Sunday, November 19, 2006

驟雨の時

東京と比べると尾道は古くひなびた町だった。

年中潮風が吹いているせいか、町の石垣は赤茶けており、自転車の後部座席で母の買い物が終るのを待ちながら、なにか町全体がセピア色しているような印象を持ったものである。国鉄の列車がゴトンゴトン、動き出す音が物淋しく聞こえた。

尾道は漁港になるだけあって、山が海にちかく山の稜線は屏風のようになだらかに続いている。そのせいで勾配が急でのぼるのに一苦労する坂がおおい。港付近には漁師とその関係者が集まり、昼間は主婦や子供の姿があるばかりだった。

父が公庫から貸し与えられた社宅は市街地から少し離れたところにあった。社宅の近くに堀があり、堀を流れる小さな川に掛るひと一人しか通れないような狭い橋を渡って、入り組んだ細い道をしばらく歩くと社宅にたどりつく。

社宅は奥まったところにあり、道路に面した入口の黒い門扉をあけてさらに5・6メートル玉砂利の敷かれた石畳を歩いて、もう一つの扉をあけて、竹林の中をしばらく歩くと、やっと枝折戸ごしに芝生の庭が視界に入るような構造になっていた。

その社宅の道路側の敷地に食い込んでいるのは、電電公社の局長さんの社宅で、私はその頃電電公社がどんなものかも知らないのに、
「局長さんの家。僕のうちは局長さんの家の隣です」
とつたない口調で言っていたらしい。

 道の向かいの家は高い石垣の上に建っており、その家の瓦葺きの立派な門にたどり着くにはかなり長い階段を上っていかなければならなかった。僕は子供心に中国の神仙のような人がこの石垣の上に住んでいるのだろうと想像していた。実際、二人の子供は尾道を離れ、今は老夫婦が二人つつましく住んでいるとのことだった。

No comments: