Saturday, August 11, 2007

NHK 大河ドラマ「武蔵」について考える

 これも過去の雑文集からの抜粋です。

かつて大河ドラマは、NHKのプロデューサーが時代状況を読んで、その時代に適したメッセージをおくるものだ、という幻想を抱いていた事があります。

 そんな幻想を抱いていた時に書いた一文です。

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○ 異質テーマの大河ドラマ

 ’80年代の後半、NHKの人気アナウンサーであった鈴木健二氏の著書、「気くばりのすすめ」が未曾有のベストセラーになったことがあります。

アメリカのレーガン政権が「双子の赤字」に苦しむのを横目に、日本経済が快進撃を続けていた頃の話である。

当時の日本は、年功序列、終身雇用、系列システムといった企業の組織的な結束力の強さを武器に、国際経済競争に打ち勝っていました。
 
 鈴木氏の著書がベストセラーになったのも、「集団組織による相互協力こそ最高の美徳」といった価値観に対する関心の高さの表れではなかったろうか。

NHKの大河ドラマは、「徳川家康」や「武田信玄」を放映し、一人の卓越した人物を神輿にすえて、部下は耐えがたきを耐え忍びがたきをしのび組織一丸となって頑張ろう、といった集団主義を礼賛するメッセージが背景にあったように思われる。

 しかしながら、日本経済が不況で企業業績は悪化し、リストラを余儀なくされると、主君の仇を志を同じくする集団で討つ赤穂浪士を描いた「元禄繚乱」や一族で骨肉の争いを繰り広げた「北条時宗」など、「組織内闘争のすすめ」に、

あるいは、戦国の下克上の時代を抜け目なく生き抜いた「毛利元就」や「前田利家」をとりあげ、「目くばりのすすめ」的なメッセージに変容していった。

 そして、今回の大河ドラマの主人公は、孤高の剣術士である宮本武蔵である。

とうとう集団主義のすきな日本人も、先の見通しのたたない長期の経済不況には全くのお手上げ状態で、もはや組織を当てにしないで各々おもいおもいに生きてくれという、「個人主義のすすめ」というメッセージを発したような気がする。

 大河ドラマとしては、やや異質なメッセージなのではないだろうか。


○ 武蔵の「国際性」と「野生の思考」

 「宮本武蔵」は戦前・戦中に活躍した大衆文学の大家、吉川英治の代表作である。

 当初、新聞の連載小説として始まった「宮本武蔵」はたちまち評判となり、「武蔵」を読むためだけに新聞を購読する人が殺到するなど、一大国民的ブームを巻き起こした。

小説「武蔵」の魅力は、何といっても剣術だけでなく、本阿弥光悦や烏丸光広など風流人との交流や禅の道を希求する瞑想的な哲学者として沢庵和尚や愚堂禅師との問答など、人生の永遠の求道者としての姿である。

一介の漂泊の剣士にすぎない武蔵は、広い精神世界とその人格に対する畏敬の念から、さまざまな人々を引き付ける。

 当時、将棋に行き詰まり自殺まで考えた升田九段が『宮本武蔵』を読んで自殺を思い止まった、というエピソードもあるそうです。

 「武蔵」人気は国内だけにとどまらない。

 小説「宮本武蔵」は、当時、経済大国として台頭してきた「日の出づる国」に対する関心もあいまってアメリカで初版2万部を売り切ったのを皮切りに、英語圏内の諸国、フランス、フィンランド、ドイツで翻訳され出版された。

 特にフランスでは、上巻「石と刀」と下巻「円明」合わせて13万部も売れているという。吉川英治はユゴー、デュマ、バルザックといった大作家と対比されて論じられ、武蔵はダルタニアンになぞらえているそうである。

ミッテラン大統領も、サミットに同席した橋本元首相に「武蔵は右利きだったのか、左利きだったのか」と尋ねた、というエピソードもあるほどである。

 思えば、戦後の日本経済は、個人の異質性の排除とともに発展してきました。 

 日本は戦後経済の奇跡的な高度成長によって、国民に将来予測が可能で、計画的に生きることのできる安定した社会システムを供与してきました。

そして、われわれは経済的安定という切符と引き換えに、無機的でからっぽの日常をおくることを何の疑いもなく受け入れてきました。

戦前の日本人が国民総動員法によって軍国主義に全面的に協力してきたのと同様に、戦後の日本人は明日の勝利を信じて、日本株式会社に何の疑いもなく全エネルギーを投入してきたともいえます。

しかしながら、人間とは本来武蔵のように、先の見通しのきかない霧の中で、ただ明日の糧のために、今日を必死に生きるという生き物ではなかっただろうか。やや異質な大河ドラマをみつつそう思った。
(2003年5月3日記)

(参考文献:『NHKドラマ・ガイド 宮本武蔵』(昭和五十九年四月十日 第一刷発行:編集・発行人藤井根和夫:発行所 日本放送出版協会)


(後日譚)
サラリーマンは日曜日の夜に大河ドラマを観て月曜日出勤するのだから、大河ドラマを前日みた人は多かれ少なかれ、その影響を受けてしまうものです。

今回の大河ドラマ、井上靖原作の『風林火山』ほど、組織の人々を疑心暗鬼に陥らせるものはないのでないか。

なんとなく、日本はホッブスの言う、自然状態、「万人の万人に対する闘争」に入っているのではないか、と思わず勘ぐってしまいます。

普段はお荷物扱いされている窓際族と称される老人がじつは隠れて人事評価をおこなっているのではないか、とか、途中転職してきたが信頼してつかってきた部下が、じつはライバル会社のスパイとしておくりこまれてきたのではないか、とか誤った謀略視点に基づいてサラリーマンが行動してしまうのではないか。

そんな面白い幻想を抱いてしまいました。

山本勘助のような人物が戦国に現実に存在していたのなら、あっという間に殺されてしまった事でしょう。

私が推測するに「山本勘助」という名前は、武田方からがはなたれた交渉人が必ず名乗る「デス・マスク的名称」ではないかと思いますが、如何でしょうか。

人々がこれ以上、疑心暗鬼に陥らないよう「これはあくまでもお芝居です」、というエンド・クレジットを入れるべきではないだろうか。

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