Tuesday, April 03, 2007

東京アジア金融センター論(下)

もし東京に公平、開放的、透明度の高い国際的な金融市場をつくるのならば、この本に書いてあることを実践しなくてはならないだろう。

『ウォール街の大罪』(日本経済新聞社)の著者アーサー・レビット氏は、1993年から2001年までクリントン大統領の下、SEC委員長をつとめた人物である。

投資家のウオーレン・バフェット氏をして「小口の投資家の最良の友にして、揺るぎない信念をもって投資家の利益に奉仕する市場を目指した人」と言わしめた人物である。

 アーサー・レビット氏は16年間ウォール街の証券会社で働き、社長まで上りつめた人である。

日本人なら当然、このような証券業界にいた人が本当に自分がかって在籍した業界の反対を押し切って、立場の弱い個人投資家の利益のために働くことができるのか、過去に自分の在籍した業界の為に働いてしまうのではないか、と言う疑問を持ってしまう。

 しかしながら、SEC委員長という役目柄、公共への奉仕という使命感で、一部の業界人だけが儲けることのできる不公正な市場を健全なものとするため、また、まったく議会に対して何の働きかけができない個人投資家の利益のために敢然と、証券業界、議会、公認会計士業界を敵にして戦うのである。レビット氏の奮闘振りには感心させられた。

 まず、業界内の癒着を断ち切るには業界を知悉し、それでいながら自分の在籍した業界と完全に決別できる人物でなければならない、と思った。

レビット氏の改革は、まず有名無実となっていた投資銀行業務と調査部門を隔てるチャイニーズ・ウオールを完全にシャットダウンすることを業界内に勧告し違反者には罰則を課すこととし、次に「公平情報開示規則(Regulation FD)」という、企業の重要情報はある一定期間まで絶対に開示してはならないという規則を設け、企業幹部が重要な情報を証券関係者にうっかり漏らすという悪しき慣習を断ち切ることができた。

これによって、一般投資家よりも先に企業情報を手に入れて利益を得ていたアナリスト、仲介業者や機関投資家は、同じスタート・ライン上で一般投資家と競わなくてはならなくなった。

そして、レビット氏の次なる改革は一般投資家がもっともよりどころする決算書を監査する公認会計士協会にも及んだ。

ストック・オプションの費用化を渋るハイテク業界と会計基準を設定するFASBを説得し、コンサルティング契約(企業を健全化し適正な決算をつくるために助言する業務)と監査(企業が健全かどうか審査する業務)という相反する目的を持つ業務を受託していた監査法人にこういった慣行を止めさせるように勧告した。

 また、ハイテク業界内でおこなわれていた合併にともなう営業権を仕掛り研究開発商品として一気に減損償却して、来期以降の利益を過大にみせるといった決算書上のカラクリを非難し、もっと透明度の高い会計基準を設定するように注意する。

 さらにレビット氏はコーポレート・ガバナンスにもメスを入れた。監査委員の全員が社外取締役でなくてはならないという規則を法制化し、形骸化していた社外取締役に財務報告書の妥当性を検証させるという責任を負わせた。

 ものすごい改革をやってのけたレビット氏だが、この改革には経済界、会計士協会、投資信託協会などから送り込まれたロビイストの凄まじい反発があった。

その中でレビット氏は「個人投資家の利益を守り、公正で透明性の高い市場を構築する」という目標の下、アメリカの消費者連合や消費者同盟、AFL-CIO(米国労働総同盟産別会議)、AARP(全米退職者協会)など、消費者や組合労働者、高齢者などの個人を代表する団体の支持を得て改革に成功した。

 レビット氏の改革への情熱もさることながら、その背後には個人の利益を代表するさまざまな団体が市場の健全化を願って株式の運用者を注意深く監視していたという事実も見逃せない。

 前述した『日本の選択』を書いエモット氏やタスカ氏は、日本はいまだ企業主体の経済体制であって、「前川レポート」にあったような消費者主体の経済を確立していないという。

 健全な株式市場をつくろうと思えば、株式市場というスタジアムを運営するプレイヤーが健全であるだけでなく、観客である投資する側も同様に眼が肥える必要がある、と考えさせらた一冊でした。

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