる自分の国家と、招かれてきたその優秀な人材を褒めたたえます。

アメリカの西海岸には、日本のような偏狭なナショナリズムはありません。

いづれ近い未来、中国国籍の優秀な学生がアメリカの政治・経済の重要なポジションを占め、日本は蚊帳の外に置かれてしまうことでしょう。

また、竹村氏のコラムによると、博士号を取得した中国人で帰国を望むのは1割程度であるといいます。

これは、中国人学生が言論統制が存在し、自由がなく、民主主義が根づかず、行動にさまざまな制約のある中国社会に戻ることを嫌がっているためでしょう。

これから考えられるのは、中国は人材を呼び戻すために自由化をさらに推し進め、優秀な学生を中国に戻ってきてもらうために、中国政府はアメリカに渡った中国人学生をパイプ役として、アメリカ主導のもとで米中の絆を深めることに尽力することが予測されます。

では仮に、ジャパン・ナッシングとなった場合、日本のこれからの役割はどのようになるか、というと、

『日本の選択』(ビル・エモット、ピーター・タスカ共著)で、「かつてはジャパン・バッシング、15年前はジャパン・パッシング、これからはジャパン・ナッシングにならないように気を付けてください」との警告があったが、そうならないように、

韓国が今現在、ITの実験国家(インターネット投票・株式の大衆化等)となっているように、

世界で最も先駆的で画期的な政策をおこなう模範国として認識されるよう、世界の叡智を集結し、どのような国家運営が理想か、国民と政治家、財界がお互いが試行錯誤しながら国家運営をすることによって、日本の存在感を高める方策しかないと思うのですが、如何でしょうか。

いくら世界に冠たる債権国だと対外的に誇ってみても、自国民の信頼を得られないような政治、あるいは諸外国の人々が眉をひそめるような事象がたくさん起こるような国では対外的な信用は得られません。

「100歳までの長寿の者多数にして、中高年は仕事にいそしみ、若者の活力満ち溢れ」と評される国に変わって欲しいものだと、一庶民として希望してやみません。