Sunday, March 25, 2007

追悼・城山三郎氏

城山三郎氏が亡くなった。まさに「昭和の巨星墜つ」といった感じである。
(http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20070322NT002Y16622032007.html)

司馬遼太郎、松本清張、城山三郎といえば、「昭和大衆文学の3大巨頭」である。

戦前の国粋主義に陥れた歴史観を変えるため、客観的なデータをもとに日本の歴史を綴った司馬遼太郎氏。人間のこころの奥底にひそむ暗部を描いた推理小説や戦後の混乱期に起こった事件の真相をえぐりだした松本清張氏。そして、戦前から戦後の経済人の活躍を描いた城山三郎氏。

追悼の意として、城山三郎氏の印象に残った随筆をここに記します。

(以下、引用)

「ざっくばらんの強み」

 東大などの一流校を出て、中央官庁に就職したエリート中のエリートの自殺が、ときどき伝えられる。
 
 不満があったり、挫折があったりしたところで、前途洋々の身である。少し辛抱さえしていれば、天下の大道を歩いてゆけるのに-と思うのだが、やはり死を思いつめる他なくなるのであろう。

 なぜ、そうなってしまうのか。

 ひとつは、彼等の育ってきた環境による。つまり、子供のころから、友人を選び、学校を、師を選んで、その他のつき合いをしない。

 知的に劣ると思った友達も、つき合ってみれば、思いがけない魅力がある。教育、とくに受験教育には練達とはいえない教師にも、人間としてすばらしいよさがあったりする。

 どんな人間にも深く付き合えばよさがあるのだが、深く付き合うとか、つき合いに耐えるという習慣を身に付けないまま、大人になってしまった。

 就職してみると、同僚も上役も、自分で選んだ人間ではない。内心、知的に劣ると思った人たちが居ても、じっと耐えて行かなければならない。そのことがやりきれなくなる。

 次に、エリート中のエリートであるだけに、自分の仕事に完全を期待する。ノン・キャリアのベテランに教われば簡単にわかることまで、自分ひとりで解決しようとする。

 人間は万能ではなく、いくらエリートでも大学で習わなかった官庁事務については、ただ考えてわかるわけではない。

 だが、エリートの誇りが、助けを求めることを許さない。

 とにかくひとりで抱えこみ、ひとりで悩み続ける。そのうち、
「この程度のことも、自分にはできないのか」

 と、誇りや自信が打ち砕かれる。そこで助けを求めればいいのに、とにかく自分でやってしまうと、その成果について完全主義者だけに採点がきびしく、自らに絶望してしまうという構図である。

「なまじっか学校に行っていると、裸になって人に聞けない。そこで無理をする。人に聞けばすぐにつかめるものが、なかなかつかめない。こんな不経済なことはない」

と、本田宗一郎さんはその初期の著書『ざっくばらん』でいっている。

「僕の特徴は、ざっくばらんに人に聞くことができるということではないかと思う」

とも。

本田さんは、聴講はしたけれども、正式には学校を出ていないということでかえって、だれに対しても、こだわらずに、ざっくばらんに聞くことができ、ひとつにはそのおかげで今日があるというのである。

打たれ強くなるための工夫以前の工夫のひとつであろう。


(出典:『打たれ強く生きる』(城山三郎著;新潮文庫)

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