Wednesday, November 10, 2021

『夏の末』(川上宗薫:広済堂出版)

この本は川上宗薫氏の独特な文体で始まる。「原子爆弾が投下されて戦争が終り、翌年、紀彦は大学に入った。けれども、ひどい下宿難から、長崎に帰っていた。勉学心も乏しかったので、紀彦は、そういう事態をよろこんでいたといってもよい。」この本は容易には察せられない男女のこころの中の機微を、執拗で細微な筆で描いている。主人公の紀彦は牧師の息子に生れ、十分な配給を受けており、文化協会で知り合った、乏しい配給しか与えらない冴子にメリケン粉を分けてやっている。そこから冴子との交際が始まるのだが、なかなか発展しない。著者が男女の恋愛の機微に通じているのは次のくだりでもわかる。「近づきたがっている男女が時としてお互いに無関心を装いがちなのは、不自然なまでに過敏であるためで、だから、彼らは、ちょっとした自然な外見を帯びたきっかけさえあれば、もうその自然さにすっかり安心してしまい、こんどは平気で不自然な接近を目論見はじめるのだ」冴子には高い矜持があり、紀彦が好きでも、メリケン粉を分けてもらったといううしろめたい気持ちがあり、メリケン粉のために体を許したといようなことは絶対に嫌だと思っている。そこに冴子に惚れた駒井という男が金を冴子に与えて交際を迫る、といった作品です。川上宗薫氏はのちに官能小説の大家となりますが、初期の純文学として書かれたこの作品は、恋愛という行為はこれほどの忍耐や歳月が必要でこころを狂わせ消耗させるものか、と改めて感心させられました。(免責事項)このブログは一般図書の一部を抜粋要約し、筆者の独断と偏見に基づき改編したものです。このブログで当該分野にご興味をもたれた方は図書館で借りる、ないしは書店にて本をお買い求めになり、全文を精読されることをお薦めします。

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