Friday, April 17, 2009

「時は過ぎる」(唄孝一著:有斐閣)

唄先生とその御母堂の闘病記録。


先生は御母堂が入院されるまで医療に関してはまったくの素人であったといいます。



その先生と医師との対立軸として、
1.まったく根も葉もないものと、無理からぬもの、2.説明さえきけば納得のゆくものと、素人にとつてはどうしても理解できないもの、3.当該ケース特有のものと、どこにでもあこりがちのもの、4.個人の努力で解決できる可能性のあるものと、社会的な解決を必要とするもの、があったとおっしゃつています。



そして、本書にはこうあります。“「かたきうち」を考える前に、事実の究明と、その原因の検討とに捧げねばならないでしょう。”唄先生の御母堂は「丹毒」(連鎖球菌が真皮内に侵入して、化膿性炎症を起こすもので、皮膚の小外傷、虫さされなどが細菌侵入の入り口となります)という奇病に侵され、高熱、顔や手足に境界の明瞭な赤いはれがあらわれ入院されました。八十五歳になられた御母堂はその後合併症を起こし「心臓の衰弱から肺に水腫ができる」という状態に陥る。酸素吸入におよぶも死亡。



その後の「御遺体の解剖」を巡るご家族と医師団の見解の相違。兄弟で病院を経営するM内科とN外科。御母堂とのやりとりを医療の守秘義務として開示を拒むN外科に対して御母堂の遺体解剖に立ち会うことを条件に開示を求める唄先生。その熱意に敗け、当時、医師の絶対機密事項であつたプロトコール(医師同士の御母堂の診断の経過に対する情報のやり取り)を一部開示した。その間にこのようなやり取りがあります。



イ. プロトコールの記載事項は機密事項であり、医師は理由なくして患者から知り得た事実を他人にももらしてはいけないこと。ロ.病理診断と臨床診断の病名が違うからといって、専門外の人が主治医の考え方を云々することは危険であること。ハ.質問に答える義務がないこと。ニ.専門外の人が納得するよう説明することは困難であること。以 上



これを切つ掛けに「法医学」という新しい分野を切り開いていつた御齢六十歳の唄先生。私は両親が四十の時の子供であり、幼少のころから「死」は“忌まわしいもの”“日常、言及することを避けるべきもの”として、こういった終末医療にまつわる話を生理的に忌避していたのですが、先生の医療界の機密事項に立ち入る事の禁忌(タブー)とその反動をもろともせずズカズカと入っていかれたその姿勢に感じるものがあり、これからも少しずつ「死」について考えてゆこうと思いました。



(出典:「時は過ぎる」(唄孝一著:有斐閣)





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