Friday, August 10, 2007

哲学者ジョージ・ソロスとクォンタムファンド ~ 「開かれた社会」 ~ (前)

小生は夏季休暇中で特に何も書こうと思っていないのですが、何故かアクセス数だけが大幅に増加しています。 

 特に、前回の「ジャパン・ナッシングの到来?」や「キングダム・オブ・ヘブン」等は、小生の感覚からすると失敗作で、ブログの履歴から削除したいような衝動に駆られるものですが、何故かアクセス数が高いのです(?) 
 
 読者の要望に答えるのが、ブロガーの責務であると考えますので、過去の雑文を掘り起こして再び掲載させていただきます。
 
10年前、八木博氏が連載されていた「週刊シリコンバレー情報」の主筆休暇中に寄稿(紙面を汚させていただいた、と言った方が妥当ではないかと思います)、『ジョージ・ソロス』』(七賢出版)についての書評を掲載させていただきます。

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「ソロス・オン・ソロス」

1995年、ポンド危機に「イングランド銀行を破綻させた男」、アジア通貨危機にはマハティールに「禿げ鷹」と呼ばれたソロス氏が「ソロス・オン・ソロス」という著書を刊行しました。

その際、多くの日本人はこの本に対して、「利殖のノウハウを知ることのできる本」、あるいは「世界的投資家がデマゴーグに用いようとしている本」等といった単純な誤解、あるいはネガティブな評価をこの本にくだしていました。

  しかしながら、筆者が読んだところ、この著書はソロス氏の投資理論よりむしろ、その思想が形成されていったソロス氏の人生背景ならびに青春期の人格形成、人生哲学、そして東欧社会に対する「開かれた社会」のための社会貢献活動に関する記述を中心に構成されており、前出の日本人のとらえ方とは全く異なる、投資家とは離れたジョージ・ソロスの人物像がくっきり浮かび上がります。

 本稿は彼の国際的投資家というより、むしろ知られざるソロス氏の哲学理論や、彼の究極的な目標である「開かれた社会」を構築するための社会貢献活動に焦点を当てて述べさせていただきたいと思います。



国際的慈善家、ジョージ・ソロス

 「ソロス・オン・ソロス」を開いてみて、まず驚くのはソロス氏の略歴です。

まず冒頭に、「国際的慈善活動家」とある。そして、自らの財団による社会貢献活動の実績が列記され、最後の4分の1がソロス氏の「国際投資家」としての顔、すなわちクォンタム・ファンドの実績が記述されています。

われわれがソロス氏に対して抱いているイメージとはおおよそ掛け離れたソロス氏の顔がみえてきます。



ソロス氏の父親と人格形成

 ソロス氏の父親はユダヤ系のハンガリー人で弁護士。第一次大戦に参戦し、中尉にまで昇進するも、ロシア戦線で捕虜となりシベリアの収容所に送られます。

その後、収容キャンプの捕虜の代表となったが、脱走した捕虜の見せしめに代表が射殺されるのをみて、大工や医師、コックなどの技術者を募って収容所を脱出。まずは筏をくんで北極海沿いに、その後は大陸を横断して、苦心惨憺の末にハンガリーに舞い戻ります。

 その後、第二次大戦に入りドイツ軍によるハンガリー占領が起こります。

その際、ソロス氏の父親は、この状況下で法律に従う習慣は危険だと判断し、実行に移しました。

ドイツ軍がハンガリーを占領する前に、家財道具を売り払い、家族のために偽造の身分証明書を作成し、隠れ家を用意し、周囲の何十人という人間の命を救った。

この難局を無事に乗りきったソロス氏の父親は、「俺の財産(Capital)は、頭(ラテン語で Capital)の中にある」といいました。

 時にソロス氏は14歳。後にソロス氏はホロコーストのこの時期を、「私の人生で一番エキサイティングで幸福な時期」と語っています。 
                                                    
   
東欧社会に対する貢献活動

 ソロス氏はロンドン・スクール・オブ・エコノミックス時代に、哲学者カール・ポパーの「閉ざされた社会と開かれた社会」という思想の薫陶を受けていました。

 そして、その思想を具現化すべく、クォンタム・ファンドが軌道に乗り出した1980年、「閉ざされた社会」を開き「開かれた社会」を活性化する目的で、ソロス財団(オープン・ソサエティ・ファンド)を設立しました。
 
設立当初、オープン・ソサエティ・ファンドは「開かれた社会」のために命を賭けて戦っている、ポーランドの「連帯」、チェコソロバキアの「憲章77」、サハロフ博士の反体制運動など東欧の反体制勢力と呼ばれる団体に、複写機を提供するという活動を開始しました。

 やがて複写機の普及によって、「開かれた社会」という共産党のイデオロギーと反する、もう一つの概念が存在することに気が付いた東欧の人々のあいだに民主主義の概念が燎原の火の如く広がり、やがてその活動が東欧革命となります。

また、オープン・ソサエティ・ファンドは政治活動のみならず、教育活動にも力を入れており、1990年にはブタペスト、プラハ、ワルシャワなどの東欧の都市に大学院レベルの教育課程を備えたセントラル・ヨーロピアン大学を創設しています。


 「最高の価値が無価値になるということ。目標が欠けている。「何ゆえに生きるという」ことに対する答えが欠けている」、ニヒリズムの時代にあって、

筆者はソロス氏にとって「金儲け(錬金術)」は、「開かれた社会」という目的のための手段であって、本人にとっての「何ゆえに」への答えは「開かれた社会への貢献」なのではないか、と考えるのであるが、いかがなものであろうか。


(2001年5月27日記)

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