Thursday, January 04, 2007

『世界は村上春樹をどう読むか』(国際交流基金、柴田元幸、沼野充義、藤井省三、四方田犬彦;文藝春秋)

現在、村上春樹の作品は40ヶ国で翻訳・出版され、中国では1980年代以来、「非常村上」という流行語が生まれるくらい村上ブームが起こり、台湾を基点に香港、上海、北京と展開し、シンガポールにたどりついたという。

アメリカでは最近『海辺のカフカ』が翻訳され、ジョン・アップダイクが「ニューヨーカー」で三ページにわたって書評を書き、「ニューヨークタイムス・ブックレビュー」や「ヴィレッチ・ボイス」という有名な雑誌でもとりあげられている。

こういった世界の村上春樹ブームに目をつけた国際交流基金が、2006年3月25・26日東京、29日札幌・神戸と17ヶ国23人の翻訳家・作家・研究者を一堂に集め「国際シンポジウム」を開催した。
その中でも最もユニークだったのはリチャード・パワーズの「ハルキ・ムラカミー広域分散ー自己鏡像化ー地下世界ーニューロサイエンス流ー魂シェアリング・ピクチャーショー」(英題は”Global Distributed Self-Mirroring Subterranean Neurological Soul-Sharing Picture Show")

彼は三ダースの言語に翻訳され、ヨーロッパではベストセラーリストの常連となり、環太平洋地域では偶像的存在になりつつある村上文学の魅力をこう分析します。

1. 国際的なユースカルチャーの巧みな利用
2. 後期グローバル資本主義がもたらす疎外感、民族アイデンティティの喪失感の表現
3. 反響し相互作用を試るニューロン的コズモポリタリズム
4. 作品の中に潜む普遍的(universarity)な愛

と述べています。最後に氏は、『海辺のカフカ』の一節を引用して講演をしめくくっています。

「愛というのは、世界を再構築することだから」と大島さんはカフカ君に言います、「そこではどんなことも起こりうるんだ」

その後、各国の識者が「我が国における村上春樹」をとりあげ、語るという形式になっています。

私にとって意外であったのは、世界の翻訳者が村上作品に日本的なこころを感じるというところである。

夏目漱石の『鉱夫』に類似性を見出す人もいれば、村上作品の鍵にアップダイクのように日本の「神道」に答えを見出そうとするような人もいる。

また、父親が禅僧であったところから「無」の境地をそこに見出す人もいた。

ただ、私にとって残念であったのは日本の文壇の村上春樹文学に対する冷ややかな反応である。村上文学は社会学の範疇とされ、文学界は村上春樹から距離を置きたがっている。

翻訳の面白さについても語られ、各国の翻訳者がどのように村上春樹の文章を訳すか、またそのプロセスが大変面白いお薦めの本である。

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