Tuesday, August 17, 2010

『働くことと生きること』(水上勉著:東京書籍)

 皆さんは、少年青年期に、どうも社会になじめそうにないのでいっそ出家してお坊さんになろう、あるいは社会で悩みに悩み、その悩みを肉親や弁護士さんでなく、お坊さんに悩みを打ち明けたいと思ったことはないでしょうか。

 私も三十近くに悩みに悩んで、人生の先輩のところにぶらりと足を運び話をしたところ「会社を人生の修業の場と考えてやればいいじゃないか」といさめられたことがあります。


最近の文学者のなかでは、新進作家の京極夏彦氏が仏教に興味を持ちお寺の跡取りに嘱望されたいた、あるいは玄侑宗久氏がお寺の跡取りは嫌だと新興宗教をわたりあるいた等、文学者と日本文化の根底に横たわる仏教のかかわりは切っても切り離せないものがあると思います。


 本書の紹介に戻りますと水上勉氏というと初めに記憶違いがあり、『金閣炎上』という作品を書かれたということで、新聞の文藝欄に書かれた三島由紀夫氏の『金閣寺』の主人公である寺僧が服役後自らの心境を綴った手記と思い違いをしたせいか、「寺で働きながら苦学して大学を出た人」というイメージからか、何か暗く見てはいけない世界をのぞき込むようで、後輩にもすすめられたことがありましたが避けていた作家の一人です。



 本作品は水上氏の自伝的随筆で、葬儀用のお棺を造ることを家業とする実家の話から始まり、「むぎわら膏薬」というわずかな分量のもぐさを叩いて粉にして京都のあらゆる薬局に売り歩く行商の話に続きます。水上氏はその後、立命館大学を出て京都職業安定所に勤め、学校の先生になったりしてどんどん大家になられていくという水上氏にしては珍しく明るい内容です。



 その中に商人の心得として忘れられない言葉が「当世職業談」にあります。その言葉を読んで、何となく仏教もキリスト教も似ているではなないかと想いました。

Tuesday, August 03, 2010

『自然学の展開』(今西錦司著:講談社学術文庫)

 エッセイストのムツゴロウ先生こと畑正憲氏が、1978年に日本の自然開発の在り方に対する不満を「純情日暮れ」という随筆で述べています。また、今西錦司氏の『自然学の展開』は私が唯一専攻以外で深い感銘を受けた本で非常に懐かしく思います。


====================================================================

 車は右に折れた。折れると同時に草原の名残が消え失せ、白樺の老樹が並ぶ登りであった。すでに羅臼の山麓。
 

なめらかなエンジンの音に、ときどき、タイヤが砂を噛む音が混じる。行き交う車は一切ない。宇登呂から羅臼をめざすこの道は、ちょうど半ばの尾根に達したばかりで、一般の通行を許していないからだ。(中略)
 

しかし私は突然、
「行こう。あそこへ行こう」
叫ぶように言った。


あそこーとは羅臼岳を目指す新道。ブルドーザが頻繁に通っていた頃、何度か行ってみた道。Mよ。
私は言いたかった。何故、あそこに大きな道がつけられねばならないのかと。たまさか人が歩く、けもの道程度のものがあるので何故いけないかと。(中略)


いま、夕日は大地に平行な光を送りつつあった。もし原野に一本だけ木があれば、その影が東へと無限に伸びる刻だ。
道をはさんだ林の底にはすでに夜がある。青さが澱み始めていて、それが、波頭が崩れる感じで道の上に落ち込んでくる。車の中はぼうっと暗い。


だが、左側の白樺の幹はその半分から上の部分が、しゃっきりと白い。いや、白と言ってはいけないのかもしれない。夕日に染まっている。
朱。
けれども朱くはない。朱く染まっているからいっそう、私に白さを感じさせる。そんな大気の澄み方だった。むろん車の窓は開けてあり、そこから知床十一月の寒気がまともに吹き込んでくる。痛いほど、その痛さは、街の空気にはない清潔なものだ。(中略)


「羅臼の新道の、掘削した道の両側に、雑草の根を機械で吹きつけているじゃないか。あれはなんとかならないかな。雑草の種をもちこめば、そこにある草が犯されてゆく」


「林には体温があるというじゃないか。その林のどまん中に道をつくれば、そこから体温が失われてゆく。これをどうすればよいのだろう」


 再び元へは戻るまい。この観光道路の新設が罪悪であることは、誰も否めない。それでいて、反対するには遅すぎる。自然への関心が薄い時代に決定し、観光地として脚光を浴びる夢を託して開かれ始めたのだ。



 この後、京都大学教授であった今西錦司氏が、宮崎大学の上野昭氏の「照葉樹林文化を考える会」の協力依頼に賛同し、自分なりの照葉樹林に関する考え方を綴ったのが本書である。


 その冒頭にある「混合樹林考」は、以下の通りである。


====================================================================

 照葉樹林というのは西日本一円にひろがった植物社会で、クス、タブ、シイ、それに数種類のカシを含んだ濃密な常緑広葉樹林であり、これが西日本の極相林であるということになる。太古の西日本はどこもかしこの鬱蒼とした照葉樹林におおわれていたと考えられる。


 極相林に対置されるものとして、二次林という言葉がある。言葉の意味は極相林を伐採したあとに生えてくる林だから、二次林といったのであろう。二次林といえども自然にまかせておいたら、時間がかかってもやがてもとの極相林にもどるというのが、単極相論者の主張だから、そう信じていてもやむえない。


 ところが事実はそうでないのである。自然の中には、いつまでたってもいわゆる極相林にならない部分が、かなり大幅に存在する。私は十九三二年にいま住んでいる土地に家を建てた。そこは京都市を貫流している加茂川の氾濫原の一角で、私が家を建てる前は空地であり、カジノキ、エノキ、ムクノキなどという野生の樹木が生えていた。私はその後、家の周辺に、クスノキ、シラカシ、アラガシなどを植えた。これらの樹木の中で、カジノキは寿命がきて枯れたけれども半世紀のあいだに亭々たる大木になった。二次林向きのエノキの稚樹なんて理に合わないことかもしれない。


 今、科学の方でカタスロフ理論というのがありますね。これがまあそういう役を扱うものらしい。なだれのおこるのんが、あれがそうですがなちゅうたら、なだれなら僕も何べんも見ているから「ああそうか」と、それでまあ分かったような気がしたと、返事をしときましたがね。カストロフィ-・セオリーいうものがあります。


 個人的なことをいえば、私は5年前に円山川の氾濫に遭遇した。私のいた社員寮は木造でしたが、安全山という粘土質の塊のおおきな山が東側にそびえ、寮の外には防風林がたくさん立っていたため、偶然助かりました。私は阪神大震災のおりも何もせず、実に気まずい思いをしました。ようやく自分の身に危険がふりかかってきて、その重要性に気付いた次第です。



(引用抜粋:『ムツゴロウの純情詩集』(畑正憲著:中公文庫)



(免責事項)
このブログは一般図書の一部を抜粋要約し、筆者の独断と偏見に基づき改編したものです。このブログで当該分野にご興味をもたれた方は図書館で借りる、ないしは書店にて本をお買い求めになり、全文を精読されることをお薦めします。