Sunday, November 16, 2008

2008年(平成二十年)年末のご挨拶

本年は「爽秋の春風駘蕩ならざる日々」をご閲覧いただき誠にありがとうございました。


昨年と比較して掲載数が少なくなっているのにも関わらず、依然として一日の平均閲覧数が120、平均固定読者数も60を維持しております。


読者の方の要望に応えなくてはならないという責務と、これまで私が綴ってきた読み物の二番煎ではなく斬新なものでなければならないという責務の板挟みで苦しんだこともありました。


「読書人口を増やす」ことを目的に、とりあえず1カ月1篇、何とか綴ってまいりました。昨年も本年同様のご愛顧の程をよろしくお願いもうしあげます。

Wednesday, November 12, 2008

「日本史を読む」(丸谷才一、山崎正和著:中央公論社)(後)

本書は、作家で評論家丸谷才一氏と文明評論家山崎正和氏の洒脱でユーモラスな対談をおさめた日本史文化論。


まず、古代から日本は高句麗、百済、を介して伝わる中華文明の影響下にあったが、唯一その影響から逃れ得たのは日本では恋愛文学である。


「まえがき」で山崎正和氏はこのように述べる。「日本には恋愛文学の脈々たる伝統があり、愛への耽溺と個人の繊細な心理への関心が深かった」


「恋と密教の古代」では、「万葉集」の額田王と大海人皇子の歌の解釈をめぐる十九世紀のレアリズムと二十世紀のシュルレアリズムの対立を読み解きます。


あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る 額田王


衆の匂へる妹を憎くあらば人妻ゆゑに我恋ひめやも 大海人皇子


  この歌を巡ってレアリズムを主張する斎藤茂吉は「対詠的」と評し「狩猟中に野原においての二人のやりとり」ととらえる。 一方、シュルレアリズムの大岡信は「石猟が終わったあとの夜の宴会の席で、二人がふざけて、即興で披露したざれ歌である」と「宴と孤心」説を唱える。


やがて八世紀末に入り、「万葉集」から御霊信仰という鎮魂のため呪法として印度から中国に伝わった空海の密教の時代に。


密教で両部と呼ばれる大日経と金剛頂教。


大日教が形而上的なのに対して、金剛頂教は「自分が風について説明するのではなくて、自ら風になってしまう」というような認識論。


大仏開眼、中国が仏教を退治している頃に、空海は「十往心論」を記し、大日・金剛の両部を統一する。


「院政期の乱倫とサロン文化」は、日本が豊かになり文化的に成熟してくると、貴族社会のなかでも不倫が公認されるようになる。政治(まつりごと)は藤原氏などの摂関家にゆだね、天皇は祭祀の王として君臨する。


そして祭祀の王である天皇は、「諸国から女を召すことで国々の魂を身につけ、それによって日本を統治する」(折口信夫説)


やがて藤原道長が言ったように「男は妻から」と、妻の家柄で価値が決まると言った母性原理主義の貴族社会が出現する。



「異形の王とトリックスター」は、網野善彦氏の著書「異形の王権」によって暴かれた、法服を着て密教の法具を手にして奇妙な帽子を被っている後醍醐天皇の<権威と権力>を手中に収めようとする「建武の中興」。


後醍醐天皇は、農村と都市をつなぐ商業を重視し、運送業を家業としていた千早赤坂の土豪楠木正成、海上運送業をおこない海産物を販売していた隠岐の豪族名和長年を重用し、別世界であった叡山、高野山といった「山」の世界と連携をとり、武家の利権を代表する足利尊氏と戦った。


やがてこの争いは北朝(=足利尊氏が擁立する光明天皇)と南朝(=後醍醐天皇)の争いは一三九七年まで六十年間続きます。



(出典:「日本史を読む」(丸谷才一、山崎正和著:中央公論社)

Saturday, November 08, 2008

「日本史を読む」(丸谷才一、山崎正和著:中央公論社)(前)

つらつらと自分の受けてきた中学、高校の歴史教育について考えてみますと、歴史科目として教えられてきた日本史、世界史の骨の部分については教わりましたが、その豊穣なる歴史の想像力の源となる肉の部分については教わってこなかったような気がします。


私は1990年に高等教育を受けました。


1985年から1990年代の世界情勢は東西冷戦、東欧の動乱に起因するベルリンの壁崩壊および東西冷戦崩壊、中国の天安門事件、湾岸戦争など、世界史の近現代史を語る上で最も重要な事項が生じ、社会科の先生にとっては腕の見せどころだったのでしょうが、教育界の要請があるためか、公立の世界史教育は中盤を長―く長―く語り、三学期には残念ながら時間切れで近現代史の説明はできません、というパターンであった。


辛うじて、予備校で世界史の近現代史を教えてもらったものの、余りにも対象が広すぎる故か、小難しい世界史の人物名、戦争名、条約名、年号を大量におぼえただけで、大学から入学許可証をいただいても、とても体系的に世界史を語ることなどできない状態。


この状態を作家塩野七生女史はこう語ります。


「ちなみに、一年間で世界中の歴史を教えなくてはならないという制約があるのはわかるが、日本で使われている高校生によれば、私がこの巻すべて(「ローマ人の物語」全16巻)を費やして書く内容は、次の五行でしかない」(「ローマ人の物語」「ハンニバル戦記(上)(塩野七生著)より抜粋引用)


「イタリア半島を統一した後、さらに海外進出をくわだてたローマは、地中海の制海権と商権をにぎっていたフェニキア人の植民地カルタゴと死活の闘争を演じた。これをポエニ戦役という。カルタゴを滅ぼして西地中海の覇権をにぎったローマは、東方では、マケドニアやギリシア諸都市をつぎつぎに征服し、さらにシリア王国を破って小アジアを支配下に収めた。こうして地中海はローマの内海となった」



そういった意味で私は、自己の人生を通して得た知識を自由自在に駆使する戦中、団塊の世代以前の戦後派との大いなるクレバスとコンプレックスを感じざるを得ません。


しかしながら、この本を読むと、この本を軸に他の文献を読みあされば戦後、全共闘以前の世代の方とも<文化的な日本史>を語ることができるのではないか、と思わせてくれるくらいエロティシズム(=知識への誘惑)にみちあふれた本です。


(本の内容の紹介は次回にさせていただきます)