Saturday, December 30, 2006

『シリコンバレー精神』(梅田望夫;ちくま文庫)をめぐる冒険(前)

 ここ10年の総括をすると、第三次ベンチャーブームは成功に終わり、常時100社から120社程度が株式を公開することは今後恒常化するであろうと思われる。

ベンチャーの理論的旗手である清成忠男前法政大学総長が唱えた第1ベンチャーブーム、第2ベンチャーブームは画餅に終わったが、今回は本格的に軌道に乗ったといえるであろう。

何といっても、このベンチャーブームの最大の功労者は孫正義氏とその後見人である樋口廣太郎氏の二人である。

当時の記事にはこうある、

1999年10月12日「ナスダック・ジャパン・クラブ」の初会合に先立ち、ナスダック・ジャパン・プランニング(株)社長の孫正義氏と全米証券業協会(NASD)会長のフランク・ザーブ(Frank G. Zarb)氏、ナスダック・ジャパン代表世話人でアサヒビール(株)名誉会長の樋口廣太郎氏の3氏による記者会見が行なわれた。

NASD会長のザーブ氏は、「NASDAQというプラットフォームの拡大で、海外投資もより増加する。日米の市場がインターリンクしてお互いの経済が活発になり、新しい仕事や雇用が生まれるだろう。実際、米国では活発な市場の効果で多くの雇用が生まれている。ナスダック・ジャパンが刺激となり、日本の経済に活気もたらすだろう」とNASDAQが日本に上陸する意義を語った。

樋口氏は、ナスダック・ジャパンの代表世話人として記者会見に臨んだ。樋口氏は、「米NASDAQが米国の経済界に大きな衝撃を与えたのは事実。経済戦略会議の議長として、小渕首相に多くの提言をしたが、『健全にして競争的な日本社会』の実現が共通の目標。この認識の下、ナスダック・ジャパンにも取り組みたい」と述べた。

http://ascii24.com/news/i/mrkt/article/1999/10/12/604887-000.html

孫氏は引責辞任した田淵会長に殉じて野村證券を去った北尾吉孝氏を1996年に自社に迎えるという僥倖に恵まれ、危なっかしいソフトバンクの経営をなんとか安定化させることに成功した。

思えば、1996年は不思議な年であった。

既存のエスタブリシュメントの組織を次々と捨ててゆくエリートが大きく報じられた。

当時の日経新聞夕刊に将来の社長候補とみなされた北尾吉孝氏のソフトバンク入りは驚きを持って報じられたし、「日経ビジネス」には大蔵省、運輸省、日本開発銀行を退職したキャリア3人(構想日本の加藤氏(http://www.kosonippon.org/)、知的財産担保融資の田代氏、大阪府特別顧問の上山氏)の鼎談が掲載されている。

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