Monday, April 10, 2023

回想の八木博氏(4)

東京に行くこともあった。「日本電算機の石井孝利社長と会うから同席しませんか」新幹線で新大阪から東京まで行き、丸の内の赤い煉瓦造りの円形の駅舎でおちあいタクシーに乗った。「シリコンバレー通信の管理を任せるよ。やってくれるね」と八木さんが言った。単に八木さんが書いた原稿を受信し”まぐまぐ”に配信時間を設定して登録するだけのことなので、否応なく引き受けた。「このあいだ阿刀田高の講演を聴きにいったんだ。そうしたら、阿刀田高が小学校の同窓会に出席した際、むかし先生の発言であの話が印象に残っているというと、先生ともう一人の同窓生だけがその話を覚えていて、他の生徒は誰もその話を覚えていなかったそうなんだ」「本当にメッセージが”伝わる”っていうのはそういうことじゃないのかな」「ええ、そう思います」「だから僕のやっている事、言ったことを後で思い出して、あの時八木さんはこう発言したなとか、あの時はよく分からなかったけど、実はこういう意味だったんじゃないかと気づいたりして欲しいんだ。いちいち土屋さんを呼ぶのはそのためなんだ」と言った。目的地の店に着くと80歳くらいの白髪に眼鏡の老人と背広を着た紳士が座っていた。八木さんが私を「僕のメール・マガジンを”まぐまぐ”で配信してくれている土屋さんです」と紹介すると白髪の老人が驚いた様子で立ち上がり「なに!!”まぐまぐ”。あなたはあの”まぐまぐ”の大川社長ですか」と言った。「違います。”まぐまぐ”を利用してメール・マガジンを発行しているいちユーザーです」と答えると「なんだ違うのか」と酷く落胆した様子だった。一方、石井社長はというと何か心配なことでもあるのか、終始押し黙ったままでとりつく島もなかった。20分ほどすると「八木さん今日はここで帰らせてもらうわ」と言うとハイヤーに乗って会社に帰ってしまった。予定より早く集まりが終わったので、東京駅の地下でウナギをたべることにした。幕末の志士の話やナスダック市場の動向などを話しながら、私は来月から念願かなって証券会社の株式公開部で働くことになったと打ち明けた。八木さんは「証券会社?」と怪訝な顔をしてそのことはそれ以上聞いてこなかった。帰りがけ丸の内の改札口に出ると、八木さんは「毎朝、大勢の会社員が暗い顔で下をむいてゾロゾロと会社に向かって行くんだよな。皆なんであんなに憂鬱そうで暗いのか」とつぶやくように言った。それから二カ月後、八木さんは大手化学会社を早期退職した。

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