Wednesday, September 22, 2010

『回想の芥川・直木賞』(永井龍男著:文藝春秋社)

 この本にふれる前に、私なりの回想の芥川・直木賞をさせていただければ、当時は遠藤周作、北杜夫、吉行淳之介、近藤啓太郎、安岡章太郎、小島信夫、庄野潤三などの<第三の新人>と呼ばれる作家の円熟期にあたり、遠藤氏や北氏、安岡氏の晩年期にどんな渾身の作品が出版されるのかを楽しみにしていた時代で、当時の芥川・直木賞受賞者は寡作の人が多く今よりも注目度は高かったものの、新進作家の作品はあまり読まなかったような気がする。


 その後、文学と無縁の時代が長く続き、たまたま買い込んだ「芥川賞全集―十九巻―」の町田康氏の「きれぎれの」銓評を深夜に読んだ時に「文学いまだに死なず」といった観を強め、「せめて今の流行や世の中の空気を知るために読んでおこう」と僅かばかりの元手で本を買いいれだしたのが当該賞に入れ込みだした始まりである。


 私は作品もさることながら、当該作品が選ばれた時代背景や銓衡委員の銓評の辞を読むのが楽しみでならない。今回は1971年(昭和46年)上半期で石川淳氏とともに「小説がわからなくなった」という言葉とともに銓衡委員を辞任した石川達三氏の銓評「目標喪失の文学」と回想録「芥川賞の内外」の一部を紹介したい。



目標喪失の文学


小説が変わって行くという事については、賛成である。変わらなくてはいけないと思う。しかし変わり方に問題がある。現在、たしかに変わって来たと思うが、この変わり方に私は賛成できない。(中略)
 是はどういう事だろうかと隣席の中村光夫に訊いたら、彼は「流行だよ」と言った。大岡君も大体その説のようであった。流行だとすれば、嫌な流行である。舟橋君はノイローゼ小説という言葉を使った。小説がノイローゼによって書かれる傾向、そういう作品が読者から歓迎されるらしい傾向を見聞するにつけて、もはや私が芥川賞の選に当たるべき時期は過ぎたと思った。(後略)



芥川賞の内外

 
 (前略)この事は逆に、小説というものが色彩にも音響にも立体性にも一切拘束されることなしに、活字を間にして、作者と読者が一対一になれる・・・・・・ということである。映画やテレビはすべてを見なくてはならず、ラジオはすべてを音にしてしまわなくてはならない。文学はそのような拘束を受けていない。作者はその事を最大の強味とし、その事の特色を発揮すべきではないかと私は思う。
 私の一つの理想を言えば、映画や演劇やテレビなどに原作を提供する。そういう(原作的)な小説ではなく、映画でも劇でもテレビでも表現できない、読者が机の前で独りきりで味わい楽しむよりほかないという、そういう意味での純粋な小説が多く書かれることを望んでいる。そういう小説だけが今後は小説としての命脈を残して行けるものであって、それ以外のものはみんな(原作)にされてしまうのではないかと思う。



(参考文献:『芥川賞の研究』(日本ジャーナリスト専門学校部:みき書房)



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