Sunday, May 16, 2010

『物語の森へ』(五木寛之著:東京書籍)

 トルストイに「幸福な家はみな一様に似通ったものだが、不幸な家はいずれもとりどりに不幸なのである」という言葉があるそうです。



 安岡章太郎氏はこの言葉を受けて「つまり、幸福という“みな一様に似通ったもの”を僕らは共有することは出来ず、家によって個人によって“いずれもとりどり”であるところの不幸によって、僕らは共通の体験―歴史というもの―に、参画することになるわけであるわけだ。ここに個人史による現代史というもののムツかしさがある」と述べています。



 作家と読者の関係もこれと似たところがあるのではないでしょうか。私と五木寛之氏との出会いは、1996年(平成八年)「文藝春秋」で石原慎太郎氏との「自力と他力か」という対談を読んでから始まります。それまで、私は五木寛之氏というと『青春の門』からくる印象がが強く「軟弱にして意志薄弱な党派」である私が入り込む余地のない作家だと思っていたからです。



 この作品集は五木氏が作家になるまでの紆余曲折がしのばれる短篇が集まっています。学費未納で六十まで「中退」ではなく「除籍」処分となっていた早稲田大学での日々を綴った「黄金時代」。都会での仕事がうまくいかず齢三十三にして早稲田の同級生の妻と(奥さんはその後、東邦医大に編入し医者をしていた)故郷金沢に隠遁した時の「小立野刑務所裏」、金沢の名士の義父の了解を得て自費でお金を工面しようやく渡航できたロシア、東欧旅行の体験を小説化した「さらばモスクワ愚連隊」、「蒼ざめた馬を見よ」等が掲載されています。



 私は五木寛之氏の小説のよさは物語の構成ではなく、言葉や情景から描写から醸し出される「青年期に喪失した筈の幼年期の純粋さが、作品中にふっとあらわれる」ところ、あるいは「人生のどん底で噛みしめる密やかな愛」であると思います。時代々々の空気をよみいち早く作品化してしまう衰えない感性に頭がさがります。




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