Monday, March 12, 2007

ニート諸葛亮孔明

三国志の時代、劉備玄徳の軍師、徐庶は蜀を去るにあたって、

「襄陽に住まう伏竜(=臥竜)と鳳雛、この二人のうち一人でも得ることができれば、天下をとれる」

と言い残した。

そこまで評された諸葛亮孔明であるが、その雅号の通り寝て本ばかり読んでいて、隠者のように晴耕雨読を楽しんでいる。兄の諸葛均は呉の孫権に仕え、真面目に公のために働いているというのに、弟の孔明は一向に仕官する気配がない。

今で言う「ニート」である。

その諸葛亮孔明も、とうとう劉備玄徳の「三顧の礼」でようやく目覚めて蜀に仕官するのである。

一方の鳳雛こと、龐統は呉の孫権とアドバイザリー契約を結んだが仕官はせず、敵の曹操の陣を訪問したりしている。

才人の好きな曹操は天下の名士の来訪に喜んで、赤壁の戦いに備える自慢の水軍を見せて、龐統に助言をこうた。

孫権、劉備連合軍に勝たせたい龐統は、

「水軍には病者が多く出るがこれを治療する法があります。船をつなぎ、イカダのようにして潮の動揺をなくすことです」

と、孫権、劉備連合軍が火責めの計略にしやすいように、船をイカダのようにつなぐことを進言した。

曹操は喜んで船をイカダのようにつないだが、曹操の陣にその計略を見抜いた名士はいた。母を人質にとられ劉備の元を去った徐庶(単福)である。

意気揚々と曹操の陣を去ろうとした龐統であったが、徐庶(単福)に計略を見破られ顔面蒼白になった。しかしながら、母をなくしもはや曹操に忠誠を尽くす気のなくなっていた徐庶(単福)は龐統を才人同士の同情というのだろうか、憐憫の情であえて見逃した。

かくて赤壁の戦いは始まるが、曹操もバカではない。北西からしか風が吹かないことを知っていて、火攻めにあわないようにイカダ船団を北西に置いた。

孫権、劉備連合軍、危うし。

そこで、蜀の大軍師諸葛亮孔明の登場である。祈祷壇をきずき、呪法によって東南の大風を吹かせて、曹操を打ち負かすのである。

歴史は偶然の積み重ねによってつくられる。赤壁の戦のような壮大なスケールの大きい合戦は古今東西みあたらない。

(参考;『読み忘れ三国志』(荒俣宏;小学館))

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