Friday, March 23, 2007

嵐山光三郎氏が語る、中原中也&萩原朔太郎

中原中也

「(中略;嵐山氏談)それからもうひとつ。これは生前の大岡昇平に教えられたことなのだが、中也の顔として知られている黒帽子の美少年像は、肖像写真が複写されつづけてレタッチされた結果、本物の中也とは、まるで別人になってしまったことである。三十歳の中也は「皺が多いどこにでもいるオトッツアン顔だよ」と大岡氏は語っていた。私は大岡氏の指示通り、「中原中也の顔写真変遷史」のグラビア記事を作ったことがある」

(感想)中原中也は教科書に出てくるような美少年ではなかった。小林秀雄に女優長谷川泰子を盗られたのも、「目の前の相手を、一語一語、肺腑をつくように正確に攻撃する」罵倒癖に原因あり。初対面の中村光夫の頭をビールびんで殴ったらしい。


萩原朔太郎

「(中略;嵐山氏談)前橋市医界の重鎮である父密蔵は、朔太郎に「なにもしなくていいから、羽織ゴロだけにはなるな」と命令した。羽織ゴロとは小説家・詩人のことである。市の雑役夫になりたいという朔太郎の申し出も認めようとしなかった。朔太郎は、よく言えばデビューまでの思索期間が長いということになるが、現実には無為の時間をもてあまし、退屈の焦燥から、意味もなくひたすら町を歩き回る生活無能力者であった。朔太郎はそのことを恥じ、現実から逃避しつつ異界をまさぐった」

(感想)萩原朔太郎は「だるい牙と青光りする陰影の詩で一世を風靡し、冴えた言葉使いは芥川龍之介を脅えさせるほどの力があった(嵐山氏談)」。思索者は現実社会と乖離し易い。悲しい性。

種田山頭火

最後に私の好きな、種田山頭火の日記より引用

「(中略;嵐山氏談)犬から貰う―この夜どこからともなくついて来た犬、その犬が大きい餅をくわえて居った、犬から餅の御馳走になった。/ワン公よ有難う」

分け入っても分け入っても青い山

(引用)『文人悪食』(嵐山光三郎著;新潮文庫)

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