Sunday, November 19, 2006

驟雨の時

私たち家族は東京から来たので、尾道の人には物珍しかったらしい。

兄は中学校の全校集会の朝礼で、転校の挨拶をした際、
「東京都武蔵野市の本宿中学校から来ました・・・・・」
と言った途端、体育館の中から静かなどよめきがあがった、と言って帰ってきた。
今にして思えば、当時、黒いロイド眼鏡をかけ、始終しかめっ面をしているような兄にとってさぞ迷惑な事だったろう。

母も近所の米屋に買い物に行ったら、
「奥さん。東京から来たんですってね。こんな田舎やおもうたん違いますか。はよう旦那さんの都落ちがとけるといいねえ」
と言われたそうだ。
本当のところは、父は左遷された訳ではなく、本店の業務課長の職をおえ、公庫のお決まりのコースである地方支店巡業の旅に出る、ふり出しの地点にきたというのが真相なのだが。

アルバムを開いて当時の写真を何葉か見てみると、私は眼の瞳が大きく、幾分さびしげで憂いを含んだ表情をしている。特に可愛いとも思えないし、幾分影のある子供に見える。十一ヶ月経過しても言葉を発しなかったので、この子はしゃべることができない子供なのではないかと、随分母を心配させたらしい。

外に出るといつも「まあ、なんて大きい眼をした坊ちゃんなんでしょう。ビー玉みたいな」と言われた。奥様連中が集まると、あまりにも何度も私の眼のことが話題になるので、こちらはうんざりして、
「タダシ君の眼は何の眼?」
と問われると、
「ビー玉の眼」
と答えてみせて、奥様連中をワッと笑わせたこともあった。

東京にいた頃も、見ず知らずのおばさんに道で捕まって、
「なんて可愛らしい坊ちゃんなんでしょう。まあなんて綺麗な眼をしているんでしょう。宝石のような眼だわ」
と言われて、挙句の果てには写真でも撮ろうかという話になって、近くにある木の切り株の上に登らされて、万歳のポーズで写真を撮られたことがある。

母は30の後半になって産まれた私を溺愛し、買い物をするときはいつもアクセサリーのように連れて歩いた。
それでいて近所の人に、
「あら、奥さん。また坊ちゃんとお出掛けですか」
とからかわれると、
「うちのおちびちゃんが、外に連れてってくれとせがむものですから」
と言うのだ。そういう母を私は無言ながらも少し口元をゆがめてみて抗議の意を表してみたものだ。

その大きな眼のことが幸いしてか、社宅の裏の駅前で薬局を開いているおばあさんにも可愛がられた。
昼食が終って、キューピー3分クッキングのテーマソングが流れはじめると、私はもう我慢できなくなって裏口から庭にとびだしてゆく。そのタイミングを見計らってか、おばあさんは必ずお菓子やキャンディーを用意していつも待ち構えていたのだ。

裏庭のブロック塀の隙間から、
「坊ちゃん、ちょっときな」
と呼んでは、お菓子やキャンディーを私に与えてくれた。時折、ただお菓子を与えるだけでは芸がないと思ったのか話をしてくれた。

「坊ちゃんのねぇ、昨日、家の花壇のある方の庭でイタチが歩いていたよ」
「イタチ? 本当」
「本当さ。花壇の隅をそーっと歩いてみせてはサッと姿を隠して」

毎日のように呼ばれるので、流石に嫌な気がしたが、お菓子をもらえるのだから仕方ないと我慢した。

だが、その心優しいおばあさんがしかめっ面をして言うことが一つあった。それは近所に住む、毎日のように遊びに来る子供たちと遊ぶなと言うことだった。

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