Friday, August 24, 2007

近代資本主義に関する箴言(2)

では、どのようにすれば閉塞化しがちな資本主義社会を打ち破ることができるかと言うと、アントレプレナーによる創造的破壊によるたゆまざる「革新」(イノベーション)が必要だとシューペンターは論じます。

そういうと、

「堂々巡りじゃないか。結局は成功したアントレプレナーは大企業化して官僚的専門家を雇うか、巨大企業に吸収合併されて活力を失ってしまう」

と反論されることでしょう。

そこでもう一つ、シューペンターの、「二重統治の理論」所謂「階級的共棲の理論」というものが出てきます。

これは、資本主義の支配者は資本家でも経営者でもない、資本主義より前から存在する「貴族」である、という理論です。

 貴族といっても本物の貴族ではなく、貴族や準貴族以下につらなるジェントリー(郷紳、地主)やヨーマン(独立自営農民)という中産的生産者で質素な生活をおくる貴族の最下層と自営の農民、「庶民」(Commons)と呼ばれた、辛うじて選挙権を持つに至ったという身分の人たちです。

その貴族たちに共通する性質は、

「天下や国家のために身を挺して努めるという責任感とプライド」

そして、

「行動的禁欲」とよばれる地位や名誉、金銭に対する欲望をすべて抑えて、目標達成のために全身全霊を捧げ(デディケート)、注ぎ込むことが出来るという性質です。

精神的な貴族と言った方が早いかもしれません。

シューペンターは、このような精神的な貴族がいたからこそ国を統べることができ、資本主義は健全な発展を遂げる事ができた、と言うのです。

 日本の幕末も同じようなものです。

小室先生の記述をそのままぬきだしますと、

「「官僚化した中級武士や上級武士も然り。彼らは自らの立場や特権に胡坐をかき、すっかり怠け者になって仕舞っていた。欲得の権化と化し、ノブレス・オブリュージュも、向学心も、行動的禁欲も持ち合わせていなかった」

「禄高百石以下の下級武士と言うが、革新の担い手となったのは下級も下級、最下級の武士達である。生活は貧しかったが、彼らにはブライドが在った。自分達が国家の柱石であるというプライド。我が事として国の行く末を案じ、いざとなれば総てを投げ打って心身を奉ずるという高い志。加えて彼らには教養が在った」

高齢化社会にともない、人生8掛け(年齢に0.8を掛けると、人生50年の時代の年齢に相応する)の時代と言われます(注1)「痩せ馬の先走り」」(憐れむべし痩馬の史。白首誰が為にか雄んなる)という諺もあります、ロングランの人生、あきらめずに歩んでいきたいものです。


われわれは物質的に貧しくとも、ヨーロッパのジェントリーやヨーマンに負けないよう精神的な貴族になるべく傘貼り仕事をしながらでも日本人としての矜持を失わないようにしたいものです。


(注1.浅田次郎氏「週刊文春」コラムより



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