Monday, March 12, 2007

「敬天愛人」 西郷南洲の言葉

(以下、『代表的日本人』(内村鑑三著;岩波文庫)から抜粋)

「敬天愛人」という言葉が西郷の人生観をよく要約しています。

それはまさに知の最高極致であり、反対の無知は自己愛であります。

西郷が「天」をどのようなものとして把握していたか、それを「知」とみたか「人格」とみたか、日頃の実践は別として「天」をどのように把握したか、いずれも確認するすべはありません。

しかし、西郷が、「天」は全能であり、不変であり、きわめて慈悲深い存在であり、「天」の法は、だれもの守るべき、堅固にしてきわめて恵み深いものであると理解していたことは、その言動により十分に知ることができます。

「天はあらゆる人を同一に愛する。ゆえに我々も自分を愛するように人を愛さなければならない」

「天」には真心をこめて接しなければならず、さもなければ、その道について知ることができません。

西郷は人間の智恵を嫌い、すべての智恵は、人の心と志の誠によって得られると得られるとみました。

心が清く志が高ければ、たとえ議場でも戦場でも、必要に応じて道は手近に得られるのです。常に策動をはかるものは危機が迫るとき無策です。

「誠の世界は密室である。そのなかで強い人はどこにあっても強い」

不誠実とその肥大児である利己心は、人生の失敗の大きな理由であります。

西郷は語ります。

「人の成功は自分に克にあり、失敗は自分を愛するにある。八分どおり成功していながら、残り二分のところで失敗することが多いのはなぜか。それは成功がみえるとともに自己愛が生じ、つつしみが消え、楽を望み、仕事を厭うから、失敗するのである」

それゆえ私どもは、命懸けで人生のあらゆる危機に臨まなくてはなりません。

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私はこの言葉を受けて、以下のように考えます。

仏教には存在の原理をあらわす言葉として「無常」という言葉ともう一つ「無我」という言葉があります。

これは我(自分)が無いという意味ではなく、「ものはそれだけでは存立できないがゆえに色々なものが寄り集まって出来ている」という意味なのですが、これは人間社会にもあてはまることではないでしょうか。

最近、ある動作を人がやっていると、その動作をみて他人の脳細胞が興奮する、ということが発見されました。これをミラーニューロンというのですが、一種のモノマネ現象が人間の神経細胞にあり、人は他人のやっていることに相互に意識下で影響しあっているということが確認されました。

この発見を拡大解釈して人間社会にあてはめてみれば、人間社会はどこかで相互に意識下で結びついており、西郷は志が「誠」であればその志は必ず見ず知らずの人々にも通づると直感的にわかっていたのではないかと思います。

また、アメリカの詩人エマソンは、

「我々は『大霊』の部分となり分子となって生きているが『全体の魂』が我々の内部に宿っている」

と述べ主観と客観が一体であることを表していますが、西郷の世界観もこれに近いものがあったのではないでしょうか。

ゆえに西郷は、自我を殺し、利己心を捨て、極力他人を愛し、その志は必ず見ず知らずの大衆にも伝わると信じて、倒幕運動に殉じたのではないかと思います。

偉大なる大西郷に改めて敬服。

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