Wednesday, May 14, 2008

芥川龍之介(吉田精一著)

 「芥川龍之介」(吉田精一著)。一週間かかってようやく読了。


芥川が神経衰弱に陥るところから猛然と読書の速度があがって読み終ったら夜が明けて、鴉がガアーガアー鳴いていた。


「世界の故事名文句コンサイス」(自由国民社)の「臨終のことば」の頁に、イギリスの作家H・G・ウエルズの


「(友人たちを遠ざけるように)死ぬのに忙しいんでね」


という言葉がのっている。


芥川龍之介の死に方はまさにこの通り。

私は古典では中学校の頃読んだ「藤十郎の恋・恩讐の彼方に」に最高の評価を与え、少年時代に読んだ「身投げ救助人」が忘れられず、その作者、菊池寛が好きだった。

しかし、生き方は芥川龍之介のようでありたい、と思った。何者かにおわれているかのように貪欲にあらゆる世界の知識をむさぼり食い、その知識を自分なりに咀嚼して自らの世界を再構築する。自らのその作業がとまった時、あるいはそのような自らが再構築した世界がある種の法則性を持ち出して腐臭がただよい出した時、即座に自らもこの地上から消滅することを願いこふ。


(以下、引用)
「恐るべきものは停滞だ。いや藝術の境に停滞ということはない。進歩しなければ必ず退歩だ。藝術家が退歩する時、常に一種の自動作用が始まる。という意味は、同じような作品ばかり書く事だ。」


「僕は精神的にマゾヒズムのような傾向があるらしい。一度人から思い切ったことを云われて見度いと思ふんだが。」


志賀直哉と芥川龍之介の差異は「肉体的力量の感じの有無」


谷崎潤一郎と龍之介の論戦。


龍之介は「通俗的興味がないと云う点から見れば最も純粋な小説である」。


潤一郎は「要するに芸術の問題は材料を生かす詩的精神を活かす如何もしくは深浅にある。(中略)構造的美観をもってもっとも多量にもち得る形式は、戯曲であろうと疑い、特に潤一郎は卓越していると駁した。」

岡本かの子は昭和ニ年の早春、五年ぶりで汽車の中であった龍之介の印象を、「今は額が細長く丸く
禿げ上り、老婆のように皺んだ顔を硬ばらせた、奇貌を浮かして、それでも服装だけは昔のままの身だしなみで、竹骨に張つた凧紙のやうにしやんと上衣を肩に張りつけた様子は、車内の人々の注目をさへひいている。(略)「あ、オバケ」不意の声を立てたのは反対側の車窓から氏を見た子供であつた(略)」と書いている。


  むしあつくふけわたりたるさ夜なかのねむりにつぎし死をおもはむ


  たましひのたとえば秋のほたるかな



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