Friday, April 20, 2007

「イタリア、韓国にみる民主主義の萌芽と日本の危機」、『ひきこもりの国』より(マイケル・ジーレンガー)(下)

ある英会話学校で英国籍の黒人の女性に言われました。

「あなたは、NPOがこれからの日本では大事である、というけれども日本は平和だし、裕福でそんな社会活動が必要とは思えないは」

その時、とっさに反論する言葉が出ず、沈黙してしまいましたが、後でこころの中で、

(あなたたち外国人には理解できないでしょうけれども、日本には、表面からは見えない人々のこころのエネルギーが不足している、という社会問題があるんです)

と思いました。

本書で紹介されているのは、こころの鎖国を続けている日本と対照的に民主化に成功をおさめた例として、北イタリアと韓国を挙げています。

ロバート・D・パトナム教授が発見した、「ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)」という概念。その中で、「信頼」は重要な構成要素となる。

教授は、未知の人間と信頼関係を築く能力こそが、北イタリア人を豊かにしていると発見した。

市民が参加し、市民意識のあるコミュニティや住民が「お互い公正にふるまい、法を守り、公平・平等の原則を守り、水平的な組織形態をとる」
こうした「市民コミュニティ」は連帯、市民参加、誠実を重んじ、民主主義を機能させる、としている。

ノーベル平和賞を受けたバングラディシュのムハンマド・ユヌス氏のグラミン銀行は、貧困層に少額融資をおこなっていますが、その融資の条件は土地ではなく、「仲間からの信頼」であるといいます。

融資を受ける側が事業計画書を作成し、仲間がその計画をチェックする。その信頼性で融資を決めるといいます。

この無担保で、貧困層に融資する仕組みは「マイクロクレジット」と呼ばれ、アフリカやラテン・アメリカに広がっています。

「人からの信頼」という無形ものが「ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)」、重要な資産となるのです。

また、1998年、国ごと金融破綻した韓国を再生させる原動力として、市民間の相互信頼を形成するのに宗教の力が大きく作用した例を本書は挙げています。

いまや韓国はIMFに対する債務を4年で完済し、GDP成長率は七パーセント、国内の財閥は解体され、外国資本が韓国の有力な企業の所有者となっている。

韓国は日本よりはやく、資本のコズモポリタニズム化を達成したのである。

政治経済の分野において、「368世代」という1990年に大学を卒業した世代が活躍し、若者は活力に満ちあふれている。

韓国社会は家族や地域、学校や財閥企業の階級的序列にしばられていた。その呪縛を解いたのが、キリスト教の

「普遍主義―神の目に映る人はすべて平等である―や個人主義―一人ひとりの人間は神からそれぞれ固有の才能をあたえられているのだから、その才能をよい方法で表現する義務がある」

という教えで、この意識が韓国の人々の間に強固な信頼のネットワークを築いた。

余談であるが、筆者も、

「人は本性のまま自由に可能性を伸ばす天賦の権利を持っており、そののびやかに生きようとする可能性を侵害することは非常に罪深いことである」

という考えを持っており、図らずも本書でこの考え方は、偶然、西洋の普遍主義と似ているということに気が付き、喜びを覚えた。

最後に著者、マイケル・ジーレンガー氏は、「ひきこもりの国(日本)と面倒見のいいおじさんの国(アメリカ)」という表現で、日本の危機について語っている。

教育についても複雑な論法を用いて問題を分析したり、蓄えた知識を現実世界の状況に応用するなど、グローバル・テクノロージーにそくしたものに変えるべきだと提言している。

最後に、筆者の意見をいわせてもらうと、マイケル・ジーレンガー氏の言う「日本の意識改革」は案外簡単なことから出来るかもしれないと言うことです。

日本の子弟教育は、完璧な子供、弟子あるいは部下をつくりあげようと、80点を採っていても残りの20点についてだけ、厳しく叱責する。90点採れていても残りの10点についてだけ厳しく叱責すると言った、堀場雅夫氏のいうところの、「引き算の採点法」である。

子供、弟子あるいは部下は「これだけ頑張ったのに、この評価か」とがっくりし、伸ばし引っ張りすぎた輪ゴムのように、最終的にゲンナリとたるんでしまい、本来の用途に耐えられなくなってしまう。

私のブログにコメントをいただいた、ほめ屋さんと私の共通項は「他人の長所だけみて、そこをたたえる」ことが出来るということです。

人が他人と異なることを恐れず、人と違う得意分野を持つこと、異なる人をとがめず、そして人の長所をみつけては褒め、伸ばしてやること。

これが一般化し社会に広まるだけでも、世の中は変わるのではないでしょうか。

日本は一度、「こころの洗濯」をするべきです。


(後日譚)
「マイクロ・クレジットという試み」(http://www.cafeglobe.com/news/gramin/index1.html)。おそらくこれは、アジア各地の産業をぐるりとみわたして、その土地に適した産業を国際開発基構のような団体が伝授して始めたのではないでしょうか。

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