Saturday, November 18, 2023

『男流文学論』(上野千鶴子・小倉千加子・富岡多恵子:ちくま文庫)

私のこの本との出会いは、先月三宮のジュンク堂で何気なく手にとった本に「退屈を描いて退屈させてしまった『鏡子の家』」という目次に心ひかれたからである。結局買わなかつたのであるが、その後もそのキャッチフレーズが何度も夜中に思い出されて消えなかったので、休日に急いで本屋に走ったことに始まる。もっとも、この私の熱狂ぶりは遅きに失した観がある。解説の斎藤美奈子さんによればこの本が発刊された1992年1月の新聞広告を見て、斎藤さんは本屋が開店すると一目散に本をつかんでレジに走ったというし、本の帯には刊行当初から話題騒然となりすさまじい論議を呼び起こしたエポックメイキングな鼎談とあり、ちくま文庫創刊35周年にともなう記念復刊とあった。上野千鶴子女史によれば「男性中心的な二流、三流の文学をとりあげて「ワラ人形」叩きをやりたくはなかった。(中略)論ずる値打ちのある力量のある作家(中略)男たちがそのねうちを疑ってみようとしない作家だけをとりあげたいと思った」とある。吉行淳之介は「『砂の上の植物群』のリアリティのなさは、吉行がしょせん私小説家だからである」「昭和38年の性の求道者も、いまどきギャルにはフツ―の風俗」という評定をくだされ、島尾敏雄は小説「「死の棘」は、ミホを巻き添えにした、敏雄の病の往還記である」と言われ、谷崎潤一郎は「カテゴリーとしての女、ペットとしての愛」と断ぜられた。他に小島信夫、村上春樹、三島由紀夫も俎上にあげられ容赦なく批評されている。この鼎談をおこなうにあたって上野千鶴子、小倉千加子、富岡多恵子は作家を選び、作品を選び、それに関連する文芸評論のほとんどすべてに目を通し、毎日送られてくる分厚いコピーの束は段ボールいっぱい分くらいあったという。これらの鼎談は「読書会」と称され一年近くおこなわれたという。私はこの本を読んで衝撃を覚えましたが皆さんはどうでしょうか。(免責事項)このブログは一般図書の一部を抜粋要約し、筆者の独断と偏見に基づき改編したものです。このブログで当該分野にご興味をもたれた方は図書館で借りる、ないしは書店にて本をお買い求めになり、全文を精読されることをお薦めします。

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