Saturday, July 17, 2010

『山頭火』(石寒太著:文春文庫)

或る識者の本に、

「これはあくまで平均の話であるが、大学卒業年代でいうと昭和43、44年頃を境にして、学生の体質に目立った変化があったように思う。理工系の学生でいうと、この時期以降は問題の処理能力が平均的に向上し、知的好奇心は反対に低下した」

とあり、その要因として「感性」の問題があり、

「研究室で若い人達をみていると、科学者の最も重要な資質は、自然の不思議さ、美しさ、それをみつけた喜び、そういうものに戦慄する能力なのではないかと思われてくる。この知的感受性とでもいうべきものを多量に持っている人が結局はよい仕事をするからである。

問題はこの要素だけは教師が学生に与えてやれないという事実である」

その「話してもわからない部分」として次のような俳句を挙げている。


  とんぼ釣り今日はどこまで行ったやら


この俳句は作者の加賀の千代女の「幼い子供に先立たれた慟哭の句である」がこの句を実感として受け取ることのできる若い母親は今いるだろうか、と疑問を投げかけている。


われわれの世代が、漂泊流転のジプシーのような旅にあこがれるのは、「低エントロピー生活」、秩序や年長者が造り出した生活環境が盤石たる礎(いしずえ)の歯車でしかあり得ない「高エントロピー生活者」が予定調和の世界に対する反感と破壊衝動を抱く。それとともに、昔の人は「ネゲエントロピー生活」にしたいという欲望を抱く。すると昔の人に比べて本質的に自然に対する理解と適応能力が欠如していることに気が付いた、われわれは脱走し結局「低エントロピー生活者」となって帰還する。山頭火は地方の有力な政治家のタニマチの長男として生まれ「家」は生涯の重荷となり、また父譲りの溢れんばかりの情念が災いし破滅に向ってゆく破滅的な性格の遺伝子を自ら律しきれずに出奔したと考えられます。



ゆえに、山頭火のように睡眠薬を大量に飲んで昏睡状態に陥ったあと蘇生したり、虚名を売り物にして俳句の宗匠として地方を放浪したり、絶食状態で倒れていて犬から餅をもらうといった僥倖にめぐりあったりする、森羅万象や自然の神秘と合一するよろこびを体験したいのではないか。山頭火の一生は、何かのひょうしに自戒の念にかられ、自戒の言葉を吐き、酒を飲み騒ぎを起こし、再び反省して孤独な旅に出て、人里恋しくなり庵を結び、これではイカンと再び旅に出る。そんな一生だったといいます。私は三十半ばにしてようやくこの俳句を噛みしめるように読めるようになりました。




(引用抜粋:『柘植の「反秀才論』を読み説く(上巻)』(井口和基著:太陽書房)