Monday, March 12, 2007

山口と郷土史家内田伸氏の記憶

 東京十二社池の下のマンションの引越しにおわれていると、ある段ボールの中から内田伸著『大村益次郎写真集』が出てきた。

そういえば、小学生の頃にこんな本をいただいたことがあったなあと、少年の日のある思い出を回想した。

 父が岩国支店にいた頃である。


私は夏休みを利用して、父が単身赴任している岩国のマンションに遊びに出掛けた。


が、しばらくすると、岩国名物の錦帯橋や吉川広家が築城した岩国城、巌流佐々木小次郎が「燕返し」をあみだすきっかけになった河畔の柳など、岩国の風物に見飽きてしまい、一人で山口市に出掛けることにした。


当時は沢口靖子主演のNHK朝の連続ドラマ「澪つくし」が評判で、バスに乗ると沢口靖子の相手役川野太郎氏が岩国高校の野球部出身であったことから、「祝・川野太郎君、NHK澪つくし出演」などと書かれた横断幕が至るところで掲げられていた。


小学校の高学年になったとはいえ、見ず知らずの土地に少年が一人で足を踏み入れるというのはなかなか勇気のいることであった。途上、山口歴史民族資料館に立ち寄ろうとすると土曜日なので今日は休館日だという。


あきらめて帰ろうとすると、職員の方が出てきて、館長がわざわざきてくださったのだから、開館してくれるという。少年がとぼとぼと帰る後ろ姿をみて哀れに思ったのだろうか、館内をみると館長とおぼしき白髪の紳士で眼鏡をかけた人物が硝子越しにみえた。


 やがて薄暗い照明の灯った館内を私は一人でいそいそと見てまわった。国木田独歩の古い原稿や新村出の「広辞苑」の編纂までの苦労談、長州の民族芸能を再現してみせたものなどが微かに印象に残っている。


最後に「うちの館長の著書ですが、よろしければどうぞ」と、差し渡された冊子の著者名をみて少し驚いた。「内田伸」とあった。ああ、あの白髪の紳士が司馬遼太郎の「大楽源太郎の生死」に出てくる郷土史研究家の内田伸氏であったか、と少年ながらにこころが高揚したのを覚えている。


その後、司馬遼太郎の大村益次郎の疾風怒涛の生涯を描いた『花神』と「大楽源太郎の生死」を読みかえしてみると、内田氏は大村益次郎と同じ鋳銭司村の出身で、旧制中学時代には大村旧子爵邸にも寄寓していたと書いてあった。

私はその夏の間、内田氏からいただいた『大村益次郎写真集』を丁寧に扱い、その偶然性を母や兄に説明してみせたが、よく理解されなかった。


果たして、内田伸氏とはどのようなお方であったのかと、東京を去る前日、国立国会図書館を訪ねて、端末をたたいてみると、たちまち15あまりの著作がリストアップされた。


 主だったものを挙げてみると、中原中也没後50年にあわせて発行された『中原中也写真集』、大村益次郎のありとあらゆる書簡を苦心惨憺の末に集め編纂した『大村益次郎文書』(450部しか限定発売されていない。国会図書館にあるのは368番目の出版物)、『大楽源太郎』である。


 私が不思議に思ったのは、内田氏が大村益次郎殺害の首謀者と疑われた大楽源太郎について詳細な伝記を編纂されていることである。


 大楽源太郎は幕末維新の尊攘の志士として一時は指導的立場にあり、口の悪いことで定評のあった勝海舟が「大楽はよさそうな男だったよ。長州人にしちゃ話せる人物だよ」と褒めるほどの人物だった。しかしながら、その後不首尾があったため、司馬さんの小説ではあまり評価されず、維新後中央政府に出ていった長州の人材に比べると目立たない人物である。


 内田氏はその大楽を天賦の文才とさわやかな弁舌、西山塾を開き朝野の名士を輩出させた功績に鑑み、大楽の名を幕末維新の志士として永久に忘れるべきではないと説いた。


「明治四十三年は明治百年といわれて、その記念行事も各地で行われた。しかし百年記念の脚光は維新の元勲や功臣、いわゆる日のあたる場所を歩いてきた人たちにあてられるだけで、歴史の谷間にかくれてしまった不遇な志士たちは、やはり日のあたらぬままであった」


あえて中央に出るという野心を捨てて、郷里ために働かれた内田氏らしい優しさであると思った。
国立国会図書館の資料によると、内田伸氏はまだご健在であるようだ。ご存命ならば、1922年生まれの内田氏は今年で御齢84歳になられる筈である。


私のこのささやかなコラムが山口の内田老先生の眼に少年の頃の感謝の情とともにふれられんことを願い、筆を置かせていただきます。


(後日譚)この文章を自棄で山口市役所の掲示板に貼り付けたところ、市役所の方が内田氏のご子息(陽三氏)にご連絡をしてくださり、内田伸氏と二十数年ぶりの交信が出来ました。親切な山口市役所の方に感謝します。

参考文献 ;『木曜島の夜会』 (司馬遼太郎著 ;文春文庫)
        『花神(上)(中)(下)』 (司馬遼太郎著 ;新潮文庫)
        『大村益次郎写真集』 (内田伸著 ;鋳銭司郷土館 ;国立国会図書館蔵)
        『中原中也写真集』 (内田伸著 ;山口歴史民族資料館 ;国立国会図書館蔵)
        『大村益次郎文書』 (内田伸著 ;マツノ書店 ;国立国会図書館蔵)
        『大楽源太郎』 (内田伸著 ;風説社 ;国立国会図書館蔵)

No comments: