Monday, March 12, 2007

何のために書くか、

(以下、引用)

何のために書くかということは作家にとって大問題であるが、たとえば日本の純文学では、金や名誉のためでなく自己のために書くことがよいこととされる。

(中略)

宮沢賢治の数ある童話の中でもとりわけ名作の一つである「なめとこ山の熊」は熊を殺して生計を立てている淵沢小十郎という猟師が、その罪を感じてわが身を熊に捧げるという話であるが、小十郎は「法華経」にある、自分の身を殺して他人のために捧げるという薬王菩薩であるといってよかろう。

また賢治は多くの詩のなかでもっともポピュラーな「雨ニモマケズ」という詩は、同じように「法華経」にある、人に馬鹿にされながらも、人を愛し、人のために尽くすという常不軽菩薩の生き方を自己の生活の理想として歌ったものであろう。

(『梅原猛、日本仏教をゆく』(梅原猛;朝日新聞社)より引用)

私は薬王菩薩でも、常不軽菩薩でもありません。

本日の私は憤怒の嵐の中の仁王といったところです。

資本主義の修羅の巷に、罪無くとも、その身を捧げよという不条理が堂々とまかり通る。

罪なき身に更なる悪罵と嘲笑と理不尽なレッテルが貼りつけられる。

げに、世の中に嫉妬ほど怖いものなし。

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