Tuesday, April 11, 2023

回想の八木博氏(5)

シリコンバレーに戻った八木さんは、脱炭素化、分散化、デジタル化というエネルギー産業の変革をビジネス機会とするCleantechという分野の市場調査、技術調査、特許調査をおこなうIMANETという会社を設立し、再びシリコンバレーと日本を往復するようになった。八木さんは大阪に用事がある時はリッツカールトンを根城にしていたようで、私はそこの喫茶店でとりとめのない話をした。「八木さん。社名の由来はなんですか」と問うと「人生今しかないじゃないか。それでIMANETだよ」「そんなに生き急ぐのは何故ですか」「シリコンバレーは技術革新の激しいところだからね。今挑戦しなければ人生後悔すると思ったからね」息子さんがアメリカの大学を卒業しヨーロッパの大学院で哲学を学びにいったということも聞いた。一方、青雲の志をもって証券会社に移った私はさえないことこの上なく、顧客に提案する資本政策という表のエクセルの計算がとんでいたり、「プロの投資家」という概念がどうしてもわからず顧客が増資するたびに必ず増資の書類を大阪国税局に届けさせたりした。最後には顧客に信頼してもらうために担当会計士に「シリコンバレーに家を構えたユニークな人がいます。その人を交えて飲みませんか」と言って信頼をかちとろうとしたこともあった。朝7時に出勤しその日の日経新聞を一時間かけて読み、午前か午後に顧客のところに行き、空いた時間に明日の顧客に提案する資料を深夜までかかって作って帰る。そんな日々のなか一年が経ち、人を出し抜いたり出し抜かれたりする中で「確固たる地位を得たい」という不遜なこころが浮かんできた。その日は、二日連続の土砂降りの雨の日だった。八木さんとホテルで会うと開口一番「すみません。もう八木さんに頼るのは止めたいんです。このままじゃ僕は杜子春になってしまう」と言った。「杜子春?」「仙人に眼をかけてもらって仙術で大金持ちになったりするあの杜子春です。このままじゃ僕は最後に杜子春が仙人になりたいと言ったのと同様に八木さんのようになりたいというに決まっています」私は自分の不甲斐なさにいら立ってテーブルを拳固で激しく叩いた。「もう、僕は必要ないんだな」八木さんが言った。「長州の敗北を知った高杉晋作はたった一人で街道をまっしぐらにかけていったんだ。その後に力士隊、奇兵隊がつづいて。もう大丈夫だな」そう言うと、八木さんは立ち上がり握手をした。「これまで本当にありがとうございました」私はホテルの薄暗いロビーに消えてゆく八木さんの姿が見えなくなるまで頭を下げた。

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